ふまんばかりのメシュカおばさん
キャロル・チヤップマン 著
アーノルド・ローベル 絵
こみや ゆう 翻訳
好学社
2021年4月20日 発行
図書館で子供の絵本の棚で見つけた。別に、子供のコーナーに行ったわけではなく、トイレに行く手前が絵本コーナだったのだ。。。。
表紙の絵に思わず目が止まって、パラパラとめくって読んでみた。タイトルからも想像がつくようなお話ではあるが、そうだよね不満ばっかり言ってちゃいけないよね、ってちょっと共感してしまった。
思わず、手に取って座って、じっくり読んでしまった。
薄い絵本で、5分で読める。
ふんふん、ふふふ、、、と思わず笑ってしまいつつ、素直に改心するメシュカおばちゃんがかわいらしく、心なごむ。
ふふ。
絵本って、やっぱり楽しいな。
以下、ネタバレ?!という程のものではないが、、、こんなお話。
主人公はヘーマという町に住むメシュカというおばちゃん。
メシュカは町の人に「クヴェチ」と呼ばれていた。「クヴェチ」とは、ユダヤの人たちの言葉で、「ふまんを いう ひと」という意味。
メシュカは、町の人に「ごきげんいかが?」ときかれても、
「どうもこうもあるもんか」
「背中が痛い」
「足が重たい。」
「息子は、ベッドに座って本ばっかり読んでいる。きゅうりのピクルスみたいだ。」
「娘は月に1回しか会いに来てくれない」
「死んじまった夫の作った家は小さい」
と、文句ばっかり言っていた。
ラビにも、八百屋にも、だれでもかれでも。
ある朝、メシュカは起きるとともに、いつものようにつぶやいた。
「ああ、今日も、このみじめな1日を、耐え忍ぶ強さを、あたいにお授けください」
すると、なんだか舌がチクッとするような痛い感じがした。
あれっと思って舌を確認するけどなんでもない。
気のせいかと思って、息子を起こしに行く。
すると、、、、息子のベッドの上には、巨大なピクルスが、ピクルスのコブを付けて横たわっていた。
家じゅうをさがしてみたけれど、息子の姿はない。
大変だぁぁ!!とおもって、町にさがしにでようとすると、家がどんどん小さくなって、メシュカの頭も足も、家からはみ出っちゃった!!
大変だ!大変だ!
家から抜け出て、町に出て息子を捜し歩くけど足が重い。なんだって、こんなに重いんだ、とおもって足元を見ると、なんと、足が巨大なかぼちゃになっている。
ひゃぁ~~!とおもって、転んだところに、大きな石の壁がメシュカの背中にドーーんと乗ってくる。
動けずに、じたばたするメシュカ。
そこに通りかかったラビに、「いったいぜんたい、どうしたのだ??」ときかれ、
「これこれこういうわけで、、、こんなことに、、、」と状況をはなすメシュカ。
ラビは、
「ふむ。おまえさんは、今朝、舌がちくっと痛いかんじがしなかったか?」
「はい、しました」
「ふむ、それは、不満病だな」
「治らないのでしょうか」
「ふむ、物事を前向きに考えれば治る」
ということで、メシュカは、一生懸命、石の壁の下で前向きなことを口にしてみた。
「息子はいい子です」
「夫のつくってくれた家は、快適です」
「娘は、月に一度もあいにきてくれます」
「身体は丈夫で健康です。ありがたいことです。」
すると、石の壁もかぼちゃの足もなくなって、もとのメシュカに戻ることができた。
家に帰ってみると、お家ももとの大きさに。
息子の部屋では、いつものように息子が本を読んでいた。
ちょっと、ピクルスの匂いがしたけど、、、、。
メシュカの不満病は、治ったのだ。
それからメシュカは、「ごきげんいかが?」と町に人に聞かれると、
「ええ、ええ、全部うまくいってますとも。あたいはとっても幸せものですからね。」
と答えた。
そして、本当に幸せそのものになったということです。
THE END
不満ばかり言っていると、ホントにその通りになっちゃうよ。
前向きなことを唱えていると、ホントに、前むきに幸せな人生になるんだよ。
と、そんなお話。
あらゆることは、解釈次第ってことだね。
絵本は、示唆にあふれている。
200ページの難しい本を読むより、たくさん絵本を読むといいかも?!
なんてね。
絵本も、好き。
なごんだ。