体露金風 たいろきんぷう
体露金風 たいろきんぷう
『碧巌録』第二十七則から。
僧、雲門(うんもん)に問う
「樹凋しぼみ葉落つる時如何」。
雲門云「体露金風」。
ある僧が雲門和尚(中国唐の時代の禅僧、雲門宗の祖)にたずねます。
「樹木もしぼみ、葉もおちてしまったようなところはいかがなものですか」
煩悩妄想そんなものは全てなくなってしまい、悟りや悩みの葉も全て落ちつくした、そんな境地とはどんなものでありましょうか 。
雲門和尚がこれに対して「体露金風」と答えた。
体露とは全体露現、すなわち、かくすところなくすべてが現れているということ。
金風は秋風。
隠すようなことは一切ないから堂々と大地の上に立ち、そこに何ともいえない颯々とした秋の風が吹きわたっている。
秋になると、葉を落とした木は、枝が丸見え。なにも隠すものがない。
悟りをひらききると、その悟りさえすてさり、無になる。
なにも、かくしだてするもはない。
ただ、堂々とそこにすっくとたっている。
そういう感じ、らしい。
ひとつ嘘をつけば、その嘘のために、また嘘を重ねる。。。。
そういう必要のない、隠し立てのない境地。
そうなれば、どうどうと生きていける。
平井住職は、SNSの話をされた。SNSというのは、自分の一部を開いているに過ぎない。どれほど頻繁にInstagramにアップしようが、Facebookでたくさんのいいねをもらっていようが、それは、その人のすべてではない。
自分のすべてを人に見られて恥ずかしくないような境地。人に見られて恥ずかしくないというのは、嘘偽りのない自分であるということ。
無理に、飾る必要もない。
無理に、同調する必要もない。
ただ、そこに、自分として、恥ずかしくない自分でいる。
「お天道様が見ているから」とは、そういうことなんだな。
外出するときはきれいに着飾るけれど、家の中はぐちゃぐちゃ、、、っていうのも、人に見られて恥ずかしいことだろう。
そう、だから、掃除が基本なのだ。
とても、体露金風なんて境地には遠いけど、気になることを放置しないようにしよう。
物理的にも、精神的にも、風通しがよいというのは、気持ちの良いことだ。
もうすぐ師走だし、心身共にお掃除強化月間!かな。
ちなみに、平井住職、とうとう銀幕デビューされた。
『土を喰らう十二ヵ月』に、出演されたとのこと。
ほんの1分くらいだそうだが、セリフもあるのだと。
水上勉さんの『土を喰う日々』をもとにした映画。出演、沢田研二と松たか子。
ただ、撮影したシーンが、主人公の子供時代(お寺に預けられていた)ということで、残念ながら、沢田研二とも松たか子とも会えなかった、、、って。
土井善晴さんが、お料理を担当。
ぜひ、観てみたいと思う。