『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』 by  伊藤亜紗

体はゆく
できるを科学する〈テクノロジー×身体〉
伊藤亜紗
文藝春秋
2022年11月30日 一刷発行

伊藤さんの新刊。広告で見かけて気になった。図書館にあったので借りた。

 

伊藤さんは、1979年生まれ。美学者東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。リベラルアーツ研究教育院教授。専門は美学、現代アート。私は、『手の倫理』を読んだ時に、なんて素敵な感性の持ち主なんだろうと、感動した。専門は、美学、だったのね。障害のある人の世界を、美しい言葉で表現できる人、という印象がある。人類研究センター長ね、なるほど。

 

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本書は、人が身体を使って何かができるようになるとき、どうしてそれができるようになるのか、、、、頭で考えても体がついていかないという不思議、逆に深く考えずにうまくできてしまったというような不思議について、 「身体をコントロールする」というのはどういうことなのか、5人の研究者との共同研究について語られた本。サイエンスのようでいて、文学のようでいて、、、なんとも表現しずらいのだけれど、面白い本だった。


表紙の裏には、プロローグからの抜粋が。
”体は「リアルそのもの」と言えるほど、確固たるものではありません。
体はたいてい、私たちが意図的に理解しているよりも、ずっと先にいっています。
その「奔放さ」は、ときにあぶなっかしく見えることもあります。
(中略)頭では違うとわかっているのに、体がついその気になってしまう。
ある意味で体はとても「ユルい」ものです。
このユルさが、私たちの体への介入可能性を作り出します 。”

 

また、伊藤さんは、プロローグの中で、次のようにも語っている。
”「できる」「できない」という言葉は、「できる=すぐれている」「できない=劣っている」という価値観的な判断と結びつきがちです。確かに、挑戦する機会や探求の可能性を作り出すという意味では、これらのことばは有効かもしれません。しかし、それは同時に、生産性だけで人を評価する能力主義的な風潮を強化したり、マジョリティの基準をマイノリティに押し付けたりする基準をはらんでいます。”
伊藤さんは、障害や病気とともに生きている人たちであっても、私たちの想像をはるかに超える可能性があり、合理的には説明がつかないようなその人ならではの可能性が充ちている、という。

 

私は、彼女のこのような感覚が好きなのだ。『奇跡の人』の可能性を常に信じているのが伊藤さん、という感じがする。本書では、障害を持った人に限らず、人のからだの不思議が様々な専門家の視点で語られていく。なんとも、不思議な一冊。読み応えあり。

 

目次
プロローグ 「できるようになる」の不思議
第1章 「こうすればうまくいく」の外に連れ出すテクノロジー
    ピアニストのための外骨格(エクソスケルトン)
    ピアニスト・ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー 古屋晋一
第2章 あとは体が解いてくれる
    桑田のピッチングフォーム解析
     NTT コミュニケーション科学基礎研究所柏野多様脳特別研究室長 柏野牧夫
第3章 リアルタイムのコーチン
    自分をだます画像処理
    東京工業大学情報理工学院教授 小池英樹
第4章 意識をオーバーライドする BMI 
    バーチャルしっぽの脳科学
    慶應義塾大学理工学部教授 牛場潤一
第5章 セルフとアザーのグレーゾーン
    体と声をつなぐ声
    東京大学大学院情報学環教授 暦本純一
エピローグ 能力主義からで「できる」を取り戻す

 

第1章から第5章まで、それぞれの研究者との共同研究の話。章ごとに、それぞれの研究者の経歴が紹介されている。

 

第1章の古屋さんは、ご自身がピアニストでもあり、かつ医学博士でもある。体の動きに注目してピアニストの演奏技術を助ける方法を研究しているのだという。面白い研究があるものだ!研究者の古屋さんにとっては、練習と本番というのは、仮説と検証の関係なのだと。あはっ!ちょっとわかる。。。。研究者って、なんでも仮説検証として捉えちゃうのよね。
古谷さんがそのような研究に取り組むようになった一つの経験が、自分の人生において最高の演奏が、遅刻しかけて全力疾走で走った後のコンクールだったということ。 大事なコンクールの会場を間違えて行ってしまい、自分の番にぎりぎり間に合うくらいに、全力疾走で本当の会場に駆けつけた。そのような状態での演奏が、人生で最高だった、、、というのだ。ただ、緊張がなかったということでは片づけられない、不思議があったのだ。そして、どういうときに最高の演奏ができるのか、、、ということを研究しはじめた。
「うまく弾く」というのは、単なる指がよく動くということだけではなく、そのピアノが置かれた環境、ピアノそのものの個性など、あらゆる環境に適応して、「演奏に入る」という感覚なのだそうだ。だから、いつも同じピアノで同じ練習をしていてもだめで、普段とは違う練習室で練習したり、いつもと違う時間にピアノを弾いてみたりする。そうすると、「こうすればうまくいく」という感度を高めることができるのだと。

