『比較ワイン文化考 教養としての酒学』 by  麻井宇介

比較ワイン文化考
教養としての酒学
麻井宇介 著
中公新書
昭和56年5月15日 印刷
昭和56年5月25日 発行 (1981年)

 

ワイン仲間が読んで興味深かったという話をしていたので、図書館で借りてみた。1981年の本で、かなり年季が入っている。
書庫の本で、かつ、図書館圏内で「1冊」とのシールが貼ってあった。

そして、なんとまぁ、、、、こんなの初めてだわ、、、ってくらい、書き込みが、、、。かぎかっこや、傍線が沢山、、、、。多分、鉛筆。時には、文字の丸囲みも。
でもなぜか、薄茶色に日焼けしたページに鉛筆の線は嫌な感じがせず、あぁ、誰かもこの本を興味深く読んだんだな、、、と、書き込みをした人にちょっと親近感をかんじてみたりして。

 

1981年というと、日本ではまだバブル前で、ワインといえば、ドイツの甘口ワインが主流だったところから、ようやく辛口がふえてきた、、というころかな。日本ワインも、日本の古来からのブドウからのワイン作りから、いわゆる国際品種と言われるヴィティス・ヴィニフェラ種といわれるシャルドネやメルロなどの栽培が始まったころ。

そして、「教養としてのワイン」が、日本人の会話に登場するようになってきたころだったのだろう。その時代の、ワイン教養論。なかなか楽しい。これは、ワインの資格試験の前に出会ってみたい本だったなぁ、と思う。

 

著者の麻井さんは、1930年生まれ。メルシャン勝沼ワイナリー勤務を経て、三楽オーシャン(株)の工場長をされていたらしい。

 

目次

Ⅰ 飲むことと読むこと
Ⅱ 「らしさ」について
Ⅲ ワインの原像
Ⅳ ブドウの花の咲くところ
Ⅴ 風土のしくみ
Ⅵ ワインのかたち
Ⅶ イメージのひとり歩き
Ⅷ 甘さをめぐって
Ⅸ テーブル・ワインの素顔
Ⅹ 食べることと飲むこと
Ⅺ ワイン文化の周辺


そもそも、「ワイン入門書」というような類の本は、フランスやドイツには存在しないのだという話から始まる。
それは、生活に密着しすぎていて、そんな手引書を読むより日常生活で学んでしまうから。あぁぁ、なるほど。そりゃそうだ。
現代のフランスでも、場合によってありえるのは、「飲み水」より「ワイン」の方が安いということ。それくらい、お酒というより、「飲み物」だったのだ。

あぁ、そうか、と、改めて思う。今では、フランスでのワイン消費量も減少傾向だけれど、かつて、フランスではワインが水かわりだった。確かに、フランスに出張すると、フランス人たちは、ランチタイムに水の代わりにワインをがぶがぶ飲んでいた。。。

そして、日本人のための「ワイン入門書」は、ワイン市場を作るという意味では海外の入門書を訳せばよいかもしれないけれど、ワインと食事を楽しむためという意味においては、日本の食文化を知ったうえでないと、あまり意味がない、というようなことを言っている。

そう。ワインは、もちろん、食前酒、食後酒として飲まれるものもあるけれど、日本人にとっては、「食事とともに楽しめるお酒」であることが、ワイン市場で求められることだろう。

どこそこの銘醸地の、いついつのヴィンテージで、だれそれがつくったほにゃらら・・・。

確かに、おいしい。
でも、あわせる食事によっては、台無しになってしまうこともある。

 

本書は、別にワインと食のマリアージュに関する本ではないのだけれど、そもそも、ワインというのは、かくかくしかじか、本に書かれていることにならって、選び、飲んでみたところで美味しいという保証はない、、、いうようなことを言っている。

その通りなのだ。

 

グレートヴィンテージと言われる年がある。ブドウの生育に良い条件がそろった年で、美味しいワインになると期待される収穫年。でも、大事なのは「○○年産」ということではなく、それをいつ飲むか!!!なのだ。
ホントに、まさにそのとおり。

そして、古酒ほどすばらしい、、というのも日本人が勘違いしやすいこと。熟成がふさわしいブドウもあれば、熟成に適さないブドウもある。

そんな、ワインの基本が色々と書かれている。なんというか、実践的な事実がかかれている、という感じだろうか。

 

日本のワインブドウの代表として「甲州」の話が出てきたり、日本のワイン発祥は800年前の「雨宮勘解由」による、とか、ワインエキスパートの受験勉強したときに一生懸命おぼえたことが、沢山でてきた。受験の時は、勘解由ってへんな名前、、、とおもって覚えていたけれど、こうしてでてくると、普通の日本人の名前のきがしてくるから不思議だ。明治10年に、二人の日本人が、大日本山梨葡萄酒会社からフランスにワイン醸造を勉強しに行った話。それも、本書の中では、さらりとでてきた。

二人がマルセーユに向かう途中で目にした中東からヨーロッパの景色は、日本とは全くことなることに驚愕したこと。雨の多い日本と、雨の少ない国々。植生もちがうし、人の手が入った土地の景色は、日本とは全く異なる印象を与えた。そして、それは、和辻哲郎がその驚きを妻への手紙につづったものともおなじだったのだ、と。こんなところで、「和辻哲郎」。文化人は旅をする。

