『言語はこうして生まれる』 by モーテン・H・ クリスチャンセン、 ニック・チェーター

言語はこうして生まれる
「即興する脳」とジェスチャーゲーム
モーテン・H・ クリスチャンセン
ニック・チェーター
塩原通緒 訳
新潮社
2022年11月25日 発行
*THE LANGUAGE GAME 
 How Improvision Created Language and Change the World (2022) 

 

最初は、何かの広告で見かけて面白そうだと思って図書館で予約した。そして読み始めていたら、先日、1月21日の日経新聞の書評で紹介されていた。

書評の中では、
”誰かが設計したわけでもないのに秩序が生まれ、生き物のように変化する言語の不思議を存分に楽しめる本である。”とまとめられていた。

うん、まさに、そんな感じ、
一応、通訳を目指している私としては、第二言語をどう習得するのかというのは、とても興味がある。いつも通訳の先生には「4歳児だって言葉をおぼえるのだから、大人が出来ないわけがない」といわれる・・・。本書を読んでいて感じたのは、まさに、そりゃそうだ、ということ。それでも、「だって、出来ないから苦労しているんだ・・・・」と思っているのだが、やはり、日常生活でその言語使っているかどうか、その言葉のシャワーをどれほどあびているかが、大いに関係するのだということで、納得した。

 

著者のモーテン・H・ クリスチャンセンジは、デンマーク認知科学者。アメリコーネル大学のウィリアム・R・ケナンJr心理学教授。デンマークオークス大学でも言語認知科学の教授を務める。ニューヨーク在住。

もう一人の著者、ニック・チェーターは、イギリスの認知科学者・行動科学者。英ウォーリック大学行動科学教授。著書に『心はこうして作られる:「即興する脳」の心理学』がある。オックスフォード在住。

認知科学者の二人が、人はどうやって言語を習得していくのか、ということについて語っている本。 学術書ではないけれど、かなりサイエンスの話。面白かった。時々でてくるアメリカの日常生活や人気TV番組からの事例は、深くはわからないものもあるけれど、本全体としては、分厚いけれど、読みやすい。

 

表紙の裏には、
”言語についての根本的な謎に答え、言語がどのように発生し、進化してきたのかを明らかにする。

・私たちの短期記憶は、日常会話における音の大洪水にどのように対処しているのか。
言語学者にとってすら言語のしくみを理解するのは難しいのに、なぜほぼすべての幼児が4歳までに言語を習得できるのか。
・世界の言語が一つではなく、驚くほど多様であるのはなぜか。そして全く同じ言葉を話す人が2人いないのはなぜか。
・なぜ私たちには言語があるのに、チンパンジーにはないのか。
・言語は私たちの脳と進化の過程をどのように変えたのか。”
とある。

これらの質問を頭に思い浮かべながら読むと、結構、読みやすい。結論を言ってしまえば、まだまだ言語習得の仕組みが解明されたわけではないのだけれど、ネアンデルタール人のDNA解析もできるようになった現代、特定の言語習得遺伝子があるわけではなさそう、、、ということがわかってきた。それでも、Nature(生得)か?Nurture(習得)か?の積年の疑問はまだまだ続く、、、って感じ。
 

目次
序章 世界を変えた偶然の発明
第1章 言語はジェスチャーゲーム
第2章 言語のはかなさ
第3章 意味の耐えられない軽さ
第4章 カオスの果ての言語秩序
第5章 生物学的進化なくして言語の進化はありえるか
第6章 互いの足跡を辿る
第7章 際限なく発展するきわめて美しいもの
第8章 良循環ー 脳、文化、言語
終章 言語は人類を特異点から救う

 

なるほど、と思ったことを覚え書き。

最初に、1769年イギリスのエンデバー号に乗ったクック船長たちが南米大陸に到着し、ハウシュ族に出会ったときのコミュニケーションについて語られる。
当然、お互いに言葉は通じない。でも、敵か味方かもわからない中で、両者はジェスチャーなどをつかって、コミュニケーションを成し遂げた。

著者らが言うのは、言語というのはブリコラージュ的なものであり、人間は必要に迫られれば、ありあわせのもので集めて何とかやりくりする。その即興ジェスチャーゲームが、何度も繰り返されるうちに、言語として定着していったのではないか、ということ。


人は、伝えるべきメッセージを持っていながらも頼れる言語的手段が手元にない時には、即興でその場しのぎのコミュニケーション方法を見出すことができるのだ。
最初は、誰かが作った「水」を表すジェスチャーかもしれないが、繰り返していくうちに誰もが同じジェスチャーを使った方が便利なことがわかってくる。そして、そのジェスチャーをつかった人々の間に定着する。そして、ジェスチャーが、音になり、声になり、言葉になっていった、ということ。
さもありなん。

そして、私には、大きく響いた一節が。
コミュニケーションは一方通行路ではないのだということを忘れずにいれば、人は誰でも他人とやり取りする能力を向上させられる。自分が何を言いたいかに集中しすぎるよりも、相手が何を理解しているかに注意を払っていれば、コミュニケーションが成功する見込みは格段に上がる。”

これは、まさに!


