『コード・ブレイカー(下) 生命科学革命と人類の未来』 by  ウォルター・アイザックソン

コード・ブレイカー(下)
生命科学革命と人類の未来
ウォルター・アイザックソン
西村美佐子、野中香方子 訳
文藝春秋
2022年11月10日 第一刷発行
The Code Breaker: Jennifer Doudna, Gene Editing, and the future of the Human Race(2021)

(上)の続き。

megureca.hatenablog.com

 

(上)では、ジェニファー・ダウドナがどのような生い立ちで、どうやってCRISPRの誕生日つながったのか。同僚との共働や、ライバルとの熾烈な争いなどについて。(下)では、その革新的技術をつかって、どのようなアプリケーションがすすんできたのか、という話。
(下)の方が、遺伝子工学に詳しくなくても、ジャーナリズムネタとして楽しく読めるかも。

表紙の裏には、
”ゲノム編集技術を手にした人類は、自らの種を改変するのか
 mRNAワクチンを開発、コロナウイルスに勝利した人類。
 医療をはじめ 巨大産業創出への期待が高まる。だが、プーチンは予言していた。「恐れを知らぬ 兵士が作れる」。 そしてゲノム編集された赤ちゃんが誕生する。
 世界的ベストセラー 『スティーブ・ジョブズ』評伝作家の最新作。
「未だ知らざる多くのことを 私はこの本から学んだ」 ビル・ゲイツ 絶賛!”
とある。

 

目次
第四部 クリスパー 作動 
 第32章 治療を試みる
 第33章 バイオハッキング 
 第34章  生物兵器  米国国防省も参戦 

第五部 市民科学者
 第35章 人間を設計するという考え 
 第36章 ダウドナ 参入 

第六部 クリスパーベイビー誕生 
 第37章 賀建奎(フー・ジェンクイ) 赤ちゃんを編集する  
 第38章 香港サミット 
 第39章 容認

第七部 モラルの問題
 第40章 レッドライン  超えてはならない一線 
 第41章 思考実験 
 第42章 誰が決めるべきか 
 第43章 ダウドナの倫理の旅 

第八部 前線で起きていること
  第44章 生物学が新たなテクノロジー
  第45章 ゲノム編集を学ぶ
  第46章 ワトソン 再び
  第47章 ダウドナ、ワトソンを訪問する

第九部 コロナウイルス
 第48章 召集令状
 第49章 検査をめぐる 混乱 
 第50章 バークレー研究所 
 第51章 マンモスとシャーロック 
 第52章 コロナウイルス 検査 
 第53章 RNA ワクチン 
 第54章 クリスパー 治療 
 第55章 コールド・スプリング・ハーバー・バーチャル 
 第56章 ノーベル賞に輝く


技術は、人々の生活に役立ってこそ意味がある。科学者だって、儲けたいということもなくはないが、世の中に役に立ちたい、と願うものだ。純粋であるはあるほど。世の中に役に立つ技術であることほど、自分の研究が意味あるものであると感じられることはない。ダウドナも、最初はバイオテクノロジーの興味から始まった自分の研究が、人の遺伝子編集に応用可能であることに歓びを感じだただろうし、では何にどう応用するのがいいのか、悩みもしたのだろう。そんな心の葛藤だったり、具体的にどう行動したのか、ということが(下)では紹介されている。

遺伝子編集ができるということは、人の遺伝病を治せる可能性があるということ。一般的に考えれば、人の役に立つというのはそういうことだろう。困っている人を救うことが出来る可能性。しかし、「背の高い子ども」「知能レベルの高い子供」「青い目の子ども」をデザインすることも不可能ではない。倫理的なことが問われる。

