『私の半分はどこから来たのか 』 by 大野和基

私の半分はどこから来たのか 
AID (非配偶者間人工授精)で生まれた子の苦悩
大野和基
朝日新聞社出版
2022年11月30日 第1刷発行


2023年1月7日、日経新聞朝刊、書評欄に出ていた一冊。 不妊治療の一つとして AID(非配偶者間人工授精) が選択肢になっている一方で、日本ではその法制度が進んでいないという問題について取り上げている本。 

 生殖補助医療といっても、色々あるのだが、本書はその中でも男性側の無精子症等が原因で妊娠が望めない場合に、三者からの精子提供で出産するというAIDにまつわるレポート。特に、生殖医療に興味があるわけではないのだけれど、「私の半分はどこから来たのか」というタイトルが気になって、読んでみた。図書館で予約したら、すぐに借りられた。

 

 著者の大野さんは、1955年兵庫県生まれ、ジャーナリスト。大阪府立北野高校、東京外国語大学英米学科卒業。79年から97年米国滞在。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学基礎医学を学ぶ。帰国後も海外取材豊富。ポール・クルーグマンジャック・アタリジョセフ・ナイ、リンダ・グラットン、ジャレド・ダイヤモンド、ユヴァル・ノア・ハラリ、マルクス・ガブリエルら世界的な識者への取材を精力的に行っている、とのこと。すごいな・・・。

 

表紙裏には、
”近年、家族間は劇的に変容した。社会が新しい家族の形に対して驚くほど寛容になってきたと思う。いずれ AID で生まれた事がスティグマにならない社会がやってくることが期待される。それは「なぜ AID を使ったのか」、親が自信をもって子供に説明することから始まる。必要なことは法整備とカウンセリングの充実である。子供に伝えるべきかどうかではなく、いかに伝えるかが重要になってくるのである。  ー本文より。”とある。

 

感想。
う~~~む。
よくわからないなぁ。。。。

AIDで生まれることはスティグマなのか???

stigma:汚名、恥辱、不名誉、、、。アメリカが長い著者だから、そういう感覚なのか?日本でも??
子どもを持たない私には、よくわからない。。。。子どもを持ちたいけれど生殖機能の問題で持てない人が、AIDで子どもをもちたいということそのものが、私にはよくわからないのだ。否定するつもりもない。技術の進歩で、AIDによって子供を授かれるようなっているのは、それによって救われるひとがいるのなら、素晴らしいことだと思う。でも、いったい、だれが救われるのか???親なのか?生まれてくる子供なのか??はたまた、祖父母なのか?!?!

 

読んでいて、本文中にでて来る、精子提供バンクの人の言葉に違和感をおぼえてしまった。彼の設立した精子バンクを利用する人が増えたことについて、
”自分から宣伝する必要がなくなりました。ドナーの選択、精子の数や状態などから見ても最高の精子を提供したからです。”
とあるのだが、生理的な最高だけでなく、そもそもドナーに遺伝的病気がないかなどが調べられ、精子を買う側は、人種や学歴、などなど、、、、の条件の中から精子を選べるというのだ。

「最高の精子」って、何????って、違和感を覚えてしまうのだ。


まぁ、そういう私の個人的感想は別として、本書が掲げるAIDの問題とは、日本での法整備の遅れについて。 

 

海外ではAIDで生まれた子どもたちが、父親のことを知りたいという希望からそれを支援する団体が生まれ、精子提供者の情報管理、AIDで生まれた子供がそれを知る権利などが整備されているのだという。
「あなたはお父さんとは血がつながっていない」と言われた時の衝撃を考えると、AIDであることは、子どもが幼いうちに告知しておくべきだという。告知するかどうかの問題ではなく、告知するのは当然で、いつするか、ということ。幼いほど良いという。しかも、一度話しておしまいではなく、繰り返し、そうして生まれてきたあなたを愛していると伝え続けることで、血のつながらない父親であることを自然にうけとめられるのだという。

 

本書の中には、実際にAIDで生まれた人たちのインタビューが複数でてくる。大人になってから知ったことで、母にも父にも愛情を感じられなくなったという人、子どもの時から聞かされていたので、違和感なく受け入れられたという人、さまざまなケースが存在している。それぞれの人が、本人の顔写真付きで紹介されている。

 

一人目のケースが、日本人だ。慶応大学医学部生だった加藤英明さんは、2002年、医学部5年生のときに研修のなかで自分と両親の血液の分析を行った。そして、「お父さんと血がつながっていない」ということが判明したという。学校での検査結果を母に話すと、「そんなこともあるかもしれないね」と言われたという。母親は、なかなか子どもができず、原因が夫にあることがわかったので、AIDで英明さんを授かったのだという。
英明さんは、母親から真実を聞かされるまで、父親と血のつながりが無くても、ひょっとすると親戚からの養子だったのかと思っていたそうだ。知っているおじさんが血のつながったお父さんということなのかもしれない、と。でもAIDとわかり「自分の父親が誰だかわからない」ということに、突然怒りを覚えるとともに、「喪失感」を覚えたのだという。自分の半分が、何だかわらなくなってしまったのだ。