なんだか、説明がつくような、つかないような、、、。でも、単に指の動きの話だけではないといのは、よくわかる。ピアニストは、椅子の高さや位置も、自分で最適な感覚をもっているはず。手だけじゃない。体全部で弾いている。付け加えれば、演奏しながら顔の表情も変化するのだって、体の不思議。無表情で弾いてください、っていわれたら、体がこわばっちゃう気がする。

古屋さんは、指の動きの練習のために、手に付ける器具をつくって、先生(ここでは古屋さん自身)の動きをコンピューターに覚えさせ、生徒(ここでは古屋さんの子ども)に器具をつけて指を器具の操作で操らせることをやってみた。すると、お子さんは、「あぁ、こういうことか」と、自分の手が勝手に動くことを経験しながら言ったのだそうだ。「やったー!できた!」ではなく、「あぁ、こういうことか」という感覚。

これって、誰にでもあるのではないだろうか。自転車に初めて乗れた時もそうかもしれない。どんな言葉で説明されても、わからないけど、体が、「あぁ、こうするのか」と分かる瞬間。ゴルフのスイングもそうだ。あれこれ説明されてもぎこちないのだけれど、なんどかスイングしていると、あ!これだ!という時がある。「わかった気がする!」と思わずいってしまう感じ。

からだは、こう動かすのだ、と言葉で説明してもわからにことでも、強制的にそのように動かされることで、その動きを覚える、とでもいおうか。

この古屋さんがつくった器具は、訓練するためのものではなく、あくまでも「感覚トレーニング」のためのもの。人間の想像上の限界を解放してくれるツールなのだ。むやみに、練習をしても、間違った練習をしていると、手を痛めてしまうことになる。事実、ジストニアという筋肉が縮こまる病気になるピアニストは多いのだそうだ。

ピアノのレッスンは、「筋トレ」ではない。効率よくレッスンするための補助具、として開発しているのだそうだ。自分のしらない体の動きを、教えてくれるツール。

面白いなぁ。

 

第2章の柏野さんは、心理学博士。専門は、心理物理学・認知神経科学とのこと。心理物理学という学問があったんだ!ということがまず驚き。感覚系や運動系を中心に、無自覚のうちに適応的な情報処理を実現する脳の仕組みの解明に取り組んでいるとのこと。
面白い。
運動神経って、ほぼ無自覚に体が動く。それを脳の情報処理の視点から解明しようとしているとのいうこと。面白い!

事例になっていたのが、もと巨人の桑田真澄投手。同じように30回投げてもらって、その体の動きをコンピューターで解析すると、1回目と30回目でリリースポイントは、14センチもずれていた。でも、球が収まった先は、同じ。一回一回、かなり動きは違っていて、動きはブレまくっていたのに、ボールは同じとこへ。。。本人が、自分の画像をみて驚いていたそうだ。柏野さんによれば、こういう特徴を、「ゆらぎ」「ノイズ」というのだそうだ。桑田は、ゆらぎやノイズをうまく吸収して動くことができている、ということ。それは、たくさんの経験から、体が覚える、「土地勘」のようなものなのだと。

なにかを習得するとき、初心者は合理性にもとづいて体を動かす。練度があがると、過渡期があって、エキスパートになると「没合理性」の域に達するのだそうだ。学習がすすむことで、抽象的な規則を離れて、具体的な状況に没頭し、規則にしばられずに動くことができるようになる。
技能の学習は、深まるほどに規則を離れていく、ということ。

面白い。
でも、そうだ。
だから、上手な人から教えてもらうのは難しい。「ウンって構えて、パッとひいて、ドーーン」みたいな言葉になっちゃったりね。
面白いなぁ。
そして、天才プレーヤーのコンピューター解析を、真似をしたところでだれでも天才プレイヤーになれるわけではない。
人の身体には、それぞれの個性があるので、万人に共通の規則もないってことなんだろう。

テクノロジーは、妄信するものではなく、あくまでもサポートするものなのだと。

 

