『国家と資本主義支配の構造』 by 佐藤優 (その2)

国家と資本主義支配の構造
同志社大学講義録
民族とナショナリズムを読み解く
佐藤優
青春出版社
2022年7月5日第一刷

 

昨日の続き。アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズムをテキストとした、佐藤優さんの同志社大学での講義本。

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目次
序章 ”マクロな視座”があなたを人生の呪縛から解放する
第1章 国家は”暴力””を独占し国家をシステム化する
第2章 人類の”生産力””が上がるたび社会構造は激変する
第3章 現代社会の本質は”永久の椅子取りゲーム”だ
第4章 ”差別”と”階級闘争”が人類の歴史を動かしてきた
第5章 ”能力至上主義”という新たな差別が始まっている
第6章 資本主義の”激流”に飲み込まれてしまわないために
あとがき

 

昨日の続きで、第3章から。

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・第3章の”永遠の椅子取りゲーム”の話。
 産業社会は「無秩序に」「流動的に」人材が散らばっていく。 農耕社会と比べると、産業社会はそれぞれの人の帰属は固定されたものではなく、出入りが激しく、流動的になる。流動的だから、椅子取りゲームが発生する。 
佐藤さんは、産業社会での「規制緩和」とは、聞こえはいいけれど、要するに中間団体を潰していく作業だという。国鉄の民営化は、国内最大の労働組合であった国鉄労働組合を解体するのが真の目的だったとも言える、と。日本における労働組合運動はそれを境にして一気に弱体化したのだそうだ。 国鉄民営化は1987年。第三次中曽根内閣行政改革だった。私も、子供ながらに、ニュースの中で、国鉄の組合が暴れていたのは、なんとなく記憶にある。
確かに、1991年に私が社会人になったとき、新入社員は全員組合員になるという仕組みだったけれど、組合活動といっても政治社会的なものは乏しく、ただのリクリエーション活動のようだった・・・。
 組合という働く人を守る中間団体がなくなれば、個人が個人と戦う椅子取りゲームがより激しくなる、というのは、あり得るのかもしれない。組合員で団結、なんていう姿は、実際には私の会社では目にしたことがない。会社と組合は、敵対するものではなく、共同して会社をよくしていくもの、という姿勢がつよかった。形式的には、春の賃上げ、団体交渉はあったけれど、ながく「満額回答」だった。私自身は、組合の活動に組織的力を感じたことは、一度もない。

だから、昨年、ジェイク・ローゼンフェルドの『給料はあなたの価値なのか

賃金と経済にまつわる神話を解く』を読んで、組合を再結成することの重要性を言われても、これは、アメリカの話であって、日本とはちょっと違うかも、と感じた。

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・第4章の”差別”と”階級闘争”の話。
 根深い人種問題を克服するためには「差別の構造」を学ぶべきだという。民族とナショナリズムの中でゲルナーは「青色人」と言うか架空の肌の色の人種を想定することで、 どのようにエントロピー構造が作り上げられていくのかを語っている。 ゲルナーのいうエントロピー構造というのは、本来、産業社会において人材が無秩序にあちこちに拡散していくことが「エントロピー」だとすると、それに反する構造のこと。つまり、人材が拡散せず、一定の枠の中に閉じ込められている状態。
政府が「全ての才能にひらかれた機会」の政策を公布し施行しているにもかかわらず、「青色人」が、その社会の頂点か底辺か、どちらかの場所に執拗に占有し続けている状態。それは、耐エントロピー構造になる。そして、その多くは、「差別」に繋がりえるという話。

非青色人の中の社会的底辺層の人たちが、自分たちよりも下だと思っている青色人に対して恐れを抱いている」とする。それは青色人に追い抜かれるかもしれないという怖れを抱いているから、それが憎悪に変わり、差別につながるのだと。

なぜ、青色人を恐れるのか。それは、青色人に追い抜かれたら、自分たちの食いぶちが脅かされるかもしれないから。じつは、差別というのは、経済力に関係している
差別する側というのは、その社会における経済的な弱者であることが多いのだという。 であれば、差別を解消するためになにをすればいいのか?弱者の経済力をあげればいい。それに必要なのは何か?教育、ということに至る。

ちなみに、日本における男女差別も、男が女に追い越されることを恐れているということか?!わりと、当たっているかも。

そして、教育から、能力主義へ。

今の社会は、中世の血縁主義とは違い、成績さえよければ、公平に採用されるチャンスはある。だから、近代の社会では、優秀な学歴を得ることが、差別から解放される方策としてもっとも有効な手段と言える。

そして、それを具現化したのが、オバマ大統領であり、ネルソン・マンデラ氏。
そうか、、、なるほど。。。。

女性の大学進学率が上がっているというのも、差別をなくすために必要なプロセスってことか。確かに、私が博士を取ろうと思ったのも、研究者として、男性あるいは外国人たちとも同じテーブルで議論したいと思ったからに他ならない。同じテーブルにつくには、それだけの教育をうけてきたという証が必要だと感じたのだ。

 

また、行き過ぎた差別の話から、ヒトラーを感化した、カール・シュミットの「敵か味方か」理論が紹介される。カール・シュミット『政治的なものの概念』は、政治関係の勉強している人は必ず読んでおくべき本の一つだと。その著書なかで言われているのは、
政治的なものの区別は道徳的に善であるとか悪であるとか、見かけが美しいとか醜いとか、経済的に利益があるとかないとかそういうことには一切関係がない。政治的なものの区別は敵か味方かという区別しかない。”ということ。

戦争は、そうして、始まる・・・・・。

 

また、長くなりそうなので、続きはまた明日。