『貝と羊の中国人』 by  加藤徹

貝と羊の中国人
加藤徹
新潮新書
2006年6月20日

 

 2022年12月の勉強会で、中国がテーマとなり、『中国の論理 歴史から解き明かす』(岡本隆司 中公新書)が課題本だった。勉強会も『中国の理論』も、中国の二面性を理解するという意味で興味深かったのだが、その際に、本書『貝と羊の中国人』も中国を理解したければとても参考になる、と薦められたので、図書館で借りてみた。

 

 表紙の裏には、
”財、貸、賭、買・・・。義、美、善、養・・・。貝のつく漢字と羊のつく漢字から、中国人の真相が垣間見える。多神教的で有形の財貨を好んだ殷人の貝の文化。一神教的で無形の主義を重んじた周人の羊の文化「ホンネ」と「タテマエ」を巧みに使い分ける中国人の祖型は、3000年前の周殷革命にあった。漢字、語法、流民、人口、英雄、領土、国名などあらゆる角度から、斬新かつ大胆な切り口で、中国と中国人の本質に迫る。” 
と。

 

感想。
めっちゃ、面白い!!!
これは、今まで読んだ中国に関する本の中では、ダントツに面白い。2006年の本なので、今ほど中国が存在感を高める前ではあるけれど、とても参考になる。
いったい、この筆者は経済学者なのか、歴史学者なのか、なんだろう???とおもって読んでいたのだが、最後に、
筆者の専門は、「京劇」という中国の伝統演劇である。”とでてきた。京劇の専門家だからこそ、社会的で人間臭い中国の特徴を良くとらえている、ということだったようだ。なるほど、なるほど。身近な感じで読めたわけだ。
日本との比較だけでなく、ローマ帝国や欧米各国、ソ連(ロシア)との比較の説明などもあって、とてもわかりやすいし、身近に感じられる。
 こりゃ、いい本だ。
 勉強会で、大先輩の男性(とある会社の取締役社長でもある。かつ、とても柔らか頭な方)が薦めてくれた訳だ。図書館で借りてから、だいぶ放置していたのだけれど、ほんと、面白かった。

筆者の加藤さんは、1963年東京生まれ。広島大学大学院総合科学研究所助教授。東京大学文学部中国語中国文学科卒業。90~91年、北京大学留学、だそうだ。


目次
第一章 貝の文化 羊の文化
第二章 流浪のノウハウ
第三章 中国人の頭の中
第四章 人口から見た中国史
第五章 ヒーローと社会階級
第六章 地政学から見た中国
第七章 黄帝神武天皇
終章 中国社会の多面性

 

 最初に、タイトルとなっている「貝」と「羊」の文化について。漢字の字源と国民性について語られている。
しょっぱなから、えぇぇ?!?!という、漢字の字源の説明から始まり、ぐっと好奇心をわしづかみされる。

「県」「民」「祭」の文字の字源が衝撃的な話しだった・・・。

 

」は、「首」を上下さかさまにした形で、原義は「切断した首をさかさまにつりさげる」
「民」は、「針を目でつぶされた奴隷」。最後の一画の斜め線は、「ひとみを突く針」の名残。
「祭」は、肉のヨコに手(又)を添え、その下に「示」を書いた会意文字。「犠牲の肉を手に持って神霊に捧げる」

だそうだ。


筆者にとって、「県民祭」という看板は、おもわずにやりとわらってしまう、、と。

と、そんな漢字の話から、貝と羊について。それぞれの文化を持つ2つの祖先が出会ったのが中国人(漢民族)の始まり。

ここでも導入説明も面白い。人が父と母の出会いから生まれるように、民族の誕生も異質な二つの集団がぶつかり合って始まる、というのだ。事例をあげられると、たしかに!

インド人の祖型は、3500年前の「先住民・ドラヴィダ人」と「征服者・アーリア人」の衝突
日本人の祖型は、2千数百年前の「在来系・縄文人」と「渡来系・弥生人が混淆してうまれた。
イギリス人の祖型は、1500年前に「外来・アングロ・サクソン人」が「在来・ケルト人」を征服することで生まれた。

なるほど。

そして、中国の祖型は、3000年前の「殷」と「周」の二つの民族集団がぶつかってできた

 

 「殷」の本拠地は、豊かな東方の地だった。目に見える財貨を重んじ、農耕民族的多神教的で神々は人間的だった。八百万の神々は、酒やごちそうなど、物質的な供え物を好んだ。殷人は、自分たちの王朝を「商」とよび、周に滅ぼされた後には、土地を奪われて亡国の民となり、いわば古代中国版ユダヤとなった。「商人(しょうひと)」と自称していた殷人は各地に散った後も連絡を取り合い、物財をやり取りすることを生業とした。「商人」の語源は、ここにあるらしい。これが、「貝(有形の財にかかわる漢字)」を代表する文化。老荘的=道教的文化

 

