禅の言葉: 『自灯明 法灯明』 そして、釈迦涅槃図

今日は、2月15日。

紀元前383年2月15日は、釈迦が亡くなった日。

そして、釈迦涅槃図とは、釈迦が亡くなられた時の様子を書いたもの。

釈迦涅槃図@全生庵

先日、全生庵坐禅会に参加してきた。

その際に、座敷にかけられていたもの。

2月15日は、全国の寺院で涅槃会という法要が行われる。そして、この釈迦涅槃図が飾られるのだ。

よく見れば、色々な生き物が描かれていて、、、おどろおどろしくも感じるのだが・・・みんなが嘆き悲しんでいる。

 

先日の坐禅会での住職のお話は、釈迦最後の説法として有名な「自灯明 法灯明」の話。釈迦の死を嘆き、この先どう生きていけばいいかと泣きすがる阿難(あなん:釈迦の従兄で、長く一緒にすごした弟子でもある)に対して、伝えた言葉と言われる。

 

「自灯明 法灯明」

自分(釈迦)はすでにすべてのことを伝えた。あとは儚く消え去る自分の幻影にではなく、教え(法)がおまえたちを照らすであろう。そして、教えに従って生きていくことで、自分自身の中に本来ある灯に気づき、自らを自らの灯で照らして生きていきなさい。

 

という教え。

 

禅では、教えがあるけれど、なにかのルールがあるわけではない。大事になのは、教えを自分のものとして、自分自身をみつめ、それに従って生きていくこと、ということ。

 

自分を見つめる。

それが、何よりの教えなのだ。

だから、坐禅をする。

ただ、ひたすら無になろうとすることで、自分を感じる。

 

2月の坐禅は、寒い。20分、2回の坐禅。だんだん足が冷たさで痺れてくる。

今回も雑念だらけだったけれど、、、、、

何も考えない、ただ座る。そういう時間があるというだけで、ありがたい。

 

釈迦は、自分の死期が近いことを悟って、故郷で最後を迎えようと故郷を目指した旅にでたのだが、たどり着く前にインドとネパールの国境あたりで、亡くなった。なんでも、弱った体に、良くない食べ物、腐った飲み物だか肉だか、、で、とうとう最後を迎えたのだそうだ。御年、80歳と言われている。住職曰く、紀元前に80歳まで生きる人がいたとはおもえないけれど、、、、と。住職は、「北枕」の話もされた。

北枕は縁起が悪いという人がいるが、お釈迦様が亡くなられた時にたまたま頭を北側にされていたというだけで、縁起がわるいなんてことはないそうだ。

実のところ、北枕の方が眠りが深くなる、なんて研究もあるくらいだ。。。

気にせず、好きに寝ればいいって。

 

平井住職の話は、いつも面白い。

また、新刊もだされたそうなので、そちらも読んでみたいと思う。

 

 

『自灯明 法灯明』

自分の道を照らせるのは、自分だけなんだな。

ときどき、間違った道にいっちゃったりもするけど、間違ったと気づくのに必要なのも、自分で照らす自分の灯。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

間違っていたら、やり直せばいい。

 

うん、それでいい。