『国家と資本主義支配の構造』 by 佐藤優 (その1)

国家と資本主義支配の構造
同志社大学講義録
民族とナショナリズムを読み解く
佐藤優
青春出版社
2022年7月5日 第一刷

 

本屋さんでみかけて気になってはいたのだが、アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズムそのものが難しいので買うのを躊躇した。図書館で検索したら出てきたので、借りてみた。

 

megureca.hatenablog.com

 

表紙裏には、
”資本主義とナショナリズムの現代に生きるわたしたちは、それに気付かず「支配の構造」に巻き込まれ、マインドコントロールされています。
現代社会で心折れずに生きていくためには、その構造を見破り、自分の置かれている状況を俯瞰して見つめることが重要になってきます。
社会人類学者アーネスト・ゲルナーの名著『民族とナショナリズムをテキストに、現代の支配の構造を解き明かしていきます。”

*本書は2021年1月から4月に行われた「同志社大学新島塾」での講義をもとに構成したもので、講義にはアーネスト・ゲルナー(著)、加藤節(監訳)『民族とナショナリズム』(岩波書店 2000年)をテキストとして進められた。 

 

まさに、私が読んだもののまだまだ理解できないと思った一冊がテキスト。でも、こうして佐藤さんの講義として読み進めると、少し理解がすすんだ気がする。本書は、だいぶ読みやすい。だって、わかりにくい内容を、佐藤さんが解説してくれているのだから。これは、なかなか勉強になる。245ページの単行本で、なかなかのボリュームだけれど、意外とあっという間に読んでしまった。付箋だらけになったけど。

 

佐藤さんは、ナショナリズム宗教の一つと言っている。ナショナリズムは日本語では国家主義」「国民主義」「民族主義と訳される。 自国の文化や歴史、政治体制を誇り、国内的にはその統一を図り、国外的にはその独立性を維持し強化しようとする動き。

北方領土尖閣諸島などの領土問題になると、日本人ならロシアや中国の行動に嫌な気持ちになるのではないか、と。自分は行ったこともないのに、自分の領土という思想が刷り込まれている。まさに、教育によって、そう感じるように仕向けられている。教育というのは、なにも学校教育に限らない。メディアの報道も、国民の教育の一つだろう。

 

ナショナリズムは、国家から意図的に操作されたり強められたりすることがあり、私たちはそうとは気づかず無意識的にナショナリズム意識を強めることがある。領土問題のニュースなどを見た時の気持ちがまさにそれ。佐藤さんは、世界各国で起きているナショナリズムの高まりはとても危険なことと考えられる、と言っている。

だからこそナショナリズムという現代の宗教に完全に洗脳されてしまわないように、マクロな視座でこの現象を捉え、突き放して見つめる必要があるのだと。そして『民族とナショナリズム』は、現代に蔓延するナショナリズムという現象を理解するためにマクロな視座を与えてくれる恰好のテキストなのだと。


本書は、一回読んだだけでも、云わんとすることが伝わってくる。講義テキストというのは、実にありがたい。自分が参加していない講義についても、こうして後から追いかけることができるのだから。『民族とナショナリズム』に興味があったら、ナショナリズムとは何なのかに興味があったら、おすすめの一冊。


自分は、ナショナリズムに洗脳されてなんかいない、と思っていても、だれもがその危険にさらされているということがわかる。ナショナリズムは、ただ危険ということだけではないし、政治的に一つの国として強くなることがよいこともあるだろう。でも、その集団意識の先に、危うい国同士の関係が何かの拍子に紛争につながる可能性もあるということ。自分の意識、行動は、ナショナリズムとは関係ないと思っていても、私たちは知らないうちに国家の思惑、政治的構造に組み込まれた社会で生きている。

 

自分の思想が、いかに国家の影響をうけているのか、それを自覚することが大事だと思わされる一冊。まさに、マクロな視点、俯瞰する視点、様々なヒントを与えてくれる。コロナによる国境封鎖がとかれ、グローバルな人・物・金の動きが再開したいまこそ、読むべき一冊かもしれない。

 

目次
序章 ”マクロな視座”があなたを人生の呪縛から解放する
第1章 国家は”暴力””を独占し国家をシステム化する
第2章 人類の”生産力””が上がるたび社会構造は激変する
第3章 現代社会の本質は”永久の椅子取りゲーム”だ
第4章 ”差別”と”階級闘争”が人類の歴史を動かしてきた
第5章 ”能力至上主義”という新たな差別が始まっている
第6章 資本主義の”激流”に飲み込まれてしまわないために
あとがき

 

序章は、佐藤さんの語り。第1章以降は、講義の形で、佐藤さんと受講生との対話。受講生にはイニシャルがついている。佐藤さんの質問に、受講生が答える。さらにそれに佐藤さんが質問したり、補足したり。まさに、講義での対話。そして、『民族とナショナリズム』だけでなく、参考とする著書については、「その一部を読んでみよう」という形で、読まれた部分が抜き書きされている。まさに、もとのテキストを少しずつ読み進める感じ。

