口語訳『即興詩人』 by 安野光雅  (原作:アンデルセン)

口語訳
即興詩人
原作:アンデルセン
文語訳:森鴎外
口語訳:安野光雅

山川出版社
2010年11月25日 第一版第一刷印刷
2010年11月30日 第一版第一刷発行

 

安野光雅さんと藤原正彦の『世にも美しい日本語入門』(ちくまプリマー新書)の中で、安野さんが口語訳を出版されたことを藤原さんがいたく褒めていた。

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森鴎外の文語訳が美しいという話もあるが、以前、森鴎外の文語文『舞姫』に挫折したことのある私としては、やはり、、口語訳がありがたい。
『即興詩人』は、無人島に持っていく」という人も何人もあるくらいの本だそうだが、私はこれまで興味を持ったことがなかった。

安野さんは、"文語文の『即興詩人』は、初めは難解だったけれど、その音の響きや文章の美しさに夢中になった"のだそうだ。そして、本当は、森鴎外の『即興詩人』を読んでもらいたいのだが、今の人たちにはハードルが高いこともわかる。だから、自分の無謀な口語訳でも読んでもらえるのではないか、、と。

 

本書は、600ページに及ぶ、分厚い単行本である。一人の青年の友情、恋、そして成長の物語り。「だれもがこころを焦がした、恋の記憶」と、安野さんは語っている。

 

感想
あぁ、、、何とも言えない脱力感。一気読み。
友情と恋のはざまで苦しむ一人の青年。自我も強い、正義感も強い、ただの一人の若者。幼いころの不幸を引きずることなく、運命のままに生き、苦しみ、楽しみ、出会い、別れ、、、再会。

67章からなる長編で、各章でどんどん舞台が変わる。そう、イタリアという土地の中で、ローマ、ナポリ、あるいはミラノ、ヴェネツィア、、、。本書を読んだら、イタリアへいきたくなる、、という気持ちがわかる。物語りは、まだイタリアが一つの国になる前だから、舞台は19世紀初頭、という感じ。貴族がいた時代。
古き良きイタリアを想う、、って感じ。ローマ、ナポリの美しい景色の描写と、その土地、その土地での人々との出会い。物語りの中心は、常に「人間」だ。すごー-く魅力的な人物というより、ごくごく普通の人たちの生きる姿が美しい、、という感じ。

 

これを無人島に持っていったら、、、私なら、人恋しくて寂しくなりそうだ。人は、一人で生きていくものだけれど、一人では生きていけないもの、、、、。そんな堂々巡りの思いにはまりそうだ。

 

でも、なんというのか、読んだ後の充実感のようなものがある。幼かった主人公アントニオが、最後には妻をめとる。甘く、苦い青春の恋にやぶれつつ、最後はまた別の恋を実らせる。あぁ、アントニオ、お前は、、、やっぱり幸せ者だ、と、安心して本を閉じることができる。そんな一冊。

 

とても長い青春の旅なので、とても簡単には覚書できないのだけれど、物語りの骨格を。。。

 

以下、ネタバレあり。

 

舞台は、ローマから始まる。主人公のアントニオは、まだ幼い子供。母と二人暮らし。敬虔なキリスト教徒の母とともに教会にかよい、貧しいながらも平和にくらしていた。家賃を稼ぐために家の2階は、デンマーク人の画工、フェデリーコに貸していた。父親のいないアントニオにとっては、フェデリーコは兄のようであり、父の様でもあった。

ある日アントニオは、母と共に母の友人のいる町のお祭りに出かける。そして、そこで、最初の悲劇が起こる。爆走する馬車に轢かれて、母が死んでしまうのだ。孤児となったアントニオ。

アントニオにとって、唯一の親族といえるペッポ叔父さんは、アントニオを養育するというのだが、それは遺産目当てで、アントニオのことはほったらかし。あまりにひどい環境から、幼いアントニオは、一人でペッポの家を逃げ出し、ローマの教会にかえってくる。司祭は、アントニオをペッポのところへは置いておけないと判断し、カンパーニャの野に住む牧者夫婦のもとへ送り出す。貧しい牧者夫婦はベネディット、ドメニカという老夫婦だった。アントニオは二人に大切にされる。

 

そして、ある日、水牛に追われて逃げ込んできた一人の男を、ドメニカとアントニオが救ったことで、アントニオの運命が変わる。その男は、ボルゲーゼ一族の人で、ドメニカの年齢からしてアントニオが実の息子ではないとみて、アントニオの後ろ盾を申し出るのだ。

そして、アントニオは、ボルゲーゼ家にお世話になりつつ、学業を始める年齢となる。そして、学友ベルナルドと出会う。ベルナルドは、ちょっと偏屈な変わり者で、他の学友とは仲良くなれないけれど、アントニオとは仲良しになった。ダンテの『神曲』を語り合える二人だったのだ。

