『人はどこまで合理的か(下)』 by  スティーブン・ピンカー

人はどこまで合理的か(下)
スティーブン・ピンカー
橘 明美 訳
草思社
2022年7月15日 第1刷発行

 

(上)に続き、図書館の予約の順番が回ってきたので、読んでみた。

megureca.hatenablog.com

 

感想。
ふ~~~ん。
なんというか、ちょっと、なんだかなぁ、、、、という感じで終わってしまった。
(上)の多くは、これまでの多くの行動経済学にまつわる研究のおさらいのような感じだったのだけれど、(下)も、半分以上は、その続き。

そして、彼の主張に共感できるところもあるものの、いやいや、、、そういうあなたの思考が合理的だというなら、私は合理的な人間でなくていい、、、という感じがしてくる。意地悪な言い方をすれば、随分と上から目線で言ってくれるなぁ、、というのか、、、。(上)でも感じたのだけれど、結構、色々なことをディスりまくっている感じ。トランプ支持者なんて、あほ丸出しだ、、、とは書いていないけれど、それに近いような。。。

合理的であるというのは、認知的徳が伴うことである”という説明には、なるほど、そうだな、と思った。数字の上での合理性だけでなく、自分事と他人事と、双方の立場を認知したうえで「徳」のある結論をみちびくことが合理的なのである、と。

なるほど、そうであれば、やはり合理性は社会に役立つのだろう。

 

 

目次 
(上)
序文
1 人間という動物はどれくらい合理的か
2 合理性と非合理性の意外な関係
3 論理の強さと限界はどこにあるか
4 ランダム性と確率にまつわる間違い
5 信念と証拠に基づく判断=ベイズ理論

(下)
6 合理的選択理論は本当に合理的か
7 できるだけ合理的に真偽を判断する
8 協力や敵対をゲーム理論で考える
9 相関と因果を理解するツールの数々
10 なぜ人はこんなに非合理なのか
11 合理性は人々や社会の役に立つのか

 

(下)の、6~9は、(上)の続きで、様々な考え方について。過去の研究の焼き直し。10,11で彼の自論が展開されている感じ。
なんなら、10,11を先に読んで、この本を読むべきかどうか決めてもよかったかもしれない。まぁ、先に読んでいても、結局、全部目を通したとはおもうけれど、、、。
斬新な理論が展開されているというよりは、あまりに非合理的な人々の生き方について(例えば、簡単に陰謀論を信じるようなこと)、 ここがだめ、あれがだめ、、と言っている感じ。

 

また、アメリカの様々な文化的背景が理解できていない私には、彼の表現が、皮肉っていっているのか、本気で言っているのか、よくわからなくなることがある。そういう意味では、ちょっと、読みづらくもある。。けど、、、わからなくても、そのまま読み進めていっても全体のトーンが一定なので(上から目線)、ふ~~ん、なるほど、、、という感じで読めなくもない。

まぁ、、なんというか、別に次に彼の新刊が翻訳されても、読まないかもな、、、という感じ。そうそう、下ネタも多いのだ。下ネタそのものがいけないというのではないのだけれど、言葉が美しくない、、、のだ。翻訳されることで、直接表現過ぎて下品な感じが、否めない。アメリカだとうけるのかなぁ、、っていうネタとか。アメリカの本なんだから、そりゃそうか。

 

結局のところ、やはり人は、合理的なつもりでも非合理なのだ。6~9で、どれほど私たちの選択が非合理かという事例が、たくさん出てくる。
ナッジ均衡、囚人のジレンマ、サンクコスト、相関と因果関係の誤認、プロスペクト理論ベイズ理論、、、と、全体に復習。

 

人の合理的でない行動がいくつも挙げられている。

例えば、ガンの治療法について、死亡率を説明されるか、治療率を説明されるかで、選択を変えてしまう、という話。

「手術を選んだ100人のうち、90人が手術を生き延び、1年後に68人、5年後に34人が生存していた。
放射線治療を選んだ100人のうち、100人が無事に治療を終え、1年後に77人、5年後に22人が生存した。」
と言われると、放射線治療を選んだのは、1/5の被験者に過ぎなかった。長期的な期待効果を重視したと考えられる。

同じ結果を次のように言いかえると、

「手術を選んだ100人のうち、手術で10人が死亡し、その10人を含めて1年以内に32人が、5年以内に66人は死亡した。
放射線治療を選んだ100人のうち、治療で死んだ人はいなかったが、1年以内に23人が、5年以内に78人が死亡した。」
被験者の反数以上が、放射線治療を選択した。治療では「死なない」という「確実性」をとったと考えられる。

と、このように、人は、同じ事を説明されても、説明のされ方によって判断を変えることがあるのだ。

 

この事例で思い出したのが、2002年にANAが行った、 
日本全国どこでも、全路線全便50人に1人*は無料です!!
〜2002年1月15日〜3月31日の76日間、空港で航空券50枚に1枚*「当たり」がでます!!〜”
キャンペーン。
これって、なんだか自分も当たりそうな気がするし、お得な気がするけれど、全体でいえば2%の割引に過ぎないのだ。いわゆる、早割りなどに比べれ、割引率としては小さい。それでも、自分が1回アタリ!になる可能性に惹かれた人は多かったのではないだろうか。大きな話題になった。

