NHKさかのぼり日本史 ⑦戦国
富を制するものが天下を制す
小和田哲夫
NHK出版
2012年2月25日 第1刷発行
先月読んでいた、さかのぼりシリーズの続き。
⑥江戸時代からさらにさかのぼり、戦国時代の話。NHKさかのぼり日本史⑦も図書館で借りて読んでみた。
江戸が豊かな時代となり、天下泰平の時代になる前の戦国時代。戦国時代においても、やはり先立つものは「金」だったって話。そして、その金のめぐりである経済を旨く回すことのできた戦国武将が、天下を取っていった。信長、秀吉、家康。信長は、18歳で父をなくし、自立への目覚めが強かった。秀吉は生まれが貧しく、針売りとしての経験が、交渉術のうまさを磨かせた。家康は、、、、秀吉の商売上手なところを真似した。。ってこと。
信長が、鉄砲を使って活躍したのも、鉄砲を大量に買うお金を蓄えることができたから。やはり、富を制するものが天下を制する、、、だったのだ。
表紙裏には、
”歴史には時代の流れを決定づけたターニングポイントがあり、それが起こった原因を探っていくことで「日本が来た道」が見えてくる。
血で血を争う抗争が繰り広げられた戦国時代—―。
信長・秀吉・家康が勝ち上がれた秘訣とは。
1615年 → 1590年 → 1575年 → 1467年の転機となった合戦と”富の力”の関係を検証する”と。
ターニングポイントは、
1467年 応仁の乱
1575年 長篠・設楽原の戦い
1590年 秀吉、小田原城を平定
1615年 大坂夏の陣
目次
第1章 徳川家康 富の独占
第2章 豊臣秀吉の物流改革
第3章 織田信長の開放経済政策
第4章 戦国大名の経済改革競争
さかのぼり日本史なので、歴史の後半から前半を振り返る。最初は、徳川家康が豊臣家を亡ぼすまで。
家康は、関ヶ原の合戦で勝利するとすぐ、東海道、中山道などの五街道の整備をした。それは、秀吉が大坂を中心とする経済圏を作ったのと同じように、江戸日本橋を基点とする経済流通網をつくりたかったから。陸上交通と同様に、江戸市中の河川、天竜川、富士川の整備にも力を入れ、水上交通も整備した。そして、秀吉時代の重商主義から農業政策を中心とした重農主義で、江戸の経済を安定させていく。
経済基盤も整えた家康だったけれど、年をとるにつれて、自分の後のことが心配になった。そして、73歳の時、22歳の秀頼(秀吉の三男)に対して決着をつけることを決心する。
そうか、言いがかりのように大坂城を奪った大坂の陣の時、家康は73歳だったのだ。なんと、73歳が22歳をイジメた・・・・って、そんな構図だったのだ。
有名な「方広寺の鐘銘事件」では、豊臣家が方広寺に奉納した鐘に「君臣豊楽」「国家安康」と書いてあるのを、「家康」が「家」と「康」に分断されていて、これは呪詛に違いないといちゃもんをつけて、紛争を起こす。
そして、大坂の陣で豊臣家は滅びる。
家康がとった様々な戦略は、もともと秀吉から学んだことで、秀吉に学んで秀吉をつぶしたのが家康だった、と作者は語っている。家康に卓越したオリジナリティがあったわけではない、と。
江戸幕府を開いた、歴史上の重要な人物も、自分でその泰平の世を築いたのではなく、信長、秀吉らがまいた種を刈り取ったに過ぎなかった、ともいえる。いつの世も、種をまく人と、刈り取る人の間には世代交代がある。時として、刈り取る人は、まいた人の何かを奪って、、、っていう皮肉。現代でも同じだなぁ、、なんて思う。
江戸の経済につながる、経済基盤を築いた秀吉は、どのようなことをしたのか。秀吉は、なにより金使いの名人だった。
