『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』 by  東浩紀

ゲンロン戦記
「知の観客」をつくる
東浩紀
中公新書ラクレ
2020年12月10日 発行

 

東浩紀さんって、ゲンロンの東さん、って名前はしっていたけれど、なんかメディアで偉そうに話している人というくらいで、あまり興味がなかった。たまたま、図書館で見かけたので、借りてみた。
つまらなければ、読まずに返せばいいと思って読んでみたのだが、あら、意外となんか面白いじゃない、と。結局、最後まで読んだ。

 

東さんは、1971年東京生まれ。批評家・作家東京大学大学院総合文化研究科博士課終了。学術博士。株式会社ゲンロン創業者。専門は、哲学、表象文化論、情報社会論。

へぇ、、、、そういう人だったんだ。哲学が専門だったんだ。。。

ほんとに、何も知らずにただ興味の外だったのだけれど、本書は、彼が創業した「ゲンロン」が会社としてどれほどボロボロだったか、、、、という戦記。かなり率直な話で、なかなか共感できるものがある。

 

内容紹介には、
”「数」の論理と資本主義が支配するこの残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか? 「観光」「誤配」という言葉で武装し、大資本の罠、ネット万能主義、敵/味方の分断にあらがう、東浩紀の渾身の思想。難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た時代の寵児は、2010年、新たな知的空間を目指して「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開業、思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設、、、、いっけん華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。悪戦苦闘をへて紡がれる哲学とは?ゲンロン10年をつづる、スリル満点の物語”
と。

 

感想。
面白かった。わたしは、東さんのことをよくしらなければ、ゲンロンというものが何なのかもしらなかった。メディアで話題になっている事は知っていた。でも、ネット社会をそんなに信頼していなかった私は、あまり興味がなく、とりたてて彼の発言、ゲンロンの活動に無関心だった。
だから、そんな私にとっては、本書がスリル満載、とは感じない。だって、表面的な評判すらよく知らなかったのだから。。。。華やかな表面については、何も知らなかったので、裏部隊のごたごたをきいたところで、スリルではなく、へぇ、、苦労したんだなぁ、、というのが感想。でも時代の寵児と言われる人が、こういう自分自身の暴露本?!のようなモノをだすのは、なかなか勇気がいることだろうし、謙虚に自分を見つめて書いている感じが、悪くない。経営者として学ぶところもある。

 

目次
第1章 はじまり
第2章 挫折
第3章 ひとが集まる場所
第4章 友でもなく敵でもなく
第5章 再出発
第6章 新しい啓蒙へ


ゲンロンは、2010年4月に創業し、2020年に10周年を向かえた。その節目に出版された本。
最初に、ゲンロンの説明がついているので、引用しよう。

 

”ゲンロンは、学会や人文界の常識には囚われない、領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を目指しています。思想史『ゲンロン』や単行本シリーズ「ゲンロン叢書」の出版のほか、東京・五反田にあるイベントスペース「ゲンロンカフェ」の企画、チェルノブイリへの「ダークツーリズム」、市民講座「ゲンロンスクール」の開催、動画配信プラットフォーム「シラス」の運営などを行っている。”

ふ~~ん、なるほど、面白そうだ。

 

読んでいると、東さんが「オンラインサロン」のように一人のカリスマ講師がいる組織とは違う、と言っている意味がわかった。私は、ゲンロンも、オンラインサロンのようなものかと思っていたのだけれど、そうではないらしい。登壇する人も色々だし、色々な人が、色々な形で意見を交換し合える場がゲンロンの活動の一つ、ゲンロンカフェ、らしい。

人々が思想を交わし合う場というのは、一方通行でもいけないし、敵と味方に別れるようなもでもない。「良質の観客」がいて文化ができるように、「知の観客」が必要なのだという東さんの思想は、わかる気がする。

本書のなかで、私がもっとも共感したのは、「敵と味方ということではなく」ということ。

東さんは、福島復興の活動もされているそうだが、以前、福島在住の開沼さんと意見が分断してしまった。2015年に、毎日新聞で往復書簡の形で、東さんと開沼さんのやり取りが始まったのだが、最終的には、対話にならず終了してしまった。そのとき開沼さんが展開した理論は、東さんの言葉で要約すると、
「福島について語りたいのなら、移住なりなんなりコミットを示してから言え。そうでないと信用できない。」ということだったのだ、と。おまえは所詮観光客だから、黙れ、、、と。
東さんは、原発事故は一つの地域の問題ではなく日本や世界のレベルで考えるべき問題だと考えていたし、福島に住んでいたり親戚がいる人でないと福島の未来を語れないのは、おかしいと考えていた。

 

