『天才論 立川談志の凄み』 by  立川談慶

天才論 立川談志の凄み
立川談慶
PHP親書
2021年11月30日 第一版第一刷

 

友人が、読んでいて面白そうだったので、図書館で借りてみた。

 

著者の談慶さんは、立川談志の18番目の弟子。談志の落語は好きだけど、とりたてて落語界に詳しいわけではない私は、談慶といわれても顔が思い浮かばなかった・・・。

 

立川談慶さんは、1965年、長野県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。ワコールに入社。3年間のサラリーマン生活を経て、91年、立川談志の18番目の弟子として入門。前座名は、「ワコール」。通常4~5年とされる前座業を9年半経験し、2000年、二つ目に昇進。立川談志に、「立川談慶」と命名される。05年、真打昇進。『大事なことはすべて立川談志(ししょう)に教わった』などの著書もあるとのこと。

 

表紙裏の内容紹介には、
”世に天才と称された落語家は何人かいたが、凄みを持った天才は、立川談志だけだ。
本書は立川談志18番目の弟子である著者が、正面切って挑む談志天才論。没後10年が経ち、談志の言葉の真意がようやく分かるようになってきた今、談志の本当の凄さに迫る。
著者は談志の天才性を「先見性、普遍性、論理性」の三つに凝縮して分析し、さらに独自の身体性や立川流を創設した理由について論じる。後半では、「談志は談慶をどう育てたか」と題し、二つ目昇進までを振り返る。自らの苦悩や師匠を疑問視した日々をさらけ出し、その上で「師匠をこそがハートウォーマーだった」と語る。”

 

目次
まえがき
序論 談志天才論
第一部 談志は何がすごいのか
第一話 天才は、ショートカットする
第二話 これぞ天才 談志の身体性
第三話 立川流を創設した理由
第四話 談志が落語界にもたらした改革
第五話 枯れた芸を唾棄した談志
第六話 「イリュージョン」「江戸の風」と、志ん朝師匠

第二部 談志は談慶をどう育てたか
第一話 「殺しはしませんから」
第二話 天才は組織を否定する
第三話 努力はバカに与えた夢
第四話 欲しいものは取りに来い
第五話 「あー、機嫌が悪いんです」
第六話 怒りの対象を求める天才
第七話 弟子の課題は、弟子自身に気づかせる
第八話 師匠こそ、ハートウォーマー


感想。
面白かった。
おもわず、ぷっと笑いだしてしまうほどの談志の言葉。そして、あのべらんめぇでありつつ、優しい談志の話に、ほろりと涙したり。
なかなか、面白い一冊だった。読んでよかった。新書で、サラ~~っと読める。


著者自身の苦節9年の下積み時代の失敗、屈辱、それをどう乗り越えたか、、、支えた奥さん、後輩、師匠、、、だれもがすごい人たちだなぁ、と思う。愛にあふれている。

 

最初の談志天才論のなかで、談志の子供の時の話が出てくる。東京の小石川で育った談志師匠。本名、松岡克由、克っちゃんは、お母さんの話によると小さいころから口達者だったそうな。

ぷっと吹いてしまった逸話が二つ。

克っちゃんが5,6歳のころ、近所の悪ガキたちと石の投げっこをしていた。それを見かねた近所のおじさんが「克由、お前の投げた石があの家の窓ガラスを割ったらどうするんだ!」と怒った。克っちゃんは、
おじさん、割ってから文句言いな」って。

5,6歳のがきんちょが、大人に向かって言う言葉か?!?!
すごい。噴き出した。

 

もう一つ、克っちゃんが亀をいじめていた。それをみたそのおじさんが、「克由、またお前か!? かわいそうだろう、亀なんかいじめちゃ!!」って注意した。そしたら、
けっ、とんだ浦島太郎だ」と言い放った、、と。

これは、電車の中で読んでいて、ぷっと吹き出してしまった・・・。

 

と、そんな談志師匠がどうすごかったのかを、赤裸々に語った一冊、という感じ。

 

私は、談志がちょっと変わった落語家、、とは思っていたけれど、小さん師匠から破門されて立川流をつくったとか、ちゃんとした話しは知らなかった。本書を読んでいると、談志が、どれほど自分の価値観を大事にし、弟子にも徹底的に自分の理想をつらぬいたかがわかる。そして、談慶 に言わせると、徒弟制度という閉された世界だからこそ、天才が生まれるのではないかと。普通に社会の常識の中で常識的に生きていこうとすれば、没個性におちいりがちなところが、徒弟制度、しかも落語界のなかでも更に閉された立川流という徒弟制度の中で生きていくことが、談志の天才性をさらに天才にしていったのだろう、と。
だって、師匠のいうことは、どんな無茶ぶりでも絶対なのだ・・・。

 

談慶の弟弟子の談生は、談慶より先に「二つ目」になった。落語界では弟弟子が兄弟子より先に昇進するなどというのはありえないことだった。それでも、屈辱をかみしめながら仲良しの談生のお祝いの席に参加した談慶。会の途中、トイレですれ違いざまに談志師匠は
「俺はおまえを否定しているのではない。あいつが俺の基準に達していただけだ。」と小声でつぶやいた。思わず「申し訳ありませんでした」と口に出た。そして、談志は、「申し訳ねぇと思っているなら、やれ」と。