秀吉は、「経済」の本質はモノやサービスそのものよりも、それらがダイナミックに動くこと、つまりは「物流」が大事であるということをわかっていた。それは、かつて貧しい家庭に育ったため、お金に苦労したという経験から身につけた感覚だったのかもしれない。ストックが大事なのではなく、フローが大事なのだ。だから、秀吉は、お金をつくって回すこと、フローをつくることもうまかった。
1582年、本能寺の変の後、秀吉はライバルの柴田勝家を賤ケ岳に降ろし、北陸一円を手に入れる。その時、北国船で海運業を営んでいた若狭の商人たちとを組んで商いを始める。その中に、当時の仕組みを書き残している資料があるのだという。ようするに、利ざやで稼ぐってことをもしていたらしい。
秀吉の評価は、色々あるけれど、「けちんぼ」っていうあたりも、秀吉らしい。
また、秀吉がつくった大坂城は、他の大名が領国の居城として城を築いたのとは違い、全国の物流ネットワークのへそとして築かれたのだという。なるほど。物流センターだったわけだ。いまでも、やっぱり、大阪は大物流センターだ。
経済を回す、フローを作るということに目を向けたのは、秀吉が最初ではない。信長であり、信長の父である信秀もその才能があった。
たとえば、越後といえば米どころのイメージがつよいけれど、信秀が商売にしたのは、越後の特産品の「越後上布」。直江津、柏崎という大きな港を出入りする越後上布を運ぶ船に「船道前」という税をかけて、膨大な利益をあげた。越後上布は、「青苧(あおそ)」という麻を原料とした反物で、越後の主要な物産だった。
主要な物産と言えば、尾張の陶器も、瀬戸の瀬戸焼、知多半島の常滑焼も、ただ販売するだけでなく、それぞれの土地から荷揚げ、荷降ろしの税金を取っていたら、、、また、違うお金のまわりになって、ちがう歴史ができていたのかも、、って。
天才信長には、このような父のひいたレールがあり、かつ、自らのチャレンジ精神でトップに上り詰めていった。この流れの中に、「楽市」という自由な市場がつくられていったのだ。
そして信長は、長篠の合戦では、鉄砲を使いこなし、馬防柵で騎馬隊の信仰を防ぎ、武田軍をやぶった。
本能寺の変で、志半ばにして倒れてしまった信長だったけれど、経済を回すということは、しっかり秀吉に引き継がれた。
本書の最終章は、なぜ戦国武将たちは、果てしもない乱世を始めてしまったのか、、、という話。
それは、家督争いの内輪もめから。乱の口火を切ったのは、有力守護大名の畠山家で起こった家督争い。そこに、当時室町幕府八代将軍だった足利義政から先の家督争いが加わる。義政は、あまり政治に興味が無くて、弟の義視(よしみ)を後継者として決めた。でも直後に正室の富子に義尚(よしひさ)が生まれる。義尚と義視には、それぞれ当時の実力派守護大名の山名派、細川派がつき、西軍、東軍として戦うこととなる。
この戦乱は、11年も続く、、、。京の治安は最悪となって、全国に不穏な空気が流れ、戦国の世へ・・・。
家督争いから、国中の戦乱に・・・。
いやぁ、浅はかだよなぁ、、、なんて。
いつの世も、他者を排して自分が上に立ちたいという欲望に燃える輩がいるのだ。競争があるからこそ、成長があるともいえるけど、家督争いに始まる紛争なんて、、、あさましいというのか、、、。
大坂城がただの居城ではなくて、経済の中心としての役割だったというのが、なるほど、納得。家康が豊臣家を亡ぼしていなかったら、、、歴史はどうなっていたのだろうか。。。
たら、れば、がないのが歴史だけど、たら、れば、を考えるのが歴史を読むときの面白さともいえる。
やっぱり、歴史ものは勉強になるね。
信長、秀吉、家康の関係性がわかる一冊だった。
読書は楽しい。