これは、感情論でいうと、開沼さんの言葉はわからなくないけれど、私は東さんの意見に賛成だ。当事者からすると、「おまえに言われたくない」みたいなところがあるのかもしれないけれど、たしかに、原発問題は、福島の人だけの問題でなく、みんなが考えるべき問題であり、その未来を福島以外にすむ人が意見しても、良いのではないかと思う。

でも、「おまえになにがわかる」という気持ちもわからなくもない。だからこそ、自分の意見が正しいと押し付けるのではなく、対話をする、ということが大事なのだとおもう。

障害者問題、犯罪被害者問題、LGBTQ、、、様々な課題についても、当事者でないと語れない、、といってしまうのは、ちょっと違う気がする。女性活躍問題は、女性しか語れない、子育て問題は、子供のいる人しか語れないっていうのがおかしなことであるように。でも、、、日本のことを海外の人に悪く言われると、ちょっとムッとする気がするのも事実である。当事者でない人が語るというのは、語り方一つで当事者を傷つける可能性があるということ、これを心しておくのは重要だと思う。

 

このことがあってから、東さんは、なにかにつけ「敵」か「味方」かをハッキリ決めたがる人々からは距離をおこうと考えるようになった、と。

すごく、わかる。
敵とか、味方とか言う話じゃないでしょ。。。って。

この一文が出てきただけで、あぁ、この本を読んでみてよかったな、って思った。

 

大事なのは、「建設的対話」だ。敵とか味方とかではない。意見の相違というのは、敵と味方ということではない。

 

そう、そして、東さんが言うように、意見の違う相手に対して、「敵」か「味方」かをハッキリ決めたがる人々とは距離をとるっていうのが、最善の対策。

 

もう一つ、印象に残ったのは、経理を任せていたメンバーが会社のお金を使い込んで資金不足の危機におちいったり、担当がまともに経理管理をしていないことに気が付かずにいたことをくり返し、再びピンチを迎え、会社というのは「総務」があってこそであり、人に「任せる」ということの意味を振り返っているところ。

 

仕事を任せるというのは、放任するということではない。自分で全てをわかっているうえで、任せる。創作活動に夢中になっていて、総務を人任せにしてた自分の責任を反省しているところが、実に、、、率直でいい。そうなのだ、自分の会社のお金管理は、人に任せてはいけない。人材の管理も、放任してはいけない。つねに、現実を把握していないと、経営とはいえない。会社を経営するというのは、やはり金管理ができないと、話にならない。総務という一見すると価値創出から離れているかに見える組織が、会社のなかでどれほど重要か。自分で経営してみると、よくわかる。そういう部門をアウトソースする会社が増えているけれど、違うんだよ、と思う。人物金、この貴重かつ重要な資本を自分で管理しないで会社とは言えない、と私は思う。

 

また、電子情報だけでなく、「書類」による現物管理が「仕事をわすれない」というためにも重要だという、アナログ回帰に目覚めた話も、共感する。社会は、会計管理もデジタル化の流れで、今では会社の経費処理は全てデジタル化されている所も珍しくない。必要な手続きをして法人としてデジタル会計の登録をしておけば、領収書も電子印をつけて写真を撮り、現物は全てを保管しておかなくてもよいことになっている。

でも、経費処理がぐちゃぐちゃになったとき、いちばんに東さんがやったのは、イケヤにいって棚をかってきて、領収書などを全部ファイルに整理するようにしたこと。
人は、目に入らないものは存在を忘れてしまう・・・。
デジタル情報は、自分で開かないと目に入らなけれど、物理的に存在する書類は、否応なしに目に入る。だから、処理せずに溜まっていけばやらなくちゃ、、、となる。

 

人と人とのコミュニケーションも、オンサイトで会う事の重要性を言っている。コロナでリモートワークが増えた中、確かにリモートは便利だけれど、オンサイトのありがたさを痛感した人も多いのではないだろうか。

やっぱり、ネットにはネットのよさがあり、オンサイトにはオンサイトの良さがある。
人の息づかい、温度感、それは、一緒の空間を共有してからこそ。だからこそ、ゲンロンはゲンロンカフェを、実際に人が集まる場として大事にしている。

 

まぁ、どんな人かなぁ、という興味本位で読んでみたけれど、意外と面白かった。

たしかに、東さんは、哲学者だ。
批評家っていうのは、よくわからない職業だけれど、哲学者であり、人と人とのかかわりの中で何かを生み出していきたいひとなのだ、という感じがした。 

 

とくに、これからゲンロンを注視してみよう、とまでは思わないけれど、人々が敵味方なく意見を交換し合える場を提供する活動は大事だな、と思う。

 

「知の観客」ね。

なるほど。