『陰謀論  民主主義を揺るがすメカニズム』 by  秦正樹

陰謀論
民主主義を揺るがすメカニズム
秦正樹
中公新書
2022年10月25日発行

 

2022年11月26日の日経新聞書評にでていて、
陰謀論カニズムから逃れるために著者が提唱するのは、情報を見極め、話し合うことの重要性だ。「『自分の中の正しさを過剰に求めすぎない』という姿勢」が社会に必要との最後の指摘は、当たり前のようでいて重く響く。”とのコメントに、興味を持った。で、図書館で予約していたのが回ってきたので、読んでみた。

 

感想。
う~~~ん、、、、、。途中まで読んで、なんだこれは???という感じになってきて、最後の方は、飛ばし読み。
書評にあるように、「自分の中の正しさを過剰に求めすぎない」という結論に至っているのは共感するのだけれど、これまた、学生の調査論文を読んでいるような、先日読んだ『「修養」の日本近代』に近い印象を持った。内容の良しあしというより、構成なのだろうか?考察の深さなのだろうか?私は評論家ではないので、うまく表現できないけれど、、、、。物足りなさを感じる。

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著者の秦さんは、1988年、広島生まれ。2016年、神戸大学大学院法学研究科(政治学)博士課程後期過程修了、だそうだ。
『「修養」の日本近代』の著者の大沢さんは、1986年生まれだった。世代的にこういう文章がうける世代なのだろうか?

 

表紙の裏の説明には、
”ネット上の陰謀「Qアノン」を妄信する人々によって引き起こされたアメリ連邦議会襲撃は、世界を震撼させる事件であった。21世紀の今、荒唐無稽な言説が多くの人に信じられ、政治的影響力すら持つのはなぜか。本書は、実証研究の成果に基づき、陰謀論需要のメカニズムを解説。日本で蔓延する陰謀論の実態や、個人の政治観やメディア利用との関連、必要なリテラシーなどを交え、「民主主義の病」への対処法を指南する。”とある。

 

目次
第1章 陰謀論の定義 検証可能性の視点から
第2章 陰謀論ソーシャルメディア
第3章 「保守」の陰謀論 「普通の日本人」というレトリック
第4章 「リベラル」の陰謀論 政治的少数派がもたらす誤認識
第5章 「政治に詳しい人」と陰謀論 「政治をよく知ること」は防波堤となるか?
終章 民主主義は「陰謀論」に耐えられるのか

 

2020年アメリカ大統領選挙において「選挙不正」を訴えるトランプ大統領に共鳴した支持者たちが連邦議会を襲撃する事件を起こした。事件の首謀者たちは、Qアノンと呼ばれる陰謀論を信じていたと言われている。

Qアノンは、アメリカで広まっている陰謀論アメリカのニュースをきいていると、かなり頻繁に「conspiracy」という単語を耳にする。陰謀、謀議、共謀、陰謀団。日本でも、ほんまかいな、、、、という報道はよくあるけれど、陰謀論というほどのものではない気がする。。。


著者は、
”日本にとっても陰謀論対岸の火事とはいえない、だから陰謀論受容の現状を科学的に検証し、理解しておく必要があると言える。”とまえがきで述べている。

そうか、科学的にどう検証するのかな、と期待して読み始めたのだが、、、、、残念ながら、私には、これが科学的検証といえるとは感じなかった。。。。でも、1988年生まれの若者が、どういう仮説で、どういう検証をし、どう結論するのかな?と興味を持ったので読み進めた。結局、後半は、各章のまとめのようなところを読むにとどまった。
たくさんのアンケート調査の結果が、延々と述べられているのだが、いつまでたってもそこからの考察がでてこなくて、まどろっこしい、、、図表を載せたうえで、○○が××ポイント、、、△△が××ポイント、、、、と。。。。情報が重複しているよ!!と感じたのは、私がせっかちだからだろう。。。サイエンス論文なら、即赤ペン校正だ。。。。また、アンケートは、Web調査であり、そもそもアンケートが網羅的に実施されたとはいいがたい。。。一つ一つの質問は面白いけれど、それらから導かれる考察が、飛躍していなくもない。。。「6つの防止の思考法」という思考フレームで言えば、「ネガティブな視点」から考察すると、突っ込みどころ満載、、、。

 

