『人類の起源』 by  篠田謙一

人類の起源
古代 DNA が語る ホモ・サピエンスの「大いなる旅」
篠田謙一
中公新書
2022年2月25日発行

 

とある勉強会で、日本語の起源の話をしていた時に、本書が面白いという方がいらっしゃって、興味を持ったので図書館で借りてみた。2022年2月25日発行ということで、まだ比較的新しい。今年のノーベル賞受賞の話もあるが、 古代人の DNA 分析ブームのようだ。

 

ちょっとだけ、日本語の話が出てきた。日本語というか、言語と人類の広がりの関係性ということで。結論を言ってしまうと、生物学的な人種は地球上でたいした差が無くて、ほとんど同じと思える人たちが違う言葉を話しているだけで、人種ではなく民族がちがうだけなのだと、、、。 「純粋な民族」という概念は、数千年のレベルでしか存在しないのだ。

 

表紙の裏の説明には、
”古人骨に残された DNA を解析し、ゲノム(遺伝情報)を手掛かりに人類の足跡を辿る古代 DNA 研究。近年、分析技術の向上によって飛躍的に進展を遂げている。30万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスはどのように全世界に広がったのか。旧人であるネアンデルタール人やデニソワ人との血の繋がりはあるのか。アジア集団の遺伝的多様性の理由とは。。人類学の第一任者が最新の研究成果から起源の謎を解き明かす”

とある。

 

著者の篠田謙一さんは、1955年生まれ。京都大学理学部卒業。博士(医学)。佐賀医科大学助教授を経て、現在国立科学博物館館長。専門は分子人類学。
医学博士が、古代人のDNA分析結果から、その起源をたどる研究にはいっていったのだろうか?「分子人類学」という学問は、古代人DNA解析ができる前からあった学問だったのか?よくわからないけれど、まぁ、人の起源について研究しているということらしい。 

分子○○学というのは、基本的にDNA、つまり遺伝子に基づいた研究を言う。私のドクター論文は、分子生物学だ。たしかに、DNAの情報から何かを研究するときは、膨大なデータベースとその相同性(ホモロジー)を多様するのだけれど、古人骨のデータはまだまだ多くはない。だから、まだこれからの将来、古人骨のDNAが読まれることによって、今の学説を覆すような話が出てくる可能性はある。
それは、先日読んだ、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』
(デイビッド・ライク)でもくり返し述べられていた。

megureca.hatenablog.com



本書は、日本人が著書であるだけに、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』に比べれば日本人にまつわる研究がいくらか述べられている。本書の方が、読みやすいかな。全体に、コンパクトに新書にまとめられているだけのことはあって、わかりやすく、読みやすい。

古代人のDNA解析の今をザクッと知りたいなら、本書がお薦めかもしれない。いかんせん、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』は、情報量が多すぎた・・。

 

目次
はじめに
第1章 人類の登場  ホモ・サピエンス前史
1 人類の起源をどう考えるか
2 人類の進化史

第2章 私たちの「隠れた祖先」  ネアンデルタール人とデニソワ人
1 ゲノムが明らかにした人類の「親戚関係」
2 ネアンデルタール人の DNA
3 謎多きデニソワ人の正体
4 ホモ・サピエンス誕生のシナリオ

第3章 「人類揺籃(ようらん)の地」アフリカ 初期サピエンス集団の形成と拡散
1 「最初のホモ・サピエンス」から出アフリカまで
2 アフリカ内部での人類移動
3 農耕民と牧畜民の起源

第4章 ヨーロッパへの進出  「ユーラシア基層集団」の東西分岐
1 出アフリカ後の展開
2 ユーラシア大陸
3 ヨーロッパ集団の出現
4 農耕・牧畜はいかに広がったか
5 現代に続くヨーロッパ人の遺伝子変異

第5章 アジア集団の成立  極東への「グレート・ジャーニー」
1 「アジア集団」とは何か
2 南・東南アジア集団の多様性
3 南太平洋・オセアニア
4 東アジア集団の成立