師匠を恨みつつも信じて、、そして、ついには「立川談慶」という名をもらった談慶さん。談志も談慶も、どっちもすごいと思う。

 

甘い基準で、慣例だからと兄弟子を先に昇進させるようなことは決してしなかった談志師匠。落語界では、考えらえない事だったそうだ。

そもそも、落語界では弟子入りすると、まずは、前座修行といって、前座。見習い。師匠の身の回りのお世話もする。それから、昇進すると「二つ目」といって、名前がもらえる。さらには、「真打」だ。著者の談慶は、「二つ目」昇進を後輩に追い抜かれる、、、という、落語界ではありえない屈辱を経験した。しかも、今日こそ!と開いた会でもその場で談志に「まだ」と言われる・・・・。授賞式にいったのに、やっぱりあなたは受賞資格がありません、と言われたような体裁で・・・。これ以上の屈辱があるかというような、屈辱だと思う。こんな師匠についてきた俺がバカだったと思ってもおかしくない。でも、やっぱり立川流をやめなかった談慶。

 

本人が言うように、談慶の努力が、空回りしていた所もあるのだろう。本人が奥さんに背中をおされて、プライドをすて、談生に「おれには何が足りないのか教えてほしい」と頭を下げて聞きに行くくだりは、読んでいる方も、辛くなる・・・。
でも、そこで、自分では気が付いていたけれど認めたくなかった「クセ」を指摘される。、だというのだ。それから、奥さんと二人でカラオケで声、、発声の練習の日々。
ついに、「二つ目」につながる。実は、奥さんも談慶の声の出し方は気にはなっていた。でも、自分がいっても聞かないだろうと思った奥さんは、弟弟子であろうと、プライドをすてて教えを乞うてみればいいじゃないか、と背中を押したのだった。それは、弟弟子である談生のことも信頼していたからでてきた奥さんの言葉だったのだろう。プライドをすてて、弟弟子に人に教えを乞うというのは、それができた談慶のまっすぐさもすごいけど、それに真摯にこたえた談生もすごいと思う。

 

談志は、「努力っていうのはバカに与えた夢だ」といったそうだ。
どんなに、本人が努力しても、結果がでていなければ評価しない。努力を評価するなんて、おまえはその程度だから、、、、と言っているようなもの、ということだろうか。
厳しいけど、真実だなぁ、、、って思った。

談志は、「甘やかすということも、他者への侮蔑だ」、とも言っていたそうだ。

 

厳しい指導というのは、指導している方も辛い。けど、甘やかすのは相手のためにならない。それは、よくわかる。
求める基準が高いほど、厳しく当たってしまう。
期待するから、求める基準が高くなる。

 

談志師匠の言葉が、つきささる。
「欲しいものは取ればいいのに、取りに行かないで、”欲しい”という。つまり欲しくないのだと言われても仕方あるまい。文句もいわない、行動も起こさないのは、欲しくないのだ」

 

自分なりに頑張ったっていうのは、なんの慰めにもならない。。。。。結果が全て、、という世界は確実にある。。。。

たいていの場合、師匠というのは、正しい。言われたそのときには、なんてひどい言い方するんだ、とか、なんて失礼なことを言うんだ、と思っても。
そう、厳しく指導してくれる人がいるということが、どれほど幸せなことか。
ま、あとから、気が付くものだけどね。

 

徹底的に師匠の教えに従ってみるって、大事だ。そして、従ってみようと思える師匠がいるというのは、幸せなこと。

 

談慶が、「二つ目」のためにもがいていた時、

何かが足りないと、足りないものを身につけようとするのではなくて、むしろ俺にとって今一番大事なのは、何かをすてることではないか」という日記の言葉が記されている。

うん、そういうときもあるよなぁ。。。。っておもった。


なかなか、心にしみる一冊だった。


談志は、50代以降はガンをわずらい、2011年11月に亡くなっている。いまでも、YouTubeで講演を見ることができる。

わたしが、好きなのはなんといっても「死神」。他の噺家さんとくらべてみればよくわかる。同じ物語なのに、語る人によってどうしてこうも変わるのか。
王道の「死神」をみてから、談志の「死神」を見ると、ほんとにこの人天才だわ!!って思う。

まだまだ、知らない落語はたくさんある。久しぶりに、聞きに行きたくなった。
あぁ、まだまだ知らない世界は一杯ある。
老後の愉しみが増えたなぁ。

 

落語をきくなら、老眼になって読書がつらくなってもできるから、やっぱり、老後に取っておくか。。。。

 

同じような話と知っていても、笑いをとれる落語って、ほんとすごい技。

しかも、落語はほぼ座ったまま。上半身の動き、声、扇子だけであれだけのものを表現するのだから、色々研究も稽古もするのだろう。

そして、努力したって、結果が出ないとね。

やはり、天才というのは、努力も半端ないのだ。

 

面白く、通訳修行中の身としては、刺激になる一冊だった。

結果をだそう!!