禅の言葉: 阿頼耶識(あらやしき)

今朝教えていただいた、禅の言葉。

阿頼耶識(あらやしき)

 

禅では、「不立文字(ふりゅうもんじ)」といって、書いたもの(教義を表す文字や言葉)などは一切不要で、坐禅で体験することが大事、という考え方がある。

だから、今日の言葉である「阿頼耶識(あらやしき)」というものも、ただのイメージにすぎないので、忘れていただいて構わない、、、という前置きがあってのお話。

 

唯識は、大乗仏教の哲学で、その中では人間は8つの意識から形成されている、という考え方がある。その八識が、阿頼耶識のこと。

5世紀に無著(アサンガ)世親(ヴァスバンドゥの兄弟が唱えた大乗仏教の根幹の哲学。

 

人間には次の八種類の識がある。
五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)と意識の六識
これら6つは、意識の世界。

意識の世界の外に、2つ、無意識の世界がある。
それが、末那識(まなしき)(七識)と阿頼耶識(八識)二識

 

末那識は自己に執着するこころで、「小我」と言われるもの。
阿頼耶識はその底にある根源のこころで、「大我・真我」と言われるもの。
阿頼耶識は、別名「蔵識」とも言われていて、全ての業がたまった根幹のようなもの。

 

スイスの哲学者、ユングの言葉では、阿頼耶識は「集合的無意識」と言い表されている。
その民族の過去の経験が、蓄積されている無意識
DNAにすりこまれた意識、という言い方を聞くこともある。

 

阿頼耶識は、そこに種のようにたまっている意識であることから、「一切種子識」とも言われる。

 

図解。

 

「自分=個」と「世界=全体」は、末那識では対立しているが、阿頼耶識では一体となっている。


稲盛和夫さんが図解した、人間の心も紹介いただいた。
5重の円として、描かれたこころ。
中央に、真我。そしてその外に、魂、本能、感性、知性と層をなして、人間の心を形成しているのだ、と。
①真我: こころの中心
②魂: 真我の現世での経験や業をまとったもの。
③本能: 生命維持のための欲求
④感性: 五感や感情
⑤知性: 知識や論理

 

私たちが、意識しているものの根底に、無意識の世界がある。その世界は、先祖代々受け継がれてきたもので、世界で時間軸ともつながっている、ってそんな感じかな。

 

2022年最後のZoom坐禅会でした。

 

難しくてよくわからないこともある。でも、こんな話があったな、ってアタマの片すみにおいておくと、ある時他の点とつながることがある。

全部理解しようとしなくていい。

目にしたこと、聞いたこと、どこかに自分の中に刻まれていく。

 

ただそれだけの事、なのかもしれない。

 

難しく考えるのはやめよう。

物事を勝手に難しくして、壁にしているのは自分の「意識」かもしれない。