そんな二人の間に、諍いが起きる。同じ女の人を好きになってしまうのだ。でも、最初にその女性、アヌンツィアタと出会ったのはベルナルドだった。アントニオもはじめのうちは、友人が好きになった女性として、アヌンツィアタに接していたのだが、後に、アヌンツィアタは自分のことを好きなのではないかと思うようになる。
うぬぼれなのか、勘違いなのか。。。
アヌンツィアタに愛されているのは自分だと思い込んだアントニオは、ベルナルドにそう告げる。そして、怒ったベルナルドは拳銃を持ち出す。「僕に殺人罪を犯させたくなかったらはやくこい」といって、その拳銃をむりやりアントニオの手に握らせ、外に連れ出そうとする。「まってくれ、ベルナルド、その手を緩めてくれ」と抗うアントニオ。
そして、その拳銃が暴発し、、、。

血にまみれて横たわるのは、わが友ベルナルドだった・・・。


アヌンツィアタは、ベルナルドに抱きつかんと駆け寄り、鮮血の吹き出す傷口を抑え、「早くこの場を!」とアントニオに逃げろと叫ぶ。

「僕は、逃れようとして引き金に触れただけなんだ!」そうアヌンツィアタに叫びつつ、訊いた。
「あなたは、このベルナルドを愛しているのか、わたくしを愛しているのか」。
ベルナルドの介抱に余念のないアヌンツィアタは、「はやく行きなさい!!」「行きなさい」「行きなさい」と繰り返すばかりだった。。


そして、アントニオは逃亡の旅に出る。母を亡くし、ボルゲーゼ家に救われ、友を撃って逃亡の旅に・・・・。アヌンツィアタが愛していたのは、やはり自分ではなくてベルナルドだったのか、、、という絶望の中。カンパーニャナポリへ。

 

ここまでが、物語の半分くらい。

そして、アントニオは、旅先で多くの人に出会い、救われ、自分を取り戻していく。

 

後半は、実はベルナルドは命を落とすことは無く、アントニオは殺人を犯したわけではなかったことが判明する。そして、ダンテの『神曲』を愛したように、自分自身が即興詩を歌い始める。でもそれは、教養を与えるためにアントニオに学業の機会を与えたボルゲーゼ家の恩に反する事だった。

旅先で、思いがけずフェデリーコに再会し、自分の思いに正直に生きることを見出すアントニオ。ボルゲーゼ家に、「自分は詩を歌って生きていきたい」と正直に伝える手紙を書いたところ、「これまでの縁はなかったこととおもってくれ」と言われてしまう絶望。

しかし、芸名で歌を歌っているアントニオを見て感動したのが、たまたまボルゲーゼ公の親戚であったことから、再び、ボルゲーゼ家のお世話になることになる。

ローマにもどって、6年間の学業に没頭し、27歳になったアントニオ。ボルゲーゼ家としては、即興詩人となりたいと思っていたアントニオを無理やり学業にもどしたことがよかったのかも、はかりかねていた。そして、ひとり立ちのために、アントニオを旅にだす。ヴェネチツィアへ。
そして、また、旅先で、懐かしい人々に再会しつつ、、、。

ヴェネツィアでであった美しい娘は、かつてナポリへの逃亡の旅の途中、心惹かれた少女だった。そして、、、、。

最後は、その美しいマリアとの新しい人生が始まる予感で物語りは終わる。

 

物語りの中で、アントニオの即興詩がたくさん披露される。自分の経験と感情をまっすぐに歌った歌は、人々の心をとらえた。読者の心もとらえる。きっと、森鴎外の文語体だと、もっと、、心に来るものがあるのかもしれない。

 

その詩の美しさにも魅了された読者たちのことがわかるような気もする。

 

ところどころ、人生の教訓のような言葉もはさまれる。あるいは、当時のユダヤ教徒が迫害されていた様子。美しくも激しいイタリアの自然。生まれる命。亡くなる命。

自分を慈しんでくれた人の死に目に会えなかった無念。裏切られたとおもった約束は、果たしたいと思ってもできなかった理由があったことの判明とその安堵。

 

かつては、絶頂の人気歌姫だったアヌンツィアタが、病に倒れ、落ちぶれていた姿を目にした時の悲しみ。そして、アヌンツィアタが愛していたのは自分だったのだと、本人の最後の言葉を目にした時の驚きと喜びと悲しみ。。。

 

まっすぐすぎるアントニオに、ボルゲーゼ公が諭す言葉がある。

自分の賢さをもって、人を言い負かすのは、悪い癖です

 

なにかに得意な気持ちになったとき、人が犯しやすい過ちの一つだろう。

 

イタリアの景色に思いをはせつつ、あぁ、、、素敵な物語だった、と思える一冊。

そうだなぁ、、、ナポリの海に沈む夕日でもみながら読みたい一冊、かな。

 

アンデルセン森鴎外安野光雅。三人の共作かな。章ごとの挿絵も可愛らしい。もちろん、安野さんの絵。装丁も、心躍る。

話しの展開のテンポの良さが、何かに似ている、、、とおもったのだけれど、聖書に似ているかもしれない。そんなうまい話があるかいな!と突っ込みたくなるようなところもあったりするのだけれど、奇跡のような偶然、再会、救命。。。

いいのよね、お話なんだから。

そうか、アンデルセンだ。アンデルセンのテンポなのかもしれない。本作品は、1835年、彼の初めての長編小説だそうだ。童話作家になる前の作品とのこと。なるほど。

 

うん、よい一冊でした。

今回は、図書館で借りたけど、家に一冊飾ってもいいかも、と思わせる一冊。

 

読書は楽しい。