アメリカでもヨーロッパでも、クリスパーの技術をどのように応用するべきかという検討会が多く開かれた。

鎌状赤血球貧血症(sickle cell anemia)は、黒人に多い遺伝性の病気として知られていて、たった一つの塩基対の変異であるが、症状は重篤であることが知られている。クリスパー応用の対象としては取り組みやすく、実際に臨床試験も行われた。痛みを伴う重篤な症状に苦しめられていた患者は、見事に正常赤血球を自分の身体で作り出すことができるようになり、治療は成功した。でも、問題は、その治療には100万ドル/人かかることだった。高額所得者しか、そのような治療を受けることはできないだろう。経済格差が、医療格差につながる、という問題も浮上した。

医療倫理というのは、本当に複雑だ・・・・。

ちなみに、本書からは脱線するが、医薬の世界では、そういった是非を討議するメンバーにとって重要と思われる治療は、政府の認可が早いと言われている。バイアグラはすぐに認証されたのに、中絶用ピルがなかなか認可されない日本の歴史は、その典型である、ということ。

と、そんなことを思いながら本ブログを書いていたら、どうやら、日本も妊娠9週間目までの妊婦に向けて、製造販売がようやく承認される方向になったというニュースが入ってきた。世界80以上の各国で、1988年以降に承認されているのに、なぜ日本はこんなに遅かったのか。Megurecaに詳細は、書かなかったけれど、『叱る依存が止まらない』の中には、中絶は罰だから肉体の痛みを伴うのが当然という考えが日本にはあり、母体にも危険な物理的に掻き出すという方法で女性が傷つくことを是とする文化があったという話があった。

megureca.hatenablog.com

ちょっと、脱線した・・・。話を本書に戻そう。

 

本書の中で明言はされていないが、アメリカにおいても、白人患者が少ない病気の治療について審議がすすみにくい、、というのが現実かもしれない。

遺伝子編集は、どのように取り組むべきなのか、多くの人が会議に参加した。マイケル・サンデル教授、フランシス・フクヤマ、スティーブ・ピンカ―。医療業界とは関係なく、哲学、歴史、経済、様々な分野の人たちが話し合った。生殖細胞の遺伝子編集だって、子供に良い学校へ通わせる親がそうするように、良い遺伝子を子供に提供することの何が悪い、という人もいれば、生殖細胞の遺伝子変種は、疾患の治療には当たらないので倫理的にゆるされるべきではなない、という慎重派、多くの意見があった。遺伝子編集できるのに、「セックスルーレット」で子供を生む方が無責任だ、という意見もあった。

ハーバードのマイケル・サンデル教授は、『完全な人間を目指さなくても良い理由  デザイナーベイビー、バイオニックアスリート、遺伝子操作が間違っている理由』というエッセイを2004年に発表しているのだそうだ。ちょっと、読んでみたい。思想家、フランシス・フクヤマは、『人間の終わり  バイオテクノロジーはなぜ危険か』という著書を2002年に出版し、バイオテクノロジーの規制を求めた。

一方で、二重らせん発見で有名なワトソンは、どんどんやるべきだ、それでこそ科学の進展だ、という推進派だった。だが、その発言は、だんだんと人種差別的含意を帯びてきて、ワトソンは最後には社会から追放されてしまう。。。そんなことになっていたとは、知らなかった。かつての英雄は、慎重さを欠いた発言を重ね、2020年には、完全に社会からの追放者になってしまったのだった。。。

一般の人にとっては、よくわからない技術の世界は、ホラーにも聞こえた。あるいは、マイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』にでて来るような、地球を脅かすに生物を科学者が作り出すのではないか、、という脅威もなくはなかった、と言話が出てきた。
アンドロメダ病原体』は、衝撃の面白さのSF小説だ。1969年の作品らしいが、私が読んだのは30代だろうか。会社の同僚が薦めてくれた読んだのだが、当に、バイオテクノロジー専門家の私にも、すごく面白い話だった。そのあと、マイケル・クライトンのSFを読み漁った記憶がある。SF好きなら、絶対、お薦め。でも、科学に詳しくないと、ホラーに思えるのかもしれない・・・。