 

また、クロード・レヴィ=ストロースの食文化に関する記述も引用されていた。彼の『料理の三角形』(1966年)は、食文化に興味を持つものにとって必読の文献であるという。そこに書かれているのは、
「生もの」という一つの極に対し、文化的変形である「火にかけたもの」と自然の変形である「腐ったもの」の二つをもって、三角形をなす、ということ。

「腐ったもの」というのは、発酵も含めて言っている。つまり、手を加えたものと、手を加えていないもの。もともと、ワインもチーズも、ぶどう果汁や乳を保存していたら自然発酵してできたものだから、元をただせば「自然」だ。ブドウであれば火をかけたものは、ジャムになる。

これが、「料理の三角形」。そして、火をかけたもの同士、自然の者同士、、の方が調和するのではないか、と。

面白い。

『料理の三角形』を読んでみたいとおもったけれど、絶版のようだ。図書館にもなかった。ただ、「料理の三角形」で調べてみると、ネット上にはたくさんある。へぇぇ、、知らなかった。さすが、必読の書と言われていたわけだ。

 

そして、日本人は、従来より新鮮な発酵食品を自然に親しんできた。そして、それは日本人が自然でフレッシュなお酒のほうを好むということと、似ているのではないか、と。

和食に、熟成のきいたボルドーの赤は、なかなかあわせにくい。熟成のきいた赤ワインなら、食事もじっくり時間をかけて熟成したチーズが合う、というのもわからなくもない。
まぁ、実際、チーズは、白ワインのほうがあうことも多いのだけど。

 

1980年代でも、そういう知識が一般だったのか、と思ったのは、チリがフィロキセラに汚染されていない地球上で唯一といっていいワイン産地であること。フィロキセラが最初にブドウに大打撃を与えたのは、1870年代のことを思えば、別に不思議なことではないのだけれど、1980年代、まだ、日本はそんなに南アメリカのチリやアルゼンチンのワインは輸入していなかったのではないかと思う。でも、本書の中には、アルゼンチンワインに関する記述もあって、さすが、ワイン業界でワイン作りをしていたひと、と思ってしまった。

 

当時の日本人にとってのワインイメージのひとり歩きとして、
・飲み頃を考えない古酒礼讃
・ヴィンテージ盲信
セミヨン信仰
をあげている。

セミヨンは、もちろんシャトー・ディケムの最高甘口白ワインとして。昔は、甘いワインが好まれていた。日本だって、そうだった。
でも、時代とともに人々の好みも変わり、今では、貴腐ワインの生産量は減ってしまい、その分更に高価なものになっている。

そして、テーブルワインについて。よく考えたら、確かに、面白い言葉だ。一般的に、テーブルワインといえば、フランスの「ヴァン・ド・ターブル」、ドイツの「ターフェルヴァイン」など、食事の時のがぶ飲みワイン、、、という感じだろうか。
つまり、それは、がぶ飲みではないワインとの差別化のために生まれた言葉なのだと。

日本酒は、いわゆる大衆酒でも「テーブル酒」って言わない。せいぜい、「パック酒」と言われるくらいか?

で、「テーブル・ワイン」という言葉も、イギリス人の生活感覚から生まれたもので、ワインを常用してきた民族の意識に浮かぶものではなかったのだと。

そうなのだ。フランスのワインも、元をただせばイギリスが最大消費地だったのだ。そして、イギリス人にとっては、「上等物」と「廉価版」を差別化する言葉が必要だったのだろう。ワインと文化、面白い。

最後の方で、アルゼンチンでの筆者のワイン体験が語られている。アルゼンチンでは、アサードと呼ばれる動物を丸焼きにしたような肉料理が一般的だ。そして、その野性的な焼くだけの肉料理には、赤ワインは必須だったのだ、、、と。
肉料理が、ただ焼いただけの料理から、フランス料理などで洗練されていくと、飲むべきワインは、それに合わせた上等なものが好まれる。でも、焼いただけの肉を美味しく食べ、飲みくだすには、多少劣化していようと何が何でも赤ワインが必要なのだ、、と。

これも、面白い。
けど、わかる。

 

料理のマリアージュで、現代のソムリエさんでも「塊肉程、重い赤を」という人がいる。それは、咀嚼回数と関係しているのだ、と。ハンバーグのようなやわらかい肉料理なら、軽めの赤でもいい。でも、サーロインステーキのように、咀嚼するのに何度もかまなければならないような料理なら、ぜひ、重い赤を、と。
初めて聞いたた時、、お!それ!頂き!と思った。
確かに、そうなのだ。

 

そう考えると、和食に咀嚼回数を沢山必要とするような料理はなかなかない。スルメじゃ、もともと赤ワインが合わないし、、、。やっぱり、和食に合うのは、軽めのワインなんだなぁ、、なんて思ってしまう。

沢山の統計データもでている。ただ、数字は現代とはだいぶ異なっている。だけど、今読んでもなかなか参考になる良書。

ワインの勉強をしているなら、読んでおいて損はない。
ちょっと、古いけど、ワインの歴史は、もっと古い。

面白かった。
読書は楽しい。