 

AIDとは、Artifical Insemination by Donor。「非配偶者間人工授精」。夫のものではない精子を子宮に注入して、妊娠・出産する方法で、日本では1949年8月に慶応病院で、初めて提供精子による子供が誕生した。精子を提供するのは主に慶応大学医学部制の学生であるが、匿名を条件としているので、あとから血のつながった父親を探そうとしても大学は教えてくれない、ということだそうだ。

 

加藤さんは、AIDを実施した医師に会いに行き、「遺伝病の心配」「知らずに血のつながった女性と結婚してしまう心配」を話したが、「そんな確率は低い。生まれたことに感謝しろ」と笑ってごまかされてしまった感だ、という。

 

自分の遺伝子がどこから来たのかわからない、という事実も衝撃だが、これまで血のつながった親だと思っていた人がそうではなかった、と大人になってから知ったときの衝撃はまた別の意味で大きいという。大人になってから自分がAIDで生まれた子供だと知った人にとって「アイデンティティの半分喪失」という感覚は、皆共通のようだ。
それは、そうかもしれない・・・。

 

そして、その半分をもとめて父親捜しをした時、それをサポートできる仕組みが海外ではととのってきたが、日本ではまだだそうだ。かつては匿名提供が一般的だった精子提供者は、海外の精子バンクでは非匿名となっている。かつ、子どもが望めば自分にコンタクトすることを認めることが求められる。ただ、法的に養育の義務は負わないなど、あくまでも「子供が自分の出生を知る権利」を守るための法律だ。


「子供が自分の出生を知る権利」は、あったほうがいい気がする。たしかに、AIDでうまれたのであれば、情報管理ができればそれは実現できる。でも、実際には、非配偶者間子どもの誕生は、AIDだけではないだろうし、、、、とも思う。

 

本書の中で、自分の精子で数十人の子供が生まれているという人の話がでてくる。不妊カップルを助けているのだ。それは、人助けなのだろう。いい悪いではないけれど、もしも、私の父親が精子ドナーになっていて、実は世界中に父の子供が何人もいる、って言われたらどうだろうか??子供の時からそう聞かされていたら、そういうものかとおむかもしれないけれど、もしも大人になってからいわれたら、、、、。私なら、あってみたいって思ってしまう。そして、ある意味お互いの人生が交わることのない赤の他人にもかかわらず、赤の他人とはおもわないのではないだろうか。。。。

 

子ども側の視点、ドナー側の視点、ドナーの家族の視点、、、、。言いだせばきりがないけど、ただ一つ確かなのは生まれてきた命はどんな背景であれ、尊いということだ。

 

遺伝的つながりは、生物としてはそれ以上のつながりはない。でも、人間社会では遺伝的つながり以上のつながりが多くありえる。それでも、やはり、自分のアイデンティティを遺伝に求めるのは生き物の本能なのだろう。だからこそ、養子ではなく、攻めて半分でも自分の遺伝子を、、、、ということでAIDを選択するのだろう。

 

生殖医療って、科学ではない。科学の力で解決できるということと、それを実際に行うというのは違う。以前、同世代の産婦人科の医師が、「出生前診断」をすることの意味に疑問を呈した講演をしてくれたことがある。命の選択、、、、。難しい問題だと思った。

 

生まれてきた子供の権利を守る法整備、確かに大事だと思う。でも知らないでいる権利もあっていい気もする。簡単にDNA検査ができてしまう今だからこそ、知る権利も、知らないでいる権利も、大事だ。

 

生殖医療は難しい。命に優越はつけられないけれど、「精子を選ぶ」って優越を付けている気がする。結婚相手を選ぶっていうのも言ってみれば優越を付けているのかもしれないけれど、「人」を選ぶのと、「遺伝子」を選ぶのって、違うだろう・・・・。

 

科学が発達するほど、倫理的悩みは増える。理性の限界、ってやつかな・・・。

サイエンスとして難しいのではなく、倫理的に難しい一冊だな、って思った。

 

それでも、こういう問題が世の中にあるっていうことが伝わる一冊だった。

 

AIDで生まれたことがスティグマである必要なんて全然ない。シングルマザーだって、愛人の子供だって、なんだって、生まれてきたことにスティグマなんてこれっぽっちもない。生まれてきた事、それだけで素晴らしい。

それでも、「アイデンティティの欠如」を感じてしまう人がいるのであれば、それをサポートできる法整備ができればいいと思う。