『人生にはやらなくていいことがある』 by  柳美里

人生にはやらなくていいことがある
柳美里
 KK ベストセラーズ
2016年12月20日 初版第1刷発行

 

図書館の新書の棚をうろうろしていて、衝撃的なタイトルが目についた。柳美里さんの本だし、面白そうなのでかりてみた。

表紙裏の説明には、
”後悔があるからこそ、いまがある
人間は、どうしても過去のことを振り返り、「後悔」してしまうことが多い。あのときああしておけばよかった、あんなこと言わなければよかった・・・・。できれば後悔しない人生を送りたい、そんな人は少なくないのではないかと思います。
 だからといって、自分の人生、自分の過去を否定することはありません。「後悔」があったからこそ、こうしないようにしようと思える。そしてより良いいまがある。実は「後悔」とはそういうものなのではないでしょうか。”
と。

 

柳美里さんは、1968年生まれ。高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザーズ」に入団。役者、演出助手を経て、86年演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年『家族シネマ』で芥川賞を受賞。芥川賞作家だ。
2011年の東日本大震災のあと、福島を支援する活動をするなか、南相馬へ移住し、今は南相馬在住作家。
 なぜ、南相馬に移住することにしたのか、そして今何を思っているのかが語られているエッセイ。「やらなくていいこと」が綴られているわけではない。「やらなくてはいけないこと」をやり続けてきたけれど、見方をかえたらそうではなかったかもしれない、という回想のエッセイといえばいいだろうか。。。

 

目次
第一章 後悔とは何か
第二章 お金
第三章 家族
第四章 死

 

感想。
そうか、柳さんは、そんなに壮絶な人生だったのか、、、と、驚いたのが一番。極端といえば極端かもしれないけれど、様々なバッシングにも負けずに自分軸で生き続けている彼女の強さに圧倒される感じ。
引き込まれるように、あっという間に読んでしまった。

 

震災の後、南相馬市臨時災害放送局南相馬ひばり エフエム」 で「ふたりとひとり」というラジオ番組のパーソナリティを担当することになった柳さん。ひとりが柳さん。地元のふたりがゲスト。そして、被災を経験した人々の話を聞いていると、その土地にいる理由を自分が生きたより前のことから語る人が多く、「人は物語がないと生きられない」と感じたという。そして、物語には、後悔も含まれる。

 

柳さん自身の後悔の経験が語られている。 『石に泳ぐ魚最高裁敗訴、『8月の果て』連載打ち切り、、、迷惑をかけた編集者へ、10年以上たって謝罪の手紙を書いたのだそうだ。でも、中には謝罪の手紙を書こうにも書けなかった人もいたのだと。亡くなってしまった人。鷺沢萠さんの名前が出てきた。鷺沢さんはお祖母さんが韓国人、柳さんは両親が韓国人。 仲良しだったのに、あるとき「美里と一緒に韓国語を勉強したい」といわれたのに、柳さんは「勉強するんだったらひとりでする」と鷺沢さんに返事をした。それっきりだったのだそうだ。

 

本文から引用すると、

”鷺沢は私が在日韓国人であることに親近感をもってくれていました。でも私は朝鮮半島にルーツを持つ同胞だからという理由で親しくしていたわけではなかった。だから、一緒に勉強しようという申し出をべったりしたものに感じ、その違和感をそのまま手紙を書いてしまったんです。
私たちはそのまま絶縁してしまいました。その2年後だったと思います。鷺沢は35歳の若さで自ら命を絶ってこの世を去りました。
もう私は鷺沢萌に謝罪の手紙を送ることはできないのです。”
と。。。。

 

こんな後悔を、ここにこうして書くことの覚悟。。。 
この、潔さというのか、たくましさというのか、、、素の自分をさらけ出せるほど強いことはない。。。。
体露金風(たいろきんぷう)の境地かな・・・。

megureca.hatenablog.com

そんな柳さんの強さが、時に人を魅了し、時に人を遠ざけるのかもしれない・・・。

 

そして、柳さんは、生きている人が相手であれば、対話することはできるはず、という。若いころは、すぐに対立になってしまったけれど、それでは相手との回路を切ってしまうだけだということに気が付いた。