著者は、フェイクニュース陰謀論とは違って、その真偽を判別することが出来るタイプの言説だ、という。一方、デジタル大辞泉を引用して、陰謀論は「ある事件や出来事について事実や一般に認められている説とは別に、策謀や策略によるものであると解釈する考え方」とし、さらに、それらの考えが、何らかの政治的・社会的に重要な出来事や事実の帰結として具現化されることを含む、としている。

フェイクニュースも、陰謀論も、どっちも似たようなもんだろう、、、と思ってしまうのだが。。。。

 

著者は、陰謀論を信じる人は、現実とは異なる「あるべき現実」を強く信じている人、というが、私に言わせれば、そんなの誰だってそうなりえる。認知的不協和を埋め合わせようとして、自分が信じたいことを信じる傾向は、だれにだってあるだろう
著者は、左派と右派では、とか、SNSをよく見る人と見ない人、、といったカテゴリーで、どっちが影響をうけやすいかという分析をアンケートを通じて行っているのだが、人の思考は、そんなに単純ではない。。。。という感じがした。

 

ツイッターをよく見ている人が陰謀論を信じやすいかといえば、若者はツイッター利用頻度はたかいけど、陰謀論は信じない傾向がでたから、ツイッター陰謀論にはあまり影響しない、とか、ちょっと、短絡的だなぁ、、、という感じが・・・。若い人より、ミドル層以上の年配の人々の方が、ソーシャルメディア陰謀論受容の関係性が高い、と結論づけているのだが、Webアンケートの結果でそういわれても、あんまり腹落ちしない。

政治リテラシーについては、政治に興味をもって情報に触れるほど、陰謀論に触れる機会も増えるから、ほどほどに情報に触れていた方がいい、、という主張。これも、私には共感できない。

情報に触れる機会がふえる、ということと、それを信じる、というのはまったく別の話だ。思考基盤がしっかりとした人は、なにか一つのリテラシーが高かったからといって、そこでなにかを妄信したりはしないと思う。

 

終章で、「自分だけの正しさを求めすぎない社会へ」という項があるのだが、そのわずか2ページ足らずの文章のうち、まさに、この一文だけは、強く共感する。そして、「人々が自らの正しさに固執すれば、そこに陰謀論が付け込む余地が生まれる」だから、ほどほどがいいのだ、、、と著者はいうのだが、、、。

 

いや、違うんだなぁ。自分の意見が正しいかどうかを知りたいからこそ、人は興味を持ってさまざまなことを経験したり、学ぶんだろう、と私は思う。

この、なんか、一歩引いた姿勢が、今どきの若者なのかな。いいとか、わるいとかではないけど。。。わたしには、なにか物足りなかった。

 

書評に取り上げられていた割には、ちょっと肩透かし、、、。そう、書評も丸ごと信じてはいけないってことだね。そんなのわかっているけど。
本書の売り上げを伸ばそうという陰謀だったのかもね、なんてね。

私の感想も、あくまでも私の感想でしかない。

 

大事なのは、たんに情報を遮断することではなく、あふれる情報の波に流されないこと。自分でその良しあしを判断できる判断力を養うこと。

コロナワクチンに、マイクロチップがうめこまれていて、、、なんて普通にサイエンスの常識があれば、信じるわけがない。

 

なんだかんだ言っても、人が接することができる情報なんて、極めて限定的だ。自分の正しさを求める前に、自分の無知さを自覚する方が大事ではないだろうか。フェイクニュースというけれど、意図的にフェイクニュースにしたつもりはなくても、人間が間違って判断、報道することはある。冤罪だって、あとからすれば当時の逮捕はフェイクニュースだ。子宮頚ガンワクチンの副作用の話だって、いまではフェイクと言われても仕方がない。でも、当時はみんな信じたんだから。あわせて厚労省までワクチン接種をひかえちゃったんだから、、、、。

 

いつの時代も、どこでも、だれでも人は間違った判断をすることもある。陰謀論は、間違っているとしっていて、洗脳する策略なのかもしれない。そもそも、陰謀論って、なんなんだ?っていうことに興味が向いた。だって、敵の策略だから、陰謀なんだよね。

 

やっぱり、大事なのは自分の頭で考えること。

その判断材料を養うのは、情報だけでなく経験。

 

何事も、経験。

こういう本をよんで、なんじゃこりゃ?とおもうのも、経験。

 

やっぱり、自分の頭で考えよう、に尽きる。

本は、そのきっかけになる。

だから、読書はやめられない。