第6章 日本列島縦断の起源  本土・琉球列島・北海道
1 日本人のルーツ
2 琉球列島集団
3 北海道集団

第7章 「新大陸」アメリカへ  人類最後の旅
1 「最初のアメリカ人論争」
2 アメリカ先住民の祖先集団

終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか  
   古代ゲノム研究の意義 


2022年のノーベル生理学・医学賞をペーボさんが受賞してから、なおさらなこと、「古代人のゲノムを解析することの目的は何なんだろう?」と、頭の中でモヤモヤしていたのだけれど、本書の最後の最後に、ちょっとその答えに近いものが出てきた気がする。研究者によっては、その目的は様々だろうけれども、通常の「歴史に学べ」とはちょっと違う次元のような気がしていた。

その答えは、
「人類は、共通の祖先をもっている」
ということを科学的に明らかにすることのように思う。

 

同じ古代の洞窟から、何万年もの年代の差がある人骨が発見されていたり、分析されている人骨の年代の差が、場合によっては何万年もあることから、私たちが今手にしている古代人DNAは、まだビックデータというには程遠く、ほんのひとかけらだろう。それでも、そのピースをどこにはめるのか、ひとつずつ、コツコツと積み上げているのが今の研究だ。

そして、従来は分断されているとおもっていた現代ホモ・サピエンスネアンデルタール人や、デニソワ人とのつながりも見えてきた。それは、やはり画期的なことなのだろう。また、南アメリカの原住民は、入植者たちによってほぼ絶滅させられてしまっているので、研究が進まないという話がでてきた。レヴィ・ストロースの『悲しい熱帯』は、現代においても悲しい・・・。

 

ちなみに、日本人は、やはりアイヌ民族、沖縄民族、本土(本州・九州・四国)族、とがあるようだ。それでも面白いのは、やはり、つながりも見つかるということ。まったく別の祖先ではないのだ。縄文人に近い or 渡来人に近い、という分布で見ると、東北・九州南部は縄文人に近く、近畿・四国は圧倒的に渡来人に近いというのも面白い。そしてその真ん中は両方がまじっている。

 

最後の”我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”は、ご存じ、ポール・ゴーギャンの大作のタイトル。まさに、私たちは、どこからきたのか、、、。ゴーギャンがこの絵をかいたのが、19世紀の終わりころ。ネアンデルタール人に続いてジャワ原人が発見された時期だった。このころに、ホモ・サピエンスにつながる化石の発見とその理解が、人類の起源を明らかにする鍵ということが認識されるようになったのだそうだ。
しかし、当時DNA解析技術は、現代程発展していない。だから、形態観察からの研究が主であり、今日のような発見にまでは至っていなかった。
科学技術の発展が、歴史の認識を覆すことがある。あるいは、ダーウィンガリレオのように、理解そのものでコペルニクス的転換をはかることもある。

歴史に学べというのは、ただ、歴史を模倣せよということではなく、歴史的におこったことの意味を考えよ、ということなのだろう。

人類は、同じ祖先をもっていた。民族間の違いはほとんどない。
間違いなく言えるのは、国が違う、思想が違うと言ったことで、殺し合うべき相手ではないということ。命を奪わないとしても、心を奪うこともゆるされることではない。

 

本書を読んでいて、思い出した本がある。
ジーン・アウル作「エイラ 地上の旅人 ケーブ・ベアの一族」シリーズ。2004年の本だけれど、私が読んだのは10年くらい前だろうか。分厚い単行本で、6,7冊のシリーズ。3万5千年前の地球が舞台。大地震で両親を失ったクロマニヨン人の少女が、ネアンデルタール人たちに拾われて、、、、野生を生き抜く物語。恋もでてくる。本当に、ワクワクして読んだ。
原始時代に想いを馳せるなら、絶対おすすめの一冊。
野生の感覚って大事!っておもっちゃう、一冊。

 

勉強会での紹介から読んだ本だったけれど、古代DNAそのもの話しとしてというよりも、古代をしるということはどういう意味なのか、、という視点で、色々と思考が廻った一冊だった。

新書で、読みやすい。
結構、お薦めかも。