『大学病院の奈落』 by  高梨ゆき子

大学病院の奈落
高梨ゆき子
講談社
2017年8月24日 第1刷発行

 

とあるところで、ノンフィクションの本という話題の中で、本書がでてきた。群馬大の腹腔鏡手術にて多数の死者がでたという2014年11月に報道された事件。


確かに、ニュースとして記憶にある。たいして技術のない医師が執刀して、何人も人が死んだという報道。手術は100%ではないとはいえ、異常なほどの死亡率。それに関するノンフィクション。興味をもったので図書館で借りてみた。

 

著者の高梨さんは、読売新聞医療部記者。お茶の水大学大学卒業後、1992年読売新聞社入社。山形支局などを経て、社会部で文部科学省、会計監査委員を担当し、調査報道班で公費の無駄使いキャンペーンを手掛けた後、厚生労働省を担当、キャップを務める。
群馬大学病院の腹腔鏡手術をめぐる一連のスクープにより2015年度新聞協会賞を受賞。

 

表紙裏には、
”この春、私は最愛の娘を病で亡くしました。(中略)娘の勤務先でもあり、治るという思いがあればこそ、いくどとなく言葉を飲み込んだことか。死亡時の診断書と三週間後の診断書の違い。こんな事もあるのでしょうか。真実が知りたい。最先端の医療を施術する大学病院の対応にやりきれない思いと何故、一呼吸おいて返答しなかったのか。娘のために選択肢はなかったのかと辛く、悲しく、悔しく地団駄を踏む思いです。ー--遺族の手紙より。”
とある。

 

感想。
なんと痛ましい・・・・。痛ましいとしか言いようがない。 これがノンフィクションなのかと。TVドラマの世界ではないのか、、、と。
読んでいて、悲しみよりも怒りがわいてくる。
大切な人に何としても回復してもらいたいと思うからこそ、医師の言葉を信じ、病院を信じたのに。。。病院にとってその手術は、業績を上げるための回数稼ぎでしかなく、その手術が患者にとって最適な選択であるかどうかなど関係なかった。かつ、練度をあげるために、実験台にされたとも言える患者たち・・・。多くの死者が出ているのにも関わらず、明らかにヘタな手術が原因で患者が亡くなっているのにも関わらず、なぜその医師による手術は停止されなかったのか。。。。

病院で何が起きていたのかをつぶさにレポートした一冊。ぞっとするけど、真実。

 

読売新聞のスクープ記事は、
”〈腹腔鏡手術後8人死亡 高難度の肝切除 同一医師が執刀 群馬大学病院〉
群馬大学病院(前橋市)で2011年から2014年腹腔鏡を使う高難度の肝臓手術を受けた患者約100人のうち少なくとも8人が死亡し、病院が院内調査委員会を設置して調べていることが分かった。8人を執刀していたのはいずれも同じ医師。同病院ではこれらの手術は事前に院内の倫理審査を受ける必要があるとしているが、担当の外科は申請していなかった。・・・・・中略・・
消化器がんに詳しいがん研有明病院の山口俊晴・消化器センター長の話「一般的には腹腔鏡による肝切除を受けた患者が短期間で死亡することは非常に稀だ。8人がなくなるのは極めて多いと言える。調査委員会は原因を究明し再発防止に努めるべきだ。」”

と。

 

群馬病院内には、第一外科と第二外科があり、その派閥争いの中で発生した悲劇。ほんとに、どこかのTVドラマのような院内派閥争いで、 悲劇が起きた。しかも、何年もわたって起きていたのだ。また、このスクープの後の調査で、腹腔鏡手術以外でも、多数の患者が亡くなっていることが明らかになった。

 

執刀医氏、そしてその上司であった医師の名前は仮名ででてくるのだが、病院の中では、執刀医:早瀬の名前から「早瀬る」という言葉がまかり通っていたという。失敗しても開き直る、、、という意味だと。ぞっと寒気がして、鳥肌が立つ。

 

医療で最善をつくしても、亡くなる命はある。手術で命を亡くすことだって、当然リスクとしてはある。でも、あたかもその手術しか治療法がないような説明をうけ、助かると思って受けた治療が、あとから唯一の方法でもなければ選択する必要のないリスクだったことがわかったときの遺族の気持ちたるや・・・。

ほんとに、悔やんでも悔やみきれないだろう・・・。

 

早瀬医師(仮名)は、医師免許ははく奪されていないそうだ。かつ、今でも別の病院で医師として働いているらしい。さすがに、手術はしていないらしいが、、、。

自分の手術技術の未熟さから多くの人の死を早めておきながら、医師を続けられる気が知れないけれど、そういう人だから、多数の死者をだして新聞で非難されるまで同じことを繰り返したのだろう・・・。

怖い。

サイコパスに近いのかもしれない。

 

本書を読んで思ったのは、どんなに信頼している医師や病院であっても、やっぱり病の治療にあたっては、セカンドオピニオンを求めるべきだということ。医師への遠慮からなかなか言い出しにくいことかもしれないけれど、あとから後悔するくらいなら、それくらいのストレスは乗り越えたほうがよいのだろう。

 

本書の締めくくりは、群馬大学はその後改善の方向、、、ということになっているけれど、組織なんていうものは、、、人が変わればまた変わる。良い組織を継続するというのはその文化が根付かないと難しい。そこには人材も必要だし・・・。

 

病院なんて、かからずにいられればそれがいい、、、とつくづく思った。

 

一応、健康に産んでもらったこの身体。
両親に感謝。
やっぱり、健康第一だなぁ、と思う。

 

自分の身は、自分で守る。
大事だ。 

また、無くしてわかる健康のありがたさ、、でもある。

気を付けよう。

身体の声を聞こう。

 

衝撃の一冊だった。

ノンフィクション、コロナ関係以外で久しぶりに読んだけど、怒りがふつふつ湧いてくる。。。怒りはエネルギーのもとでもある。

けど、、、できれば、もっと楽しいエネルギーの元がいいな。

 

とはいえ、ノンフィクション、やっぱり結構好きだ。

そして、こういう事件を調べ上げるジャーナリストの熱量に、感心してしまう。

すごいなぁ。

 

やっぱり、読書は楽しい。