「大学入学はゴールではなく、スタート」

「大学入学はゴールではなく、スタート」

 

佐藤優さんの『16歳のデモクラシー』を読んでいて、受験生に今こそ伝えたい、、、と思った。

megureca.hatenablog.com

 

「大学入学はゴールではなく、スタート」

 

大学受験に限らず、大人の資格試験において大事なことだな、と思う。


大学は、本来なにかの勉強をしたくて行くのだから、当たり前といえば当たり前だけれど、大学に入学すること、大学を卒業したという学歴をつくることが目的ではないからね、って。大人の資格試験なら、資格マニアっていうのもありかもしれないけれど、、、きっとそれは満たされない何かをもとめているだけ・・・。資格マニアって、承認欲求なんだろうな。本来は、その資格を何かに活かすために受験するのだろう。ま、勉強そのものが楽しい、っていうのもある。私は、決してマニアではないけれど、資格試験のための勉強をするのが嫌いではない。勉強が好きっていうのとも違う。ま、どっちかっていうと、新しいことへの好奇心が満たされるのが好き。私自身が、承認欲求が強いのかもしれない。

 

そして、佐藤さんは、高校生たちに大学を選ぶ際に重要なのは、「家庭の財力で、金銭的負担が可能なところ」にすること、と言っている。これも、大事だ。奨学金は人生の借金になるから、できるなら奨学金をあてにするな、と。下宿をすると、生活費を稼ぐためにアルバイトが必要になり、勉強する時間がそがれる。だから、自宅から通える大学を選ぶというのは、大事なことなのだ、と。

 

そう、大学というのはこれからの人生において、大事な基礎固めをする時間なのだ。金銭的不安なく勉強が続けられるというのが、どれほど恵まれたことなのか。

 

本の中で、佐藤さんは映画「ビリギャル」の話をする。ビリギャルの主人公さやかちゃんだって、塾に通うお金のある家庭の子の物語。塾に通えるお金があるというのは、めぐまれているのだ、と。そして、はたしてさやかちゃんは慶応大学にいって幸せだったのか??と佐藤さんは問いかける。

 

たしかに、学生時代、下宿して、奨学金をもらって通学していた友人たちは、生活費を稼ぐのに忙しく、アルバイトという口実で授業をさぼることがよくあった気がする。私は、幸い自宅から通っていたし、生活のためのアルバイトは不要だったので、随分と楽な学生生活をさせてもらったんだ、と今更ながら思う。学費だって、あまり気にしたこともなかった。両親に感謝。

 かといって、真面目に勉強していたかというと、、、、そうでもなかったけど。私は、時代に恵まれていた。家庭にも恵まれていた。ただ、運がよかったのだ。つくづくそう思う。今だからわかることだけど。もっと高校生の時に勉強すればよかったなぁ、って思う。50歳を過ぎた今でも、高校生の教科書を読んでも新たな発見がいっぱいある、、、。まぁ、それはそれで、学びの愉しみを人生後半にとっておいた、、、といえばそうかもしれないけれど、自分の無知をかみしめる今日この頃・・・。確かに、一応、博士であり、ある専門性は持っている。でも、リベラルアーツといわれれば、まだまだ、もっともっと、勉強したいことがたくさんある。勉強だけをしていればいい学生というのは、人生において本当に貴重な時間なのだ、って、今になるとわかる。

 

私が人生で一番勉強したのは、間違いなく会社に入ってからだ。研究が面白かったというのが一番の理由だけれど、好きな勉強をして好きな研究をしてお金がもらえて、余計なバイトをしなくていいというのはなんと幸せなんだ、と、入社当時おもったものだ。

もちろん、会社で必要とされた資格試験を受ける勉強もしたけれど、その基礎知識は会社の中で研究、マネジメント、色々なところに活かされたと思う。

だから、「大学入学はゴールではなく、スタート。」というのは、大学という言葉を、「資格試験」に置き換えてみると、大人にも当てはまる

 

勉強したことは、かならず後で何かに役に立つ。そのときにはわからなくても。

点と点がつながることがある。

 

その資格試験を受験するために勉強をしている間は、たしかに新しい知識がはいって楽しい。で、その資格とってどうするの?って聞かれると、その先がなかったりする。
でも、それでもその勉強をする愉しみ、「合格」とうい言葉の達成感、そういうものがあるから大人も勉強する。あとから、つながることも、あとから楽しい。

 

資格試験というのも、大学入試試験も、結局のところ何かを極めるための基礎固めなんだと思う。受験勉強でつくった土台の上に、更に何を築いていくのかは、自分次第

合格はゴールではなく、スタート。

 

合格したら、受験で覚えたことをぽっかりわすれちゃったりするけど、ツンツンと記憶の底をつつくと、記憶がつるつると繋がって出てくることがある。それが、基礎なんだろうし、その積み重ねで知識、スキルは自分の血肉になる。


 時を表すのに、カイロスという言葉がある。24時間、誰にも流れる「クロノス」に対して、「カイロス」というのは、何かの変換点。佐藤さんが高校生たちに語ったのは、「高校入学試験に合格した日」が彼等のカイロスの一つ。結婚、就職、離婚、退職、人生の区切りになるような点。

カイロスは、終わりであり、常にスタートでもあるということだと思う。

 

1945年8月15日、戦争が終わって、戦後が始まった。まさに、新しいスタートを切った。


一方で、ゴールしたと思ったらすぐにスタートでは、休む暇がない。
だから、時として点ではなく線のカイロスもあるのではないか、という気がする。

若い時は、点のカイロスが多くて、歳をとると線のカイロスが増える、、、そんな気もする。

 

『仕事はたのしいかね?』のなかに、「今日の目標は明日のマンネリ」という言葉があった。

megureca.hatenablog.com

 

目標のマンネリ化って、人生のマンネリ化。出来れば避けたい。加えて避けたいのは、ゴール到達後の燃え尽き症候群。。。そうならないように、ゴールのその先をいつもイメージしていると、目の前の小さなゴールだけに燃え尽きない。

 

ゴールは、スタートのためにある。

 

資格試験は合格するまでずっと目標だ。でも合格したら、その目標は一旦おしまい。そんな時、すぐに新たなスタートを切ることも大事だけれど、線のカイロスとおもって、じっくり目標を考え直す時間もいい。

 

人生のロングバケーションだって、たまには必要だ。

 

それを味わうためにも、まずは、ゴールをめざそう。

次のスタートのために。

 

受験生、がんばれ!!!

私は、努力は必ず報われる、とは言わない。

でも、自分の血肉になる。

それは、誰にも奪うことのできない自分の中の財産になる。

 

良い師に学べ。

学ぶ方法はいくらでもある。

それでも、効果的であり、効率的な学び方を学んだら、実践するのは自分しかいない。

 

新しいスタートのために、今の目標がある。

まずは、今の目標達成に向けてがんばろう!

 

そう、これは、いまもってロングバケーション中であり、受験生でもある自分に向けての言葉である。いくつになっても、学成り難し・・・・。