まぁ、アタリが出るからといって、用もないのに飛行機に乗る人はいないだろうけれど、ちょっとチケット代が高くても、JALではなくANAを選んだ人は多かったかもしれない。

そう、人は、言葉の印象で物事を判断してしまうのだ。

 

出来るだけ合理的に真偽を判断するのに重要なのは、くり返しになるが「ベイズ理論」。
レーダーが何かの陰影をとらえた時、ミサイルの可能性とカモメの可能性と、どっちが起こりえる確立が高いのか、ということを考慮に入れないと、陰影は真の信号かノイズか、の判断の重要度が変わる。物事が起こりえる可能性、ノイズの可能性、両方を考えなくてはいけない。

 

ゲーム理論の重要性については、環境問題を事例に語られている。「自分くらいいや・・・」と地球の個々人が思ってしまったら、いつまでも解決できないのだ。地球環境を守ることは、みんなの利益になるのだ、、、と頭でわかっているのと、合理的に行動できるかというのは、別問題。悲しいかな、、、現実。

 

「サンクコスト」の事例は、だれもが経験あるだろう。暴落した株にしがみつく、つまらない映画を観続ける。退屈な小説をいつまでも読む、破綻した結婚をずるずると続ける、、、などが事例として挙げられている。
すでに、支払ってしまったものを、取り返そうとする行動。本当は、さっと手をひいたほうが、これからの未来に投資できるのに、、、。その最悪の事例が、戦争。はじめてしまうとなかなかやめられない。冷静に考えれば、戦争をしてどちらかだけが損をするのなんてこともなく、双方が膨大な損失を被る。。。だけど、はじめてしまったら最後、、、やめられない。。。

 

囚人のジレンマについては、人生、あらゆるものはくり返し型の囚人のジレンマにおける戦略だ、、と、共感、信頼、好意、恩義、復讐、感謝、罪悪感、羞恥、不実、陰口、評判、、、。あなたがしてくれるなら、わたしもするけど、あなたがしてくれないなら、わたしもしない、、、。そのことに最初に気が付いたのは、ヒュームだった。
そして、その先に、トマス・ホッブス社会契約説」の考え方がでてくる。公平性の道徳的論理を具現化し、不道徳な誘惑、裏切り、相互離反の悲劇から解放していくれるのが、「社計契約説」。

 

本書は、このあたりから、合理性に必要なのは「道徳的」であること、という論旨になっていく。

 

「相関と因果関係」については、相関は因果関係ではないということがわかっていても、混同しやすいという警笛。
ある研究で、「コーヒーの飲みすぎは心臓発作を引き起こす」と発表されたのだが、それは直接の因果関係ではなかった、というのは有名な話。コーヒーをよく飲む人に喫煙者が多く、また、運動不足の人が多かった。コーヒーが心臓発作をひきおこしていたわけではない、という話。

 

結局のところ、世の中は複雑系であり、何か一つが何か一つの結果をもたらす、という単純なことはそうそうない。全ては、ネットワークでかかわりあっている、ということ。

 

最後の2章は、とうとう、本書の結論。人はなぜ、こんなに非合理なのか。そのキーワードは、「自己と他者の区別」。そして、「道徳」

 

道徳の核は、「公平性」にある。「公平性」を語るとき、自分の利己的損得勘定と、他者のそれとの折り合いが必要になる。
人は、それぞれ、バイアスを持っている。そのバイアスを自覚したうえで、自己と他者のどちらか一方への損得ではなく、現実を理解しなくてはいけない。
そうすると、合理性は、認知的な徳であり、道徳的徳でもある。ということ。


そう考えると、合理性は、やはり、社会の役に立つのだろう。 

 

最初に書いたことに戻るのだが、「トランプ支持者」は、非合理的であるというのが著者の意見のようだが、それは、「自己と他者」との折り合いをつけられていないから、ということのようだ。

 

自己の損得だけを主張するところに、徳はない。徳のないところに、合理性はない。

しかし、本当にだれもが合理的に判断し、道徳的な選択をするようになる社会とは、いったいどんな社会なのだろうか。。。

ちょっと、不気味な気がする。

宝くじなんて、誰も買わない。誰が買うかわからない製品なんて、誰も売らない。だれもわがままを言わない。食品ロスなんてありえないし、食事はエネルギーのために摂取するだけ。

芸術、文化は、どうなっていくんだ??

スポーツは?

 

合理的である必要がある場面はある。でも、人生が合理的である必要なんて、ないんじゃないだろうか。

それが、一番の感想かなぁ・・・。

 

むかし、養老孟司先生がいっていた。

「一番合理的に生きようと思ったら、オギャーと言ってすぐに死ぬことですよ」

合理的にだったか、効率よくだったか忘れたけれど、そのようなことを言っていた。

 

社会に合理性を求めても、人生に合理性は求めない。

いいんじゃない、それで、って感じ。

 

でも、真偽は正しく判断できる方がいい。

世の中にあふれている思考の罠に、気を付けよう。

サンクコストに引きずられ、不要になったものをいつまでも持ち続けるのはやめよう。

 

片付け!片付け!