人は、よくわからないものには、脅威を感じるものだ。


(下)のなかで、最もショッキングな事件は、中国の研究者が、必須ではないのに生殖細胞の遺伝子編集により、HIVに感染しにくい変異をもった双子の赤ちゃんを出産させたことだ。2018年のこと。私も新聞でみて衝撃を受けたことを覚えている。中国ならさもありなん、、、とも思った。ダウドナたちは、批判の声をあげた。中国の賢人には、まさかそんなことが起こるとは信じられないという人もいた。でも、ただ批判して技術の進歩を遅らせてはならない。人の選択の自由とは何なのか、、、重い課題は今も残る。

生殖細胞の遺伝子編集をした中国人研究者・賀建奎(フー・ジェンクイ)は、後に中国内でも無用な遺伝子編集をしたということで有罪判決を受けている。これは、妥当だと思う。

世の中には、自分の名前を売りたいという自己承認欲求だけのために、技術を使う人もいる。中には、生殖細胞の遺伝子編集をビジネスにして、「デザインド赤ちゃん」を商品にしようとする人もいた。

いやいや、、、やっぱりそれは、間違っているだろう。

著者は、遺伝子編集で子孫にその遺伝を残さないことが可能と考えられる遺伝病患者に、そうしたいか?というインタビューをしている。自分と同じ苦しみを子供に残さずにすむなら、それを望まない親がいるだろうか。。。かといって、自分の個性としてその病気があったことを否定はしない。。。
マイケル・デイビスの才能も、彼の鎌状赤血球貧血症という病気があったから開花したのかもしない、という話がでてくる。マイケルは、アメリカの伝説のジャズトランぺッターだけれど、痛みに耐えながらの演奏だったのそうだ。

自閉症だって、本人は困っていないのに、社会が対応にこまって障害者扱いしているに過ぎないという側面がある。自閉症はそもそも障害なのか?素晴らしい個性であるという側面も否めない。それを生殖細胞への遺伝子編集でなくしてしまうというのは、人類の多様性を、人類の才能をうしなってしまうことなのではないのか?

まさに、『パターン・シーカー』の個性を失ってしまうというのは、人類の可能性を失ってしまうということではないのか。

megureca.hatenablog.com

 

遺伝子編集で、みんなが高身長、高ルックス、高知能になったら、どういう社会になるのか???そのうち、みんなおんなじ顔になって、おんなじ知能になったら、、、なんて、、ディストピアだ。

 

第九部では、ダウドナをはじめとするクリスパー研究者たちが、一緒になってコロナワクチン開発、コロナ検査キット開発を迅速に進めた成果について。日本では、結局PCRテストだよりだったけれど、アメリカではもっと簡便にできるキットもあったのだ。しかも、ワクチンも異例の速さで開発が進んだ。かつてのライバルたちはともに協力しあって、コロナと戦った。人類を救うため。そういう時、人は一つになれる。

人は、必要となると、すごい力を発揮する。日本が、コロナ関連開発がすすまなかった理由は、必要と感じた人がすくなかったのだろう。。。それをきめる関係者の中に。

 

遺伝子編集は、これからも様々な応用が期待できる。でも、その技術をどう使うか、その議論も同時に必要なのだろう。ChatGPTをはじめとするAIチャット機能をめぐっても、アメリカでは過度な開発競争が危険な領域に進んでいるとして、開発の一時停止(Pause)を求める意見書が提出されている。イーロン・マスクですら、そこにサインしている。

 

「テクノロジーは、全ての人の為であり、平和目的でなくてはいけない。」

 

私も、科学者の端くれとして、その重要性を守っていきたい。実験を中止してしまうのは、人類の進歩を妨げることになる。分子生物学もIT開発も、節度をもった開発でなくてはいけない。

 

万人に求められる、倫理なのか、道徳なのか。それを育むのは専門家教育ではなく、幅広いリベラルアーツなのだと、つくづく思う。

 

色々な本を読もう。私はまだ何も知らない。だから、読もう。