『夜明け前 第二部 (下)』 by  島崎藤村

夜明け前 第二部 (下)
島崎藤村
新潮文庫
昭和30年3月15日 発行
平成24年6月20日 64刷改版 

 

第二部(上)に続いて、(下)。

megureca.hatenablog.com

 

裏の説明には、
”新政府は半蔵が夢見ていたものではなかった。戸長を免職され、神に仕えたいと飛騨の神社の宮司になるが、ここでも溢れる情熱は報われない。木曽に帰り、隠居した彼は仕事もなく、村の子供の教育に熱中する。しかし夢を失い、失望した彼はしだいに幻覚を見るようになり、ついには座敷牢に監禁されてしまうのだった。小説の完成に7年の歳月を要した藤村最後の長編である。 ” と。


(上)の最後で、娘の粂は嫁入りを喜ぶどころかどんどん暗くなっていくし、いったいこれからどうなるのだろう、、、と思って(下)を読み始めるのだが、半蔵には次から次へと試練が・・・。


なんだか、第一部(上)(下)、第二部(上)と歴史の説明ばかりの小説だなぁ、とおもって読み続けてきたけれど、ここまできてドーンと半蔵中心の物語に。半蔵の人生が歴史の流れに翻弄されていく、辛いお話だなぁという感じ。

 

感想。
いやぁ、、、、島崎藤村が7年かけて書いたわけだ。
第二部(下)は、ハラハラドキドキしながら、一気読み。


主人公の青山半蔵、つまりは藤村のお父さんが18歳で始まった第一部から、最後は56歳で亡くなるまで。父を亡くし、師匠を亡くし、そして語り合うべき友人にも先立たれ、平田一門のように「国学」を広めたいという半蔵の夢は叶うことなく、時代に取り残された人のように余生をすごした半蔵。
明治維新という、急流に流されていった一人の日本人の人生。。。時代の流れにのる子どもたち世代とは違い、「復古」をねがった半蔵は取り残されていく。
なんとも、セツナイお話だった。


そうか、夜明け前って、そういうお話だったんだ、、、って読んでみて初めてわかった。この第二部(下)を書くために、第一部があったんだ、、、って思う。第一部にでてきた半蔵の周りの人々が、第二部で再び登場するのだが、人によっては時代の流れに乗ってうまく生き抜いている。あるいは、隠居して過去の想いを捨てることによって、生き抜いている。いつまでも、自分の夢にこだわり、ついには常軌を逸した行動をとるようになってしまった半蔵は、たぶん、時代の流れに乗れなかった人、、ということなのだろう。そういう人々はたくさんいただろうし、そういう人の視線で「明治維新」を書いたのが、この小説、ということなのだろう。

幕末~明治にかけて、もう一度歴史を勉強し直したくなる、そんなお話だった。藤村が、長い年月をかけて書いたという重みが、ひしひしと伝わってくる。

 

半蔵は、家業を守るために、若い時には自分の夢だけを追うことはしなかった。だけど、300年続いた馬籠宿本陣としての家業は明治維新で存在価値を失ってしまう。自分が守ってきたものはなんだったのか・・・。そして、自分の情熱の持っていく場所を失っていく半蔵・・・。
悲しいというのか、むなしいというのか、、、セツナイ。


以下ネタバレあり。

 

明治維新の変革の中で、人々の生活は変わっていく。明治元年には全盛だった平田一門も、明治3年には人気はガタ落ち。新政府は、「国学」や「復古」ではなく、西洋にならった近代化への道をまい進し始めたのだった。それは「深い地滑り」のようであった。かつて半蔵があがめた平田一門の人も、その活躍の場を変えていく。半蔵の友人たちも、病んで床につきっきりになったり、社会をすてて隠れてしまったり。


「御一新」によって、女たちの世界も大きく変わった。これまで、父に従い、男に従ってきた女たちが、個人として社会に出る時代になっていった。そんな流れに影響された半蔵の娘・粂は、祖母の実家の縁で嫁ぐことを拒み続け、とうとう自害してしまう。幸いにも命は助かり、数年後には心新たに別のところへ嫁ぐことになり、半蔵よりもたくましく生き抜いていく姿が描かれる。

 

半蔵は、息子・宗太が18歳になったのを機に、家督を宗太に譲り、40代で隠居する。隠居の身となった半蔵は、明治7年に東京に出る。若いころに世話になった多吉夫妻に世話になりながら、知人のつてで教部省で半年ほど働く。しかし、新政府で働く人々は、半蔵のように「国学」を愛する人ではなく、半蔵は失望し、半年でその職をやめる。

ある日、帝の行幸があるときいた半蔵は、一目見ようと街に出かける。そしてそこで新政府を批判するかのような詩を書き記した扇子を手に、帝の一行の前に飛び出してしまうのだった。不敬漢として逮捕。5日間の拘留。。。
東京で起きたこの事件は、木曽まで聞こえてきて、半蔵はとうとう狂ってしまったと噂される。半蔵を信じる妻のお民や、隣問屋だった伊之助だけは、半蔵のことを信じ、無事の帰りを待つのだった。
扇子事件は、裁判の後、罰金だけの処分となる。そして、その後半蔵は、飛騨水無神社の神宮となって4年間を山奥で過ごす。しかし、そこでも失望する。「復古の道は絶えて、平田一門はすでに破壊した」ことに嘆く半蔵は、木曽にもどり、義母、お民や宗太に言われるままに、隠居宅で過ごす。もともとお酒が好きだった半蔵は、隠居と同時にお酒を節制するようにと義母や宗太に言われる。56歳にして、初めて禁酒した半蔵だったが、精神のバランスを崩していくようになる。そして、こともあろうか、自分の祖先が開祖である万福寺に火をつける。火は、寺を焼き尽くす前に消し止められて事なきをえたけれど、いよいよ半蔵が狂ったとみた人々は、半蔵を座敷牢にいれることにする。
そして、半蔵は、狂ったまま座敷牢の中で死んでいく・・・。 

 

結局、半蔵は人一倍の「国民教化の基準を打ち立てたい」という情熱を持ちながら、時代の変化についていけず、家族にすら理解されない人となってしまった。

そんな父親の一生を書いた藤村の気持ちは、どんなものだったのだろうか?

 

小説の中で藤村自身は、半蔵の末っ子として東京に行き、「英学」を学びたいと言って半蔵をがっかりさせる息子との一人・和助として描かれる。父の想いに応えることができなかった藤村は、どういう思いでこの小説を書いたのだろう・・・。

 

明治維新という外部環境の変化によって、人生を翻弄された一人の人。変革を担っていった人たちにとっては、最先端で国を動かし、日本を近代化に導いた英雄物語かもしれないけれど、半蔵のような人にとっては、それは「革命」に等しく、テロに近い。。。ある日突然、免職され、土地すら国の物だといわれ、、、。

 

急激な変化は、素晴らしい成果の影で、地滑りのように埋もれていく者たちもいる、、そんなことを考えさせられるお話だった。

 

いやぁ、、、やっぱり、昔の小説って濃いなぁ。

読み応えたっぷり。

 

幕末から明治を勉強し直したら、もう一度よんでみてもいいな、って思った。きっと、私の理解は、藤村が描こうとしたことの数%程度だろう。

ほんと、濃いお話だった。

読んでよかった。