使用されているテキストのもう一つが、アメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』ナショナリズムを研究する人にとっては必読書、だそうだ。むろん私は、読んだことはない・・・・。

 

ベネディクト・アンダーソンは、『想像の共同体』の中で、
”そこでここでは、人類学的精神で「親族」や「宗教」を定義するように、国民を次のように定義することにしよう。国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体(イマジンド・ポリティカル・コミュニティ)である。そしてそれは、本来的に限定され、かつ主観的なもの[最高の意思決定主体]として想像されると”
と書いている。

佐藤さんの言葉に変換すると、
国民というものは、イメージにすぎない”と。

そして、佐藤さんが受講生に、ちょっと難しい質問をしよう、といって投げかける。

Q:「民族」と「ナショナリズム」どっちが概念として先行するか。

「夫」と「妻」という概念と「夫婦」という概念なら、先行しているのは「夫婦」という概念。「夫」と「妻」がいて「夫婦」ができるのではなく、「夫婦」という関係になったから「夫」と「妻」がある。

と考えると、「ナショナリズム」という概念が先行して、「民族」という概念が後付けされる、ということがわかる。ナショナリズムのないところに、民族という概念は生まれないのだ。

 

なるほど。と思った。
日本に、日本人として住んでいると民族なんてあまり考えることがないけれど、「日本民族」だって、むかしから存在したわけではない。人種でもない。

佐藤さんは、「日本」という言葉がいつできたか、という説明もしてくれる。ちょっと、歴史の勉強にもなったりして。

中国の歴史書では、日本に対して「」という呼び名を使っている。まさに、「金印」の言葉。これは、日本側が倭と称したわけではない。天武天皇が、中国から見て日が昇るところ「日出ずる国」という意味で、日の本(ひのもと)、日本、となずけたとされている。

と、テキストを読みながら、佐藤さんの解説が続く。

 

気になったところを覚え書き。

 

・「国家についての議論はマックス・ウェーバーの有名な定義、つまり国家とは、社会の中で正当な暴力を独占的に所有する機関であるというものから始めることができよう。」(『民族とナショナリズム』から抜粋)


第1章のタイトルの通り。国家は暴力を独占し国民をシステム化するという話。国家は、徴兵・徴税を国民に強制することができる。それが暴力を独占しているということ。日本には徴兵制はないけれど、私たちは社会に出て収入を得るようになれば、所得税や住民税を払う。 嫌だと言ったって、吸い取られるのが税金だ。もちろん、その税金があることによって、私たちは義務教育を受けたり、公共のインフラを使う事ができる。
また、国家は、私的な暴力は認めない。たとえば、暴力団とか・・・。あるいは、オウム真理教とか。。。暴力を独占するのが国家なのだ。

 

ヘーゲル歴史観
歴史とは絶対精神の実現する過程である
ヘーゲル絶対精神とは、自由を本質とする理性的な精神で、絶対者または世界の最高原理とされる。
古代社会においては、 例えば中国の秦や漢のような国においては、自由を行使できるのは皇帝たった一人だった。それが中世になると、貴族たちが自由を手に入れるようになる。そして近代国家になると、例えばドイツのような国民国家においては、多くの国民が自由を手に入れる。歴史が進んでいく中で自由がどんどん広がっていく。この自由がヘーゲルの言うところの絶対精神につながる。
人々が自由を獲得していく過程が歴史だったということ。

 

そして、冷戦以降、自由はすでに多くの人に広がっていて、「歴史はおおかた完成した」と考え、それを唱えたのがフランシス・フクヤマ
フランシス・フクヤマは民主主義と新自由主義の浸透した現代こそ、自由が行き渡った世界史の完成型だ、と考えた。自由の実現を目指して運動してきた歴史の最終地点に残ったものは、崇高なイデオロギーや宗教の理念なんかではなく、資本主義の競争原理であり経済の市場原理だったと考えた。 

と、そんな政治経済学の情報も、講義の間に飛び出す。『民族とナショナリズム』というテキストをもとに、方々にドットが繋がっていく感じが楽しい。

 

・第2章の生産力の話では、中央集権の巨大国家の成立は、「水道」が鍵を握っていた、という話。
 古代ギリシャは、中央集権化が行われてない一方で、ローマは中央集権化が行われている。その違いは、「水道」があったかどうか。人は水がなければ生きていけない。だから権力の中央集権化、巨大帝国が成立するポイントは水にあるということ。これはアメリカの社会学者、カール・ビットフォーゲルという人が「水力社会の理論」として展開している。

なるほど、である。

 

長くなってしまったので、続きはまた明日。