 一方の「周」は、中国西北部遊牧民族と縁が深く、血も気質も、遊牧民族で「羊」と縁が深かった。そして、農耕民族が豊かな自然環境に住んでいるために地域密着型の多神教になりやすいのに対し、広漠たる大草原や砂漠地帯を移動しながら暮らす遊牧民族は、空から大きな力がふってくるという普遍的な一神教を持ちやすいという。そして、唯一至高の神である「天」を信じる。「天」はイデオロギー的な神であり、物質的な捧げものよりも、善や義などの無形の善業を好む。無形の「よいこと」にかかわる漢字には「羊」が含まれる。義、美、善、祥、養、儀・・・・。なるほどぉぉ!!そして、周は孔孟的=儒教的文化となる。

物質的な「貝」の文化と、精神的「羊」の文化を併せ持っているのが中国、と言われると大きく頷いてしまう。

ここを読んだだけで、なるほどぉぉぉ!!と膝を叩きまくった。

 

第二章では、いにしえより流浪してきたので、中国人は他国に行ってもタフに生き抜くって話。
 1860年代、アメリカの大陸横断鉄道建設時、労働者として多くの中国人がアメリカに渡った。日本人や、黒人も、多くの人が大陸に渡り、多くは悲惨な運命をたどったが、中国人だけは違った。中国人は、数千に及ぶ歴史の中で広大な国土をあちこち移動してきたために「流浪のノウハウ」を持っていた。用心のために生水や生ものは口にしないし、疲れが溜まれば仲間同士で鍼をツボにさし、独特の指圧やマッサージのよって体調不良を治し合った。中国人は、どこにいっても秘密結社や互助組織などネットワーク作りが巧みで、同郷人のコミュニティーに飛びこみさえすれば、餓死する恐れはなかったのだ、、と。
 その逞しさ、わかる気がする。
 1868年の戊辰戦争で官軍に敗れ、賊軍といわれた旧会津藩士ら40人は、カリフォルニア州ゴールド・ヒルに渡った。彼等は「若松コロニー」を作り、懸命に働いたが、疫病で次々倒れた。バックアップしてくれるネットワークもなく、開拓資金はたちまち底をつき、若松コロニーは二年足らずで閉鎖となった・・・そうだ・・・。むむむ、さもありなん・・・・。

 

第三章では、中国人の合理的な考え方について。中国では、病院の前に葬式屋があるのは当たり前だそうだ・・・。
「お茶はひとりでにはいらない」という項があったのだが、何のことかと思ったら、日本人はお客さんにお茶を出すとき、「お茶が入りました」と自動詞的な表現をつかう。「お茶を(あなたのために)入れました」等とは言わない。しかし、中国では、「私は、あなたのためにお茶を入れました」という言い方をするのだそうだ。そして、それを恩着せがましくいっているのかというと、そういうことではないらしい。
 中国人にとっては、「大恩」と「小恩」があって、食事をご馳走したりお茶を入れたりするのは「小恩」で、その場でお礼を言っておしまい。日本人のように「先日は、御馳走になりありがとうございました」なんて数か月後に言うと、「この人はなぜ、そんな昔のことを蒸し返すのか?もう一度おごってほしいのか?」と勘ぐってしまうのだそうだ。
 貸し借りの感覚はあるけれど、大と小で使い分ける、その感覚が日本人とは異なるようだ。


第四章の人口の話では、中国は常に過剰人口→(飢餓などによる)大量死→人口過剰を繰り返してきているのだと。そして、慢性的に人口過剰な中国では、文明は必然的に「政治的文明」になった。
また、面白いのが、釈迦やキリストは政治家ではないのに対して、孔子老子孟子は政治について熱弁をふるった、と。仏教やキリスト教の「聖人」は宗教者だが、儒教道家思想の「聖人」は理想的な政治家を意味するのだと。
これも、なるほど!と、膝を打つ。

 

第五章では、ヒーローと英雄について。三国志で言えば、諸葛孔明は英雄。曹操劉備はヒーロー。うん、わかる気がする。ヒーローは、失敗や欠点があっても「人間味」が豊かで、大衆がみとめればいいのだ。諸葛孔明は、英雄でありヒーローでもある。
そして、中国では「易姓革命」によって「天子の姓を易え、天命を改める」ことがしばしば行われ、そのたびに登場したのがヒーローであり、英雄。多くは、田舎の貧しい地域からトップの座を射止めている。前漢の高祖劉邦なんて、田舎の農民で、生まれも両親の名前も不明。それでも、中国では「天子」になれてしまうのだ。

 中国では、田舎の出生のわからない人でも民衆は「皇帝」として受け入れた。太古の「神話」ではなく、「天命」すなわち民衆の総意が重要だったから。
日本では、下剋上があっても、「天命」という総意はない。豊臣秀吉も天下人とはなったけれど、自分が天皇になるという野望はもたず、関白で満足した。中国なら、秀吉が天皇にとってかわっても珍しいことではなかったのだ・・・。なるほど、なるほど。 

 

長くなるので、ここまでにするけれど、他にも、なるほど!ということがいっぱいだった。

薦められた本は、読んでみないとね。

読みたい本がたまっていく・・・。

嬉しい悲鳴。

 

やっぱり、読書は楽しい。