第3章の小林さんは、情報視覚化、人間拡張の専門家。スローモーション環境で練習することで、現実空間のスピードにうまく対応できるようになるそうだ。英語のリスニングも、速い速度で練習していると、普通の速度に戻した時に、聴き取りやすくなるのと同じかな。

 

そういえば、先日、面白い話を聞いた。交通事故などにあったとき、自分の身体が飛ばされながら周りの風景がスローモーションになった、という人がよくいるが、それは、その瞬間に体と生命を守るためにものすごいスピードで脳が回転するからなのだそうだ。脳がものすごい回転数で情報処理することで、周りの変化が相対的にゆっくりになるのだと。

脳内の情報処理って面白い。

 

第4章の、牛場さんは、リハビリテーション神経科の専門家。BMIブレイン・マシン・インターフェース)を使って、医学と工学を結びつける。四肢が不自由になった人が、頭部に特殊な機械をつけて、脳波でデバイスを操作するようにする装置がBMI。念じて動かしているようにみえるけれど、脳の複雑で奥深いメカニズムを解明しつつ、工学の医学的応用をしている。おもしろい。
牛場さんは学生のときから脳の学習効率に着目して、感動しながら授業をうける、という工夫をしたそうだ。音楽など感動すると記憶に残りやすいから、勉強も感動しながらすれば記憶にのこりやすいのではないか、と。実際、効果はあったみたい。
「やみくもにがんばる」とか「先生の教えに忠実に従う」という昭和的スポ根魂とは違って、脳のメカニズムに注目して工夫していたのだ。すごい。

また、記憶の面白い実験結果が紹介されている。何かを覚える時、覚えた環境と同じ環境だと思いだしやすい、ということ。海中で覚えた言葉は、海中で思い出しやすく、陸上で覚えた言葉は、陸上で思い出しやすいというのだ。冗談のような話だが、学校のテストでは、家で勉強したことが思い出せないというのは、環境が違うから、ということがあるようだ。
図書館や予備校で勉強したほうが、覚えられるような気がするというのは、テストや試験を受ける環境と似ているからかもしれない。面白い!でも、けっこう、あり得るような気がする。

牛場さんによれば、おかれた環境によって、脳のムードのようなものが変わるのだそうだ。

 

第5章の暦本さんは、マルチタッチシステムSmartskinの発明者。私たちは、今ではスマホや携帯で、当たり前のように二本指でピンチングしているが、それを開発したのが、暦本さん。スマホが一般的になるより前、2001年のこと。もともと、スマホを便利に使用と思って開発したわけではなく、普段、私たちは複数の指を使って、物を掴んだりうごかしたりするのだから、画面に対してもその方がしぜんなのではないか、とおもって開発したとのこと。面白い。
暦本さんの話は、身体から言語にも及ぶ。スポーツなどの技能獲得でも、音は視覚や触覚とは決定的に異なる重要な要素があるという。それは、音は、マネできる、ということ。
暦本さん曰く、
「インプットとアウトプットがバランスするのは音だけ」だと。
耳から入ったインプットと口から出すアウトプットがバランスしている。どういうことかというと、絵画を視覚で捉えたからといって、そのスピードでその絵画を描くことはできない。でも、音は、捉えた直後に口から出すことができる。嗅覚や触覚も、とらえたものをそのまま作り出すことはすぐにはできない。でも、音は、ある程度口真似できる。
まさに、それが赤ちゃんが言葉を覚える過程。お父さんの「バイバイ」と赤ちゃんの「バイバイ」は、声の高さもスピードもちがうけれど、音程や速度が違っても、同じ言葉とみなされる。真似をすることで、言葉を覚えていく。
そして、スポーツにおいても、「ググっとなったらウンッと溜めてパッ」という言葉を、人は口真似してなんとなく体の動きに取り込むことができる。

面白い。
考えたことなかった。
ぱー-ん、と打つ、とか。ギュッと握るとか。。。
オノマトペの効果、恐るべし。

 

体が何かをする事ができるようになるには、私たちが想像する以上に不思議な脳の仕組みがあるということ。環境の影響、音の影響、実際にうごかしてみることでつかむ感覚。VRで練習して感覚を覚えることで、実際にできるようになったり。

 

人間の無限の可能性を感じさせてくれる一冊。

これは、サイエンスの本、だな。

面白かった。

 

何かを習得しようとしている人に、お薦めかも。私には無理って思う心を払拭してくれるかも。私たちは、可能性に満ちている。