自分が何かを発信するとき、相手が理解しているかに注意を払うって、極めて重要。勝手に一人で話して、何がいいたいのかわからない人が時々いるけれど、それは、受け手のことを考えていないから。
そうならないように、気を付けないとね。
とても、重要な事だと思う。

相手が何を理解しているかに注意を払う。

 

人の記憶能力について。
人間の記憶力は、 コンピューターのそれとは違って驚くほど限られているのである。いま聞いていることをその場で理解しない限り、何を言われたかについての私たちの記憶はたちまち直後の話によって押し出され消失してしまう。瞬時に言語を使用しないとメッセージは永遠に失われてしまう。そして意外にもこの事実が言語の仕組みを理解する上で決定的な役割を果たすことになる。”

これは、通訳をやるときに「新幹線でいっちゃった」ってやつ。。。相手が話した音が、ぴゅー-っと新幹線のように耳を通過してしまい、まさに脳の中を通り過ぎるだけで終わって、まったく記憶に残らない。当然、通訳としては失敗。

日本語のニュースを聞いていても、理解しようと思ってきいていないと、正確な場所の名前や数字などは、意外と記憶に残らないものだ。コロナ感染者の数をニュースで聞いても、聞いたときにはざっくり「あー多いな」とか「あー減ったな」とか思ったとしても、数字を正確に復唱しようとしても、そこに注視していないと記憶には残っていないものだ。かつ、次から次へと新たな情報が提供されると、どんどん前の情報は、新幹線のように去って行ってしまう・・・・。

記憶させようと思えば、「瞬時に具体的に理解する」ことが必要なのだ。だから、通訳をしていると、ものすご~~~く、頭が疲れる・・・。

 

第3章で、言葉の曖昧さについて語られる。
”単語は安定した意味を持っていない。”というのだ。あくまでも、その場で使われるツールなのだという。そう、だから、辞書を引いたからといって文脈にしっくりくる訳語が見つかるとは限らない。
”子供にとっても大人にとっても言語は不安定なものであり、だからこそ世界には類推と隠喩が充ち溢れている。言語の不安定性は、言語の本質。”なのだという。
だから、使われる場面によって、意味が変化することがある。そして、時代とともに変化することもある。

「言葉の乱れ」といわれるのは、よく耳にするだろう。若者言葉とか、ギャル言葉(古いか・・・)に「日本語が乱れている」と嘆く大人がいるけれど、言語は変化するものなのだとわかっていれば、そういうもの、、、と割り切る、、、しかないのだろう。

サミュエル・ジョンソンの有名な1755年『英語辞典』の序文には、「言語は政府と同じように、自然に堕落する傾向がある」と書かれているそうだ。
さもありなん・・・。

 

様々な言葉の普遍的原理があるのか、という問いがたてられてているのだが、どうやら、それはないようだ。言語は、骨の髄まで変則的だ、という。
面白い、一覧表がでていた。
S:主語
O:目的語
V:動詞
の順番について

日本語で、「マリーは 犬が 好き」 は、SOV。
英語では、「Mary likes dogs」となって、SVO。

この違いが、日本人にとって、英語を学ぶのが難しくなる一つの要因になるのだが、世界にの言語は、
SOV 43.4%
SVO 40.4%
VSO 9.5%
VOS  3.3%
OVS 0.7%
OSV 0.3%
どれでもいい 2.3%
なのだそうだ。

英語より、日本語のようなSOVの方がちょっとだけ多いのだ。これは、ちょっとびっくり。。。。。日本語が特殊なのかと思っていたけれどそんなことはないのだ。

究極、「私 好き 犬」といっても意味は通じる。「私 食べる お昼」って中国人が話す日本語は、中国語がSVOだからだけど、ちゃんと相手が言おうとしている意味はわかる。

言葉は、文法的に間違っていても、通じる時には通じるのだ。だがしかし、、、、通訳にはそれが許されない。言葉のプロに文法のミス、発音のミスはゆるされない・・・だから、大変だし、高品質通訳が高給なわけだ。

第5章では、スティーブン・ピンカーの「言語は、人の進化的適応による」という説について否定的見方がでてくる。人の進化より言語の進化(変化)のスピードの方が圧倒的に速いのだから、人の進化によって言語ができてきたのではないだろう、という。
うん、確かに。
昭和から平成にかけて、人が進化したとは思わないけど、言語はそれより早いスピードで変わっている。しかも、、、別に、言葉は遺伝しない・・・・。

この、言葉は遺伝しない、ということ。これこそ、言語学の長年の疑問。確かに、言語を持っているのは人間だけで、これは人間の生物学的機構に大きく関係している。言葉を話す能力があるけれど、オギャーと生まれてすぐに話せるわけではない。とはいえ、子供は話すようになる。
”問題は、「生まれ家育ちか」(Nature vs Nurture)ではなく、「生まれの本質」(Natuer of Nature) だということ。”これは、世界的に有名な言語科学者の故エリザベス・ベイツの言葉。

 

先にも述べたが、昨年のノーベル賞のように、現代ではネアンデルタール人のDNA解析が可能になっている。ある言語障害の家庭の遺伝子解析から、FOXP2という遺伝子が、言語遺伝子ではないかといわれていたのだが、ネアンデルタール人から現在の様々な人の遺伝子を解析した結果、FOX2が言語に特化した生物的適応に関与したということはなさそうだとのこと。

 

と、長くなりそうなので、今日はここまで。

続きは、また明日・・・。