「ひとりとふたり」をやっていると、柳さんにネガティブな印象を持っている人が相手のこともある。それでも、相手の「美質」を探り出すことができれば、対話は成立できる、と。

 

柳さんの育った環境の話しがでてくるのだが、家に帰ってこない父親、夜の商売に出る母親、、、、自殺未遂、補導、退学処分、、、ほんとに、すさまじい・・・。両親とも柳さんを立派な人間に育てたいという気持ちはあった。それが空回りしていたのかもしれない。
私には、想像がつかない世界・・・・。

 

そして、高校退学ののち、東京キッドブラザーズに自分の居場所をみつけた柳さん。
訳者、演出家、、、色々やってみたが、すぐに人と対立してしまう。そして、残ったのは作家の道だった。書くことが柳さんの生きる道だった。「書くこと」を見出せたのは、「人生に向いていないこと」がわかったからだ、と。役者も、演出家も、やってみたからこそ、むいていない、と柳さんのなかで結論づけたのだろう。


さまざまな不本意な過去があるから、今がある。

 

柳さんの人生を決めたともいえる東さんとの出会いは、柳さん16歳、東さん39歳のとき。23歳違い。アルコール依存症でもあり、最後はガンでなくなった東さん。修羅場の連続だった二人だったけれど、最後には東さんを看取った柳さん。めちゃくちゃだ。生まれたばかりの一人息子を、町田康さん夫妻に預けて、余命1ヵ月となった東さんの病院に泊まり込んだ柳さん。東さんが予言した通り、その時柳さんは別の男の人の子供を産んでいた。。。そして、東さんから最初で最後の「ありがとう」を聞いた最後の日。

 

柳さんにとって東さんとの日々は、不本意なこともいっぱいあったのだろう。でも、それが今の自分をつくっていることに確信があるから、こうして全部をさらけ出してかけるのだろうな、、、と思う。


本が売れずに、貯金がゼロになったこともあるそうだ。息子が4歳の時。うつ病も患って、書くどころか、起き上がることも出来なくなった。それでも、子どもの時からお金がないならないなりの生活があると知っていたから、息子と一緒にたくましくいきてくることができたのだ、と。
古今亭志ん生の「貧乏ってのはするもんじゃねぇ、たしなむもんです」に近い心持だったと。 

 

今(本書執筆中)、高校生になった息子の学校行事に参加していると、なぜ自分は高校生活をおくれなかったのだろう、と過去を振り返るのだそうだ。睡眠薬で自殺未遂。海に飛び込んでみたけれど浜辺に打ち上げられる。ビルの屋上から飛び降りようとフェンスを登っているところを管理人に引きずり降ろされる、、、そして、完全に精神のバランスを失い、精神科へ。一緒に死のう、と母親が出刃包丁を握り締めていたり、油のボトルとライターを手に枕元に立っていたり。でも、母親に殺されるのは嫌だった。あのまま家にいたら、母親に殺されるか、自分が母親を殺していた、、、と。

 

そして、横浜共立学園を退学になった柳さんは、東京キッドブラザーズに居場所を見つけることになる。

 

横浜共立学園で、柳さんの退学処分を反対してくれていた恩師の話が出てくる。その先生のおかげで、聖書とであったのだ、と。当時の柳さんは、聖書にのめり込んでいた。

コリントの信徒への手紙 第13章 4-7節」の言葉を油性マジックで腕に書いていたのだ、、、、と。

きっと、きいたことがあると思う。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える

これを半袖のセーラー服からでている腕にかいたのだと、、、。尋常じゃなかった、と。

そして、今でも学園の生徒手帳にあった「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」の聖句を大事にしているのだそうだ。


第四章 死では、東さんの死について語られている。また、震災についても。すさまじい生が語られた後の死についての言葉は、パワフルだ。

 

たくましく生きる。

それに尽きるかな・・・・。

 

タフに生きる。

やらなくていいことをしてるかもしれないし、それを後悔するかもしれない。

でも、過去は今の自分をつくっているものなのだから、それを否定しても何も始まらない。

 

タフに生きる。

あとから、「やらなくていいこと」だったとおもったって、それでいい。

そういう、タフな気持ちをくれる一冊だった。

 

うん、

やっぱり、読書は、楽しい。

私は、柳さんの様には生きられないけれど、私なりのタフさで生きていく。