『入門 開発経済学』 by 山形辰史

入門 開発経済学
グローバルな貧困削減と途上国が起こすイノベーション
山形辰史
中公新書
2023年3月25日 発行

 

2023年4月22日付、日経新聞の書評にでていた。
記事の中に、
”日本でもブームのようになっている国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が国際開発の観点からは物足りないとの分析が目を引く。”との文言があり、それこそ、私の目をひいた。

SDGsを掲げていても、方便としてのSDGsという事例を嫌というほど見てきた。著者は、真の貧困削減を考えているようだ。

著者の山形さんは、1963年、岩手生まれ。1986年 慶應義塾大学経済学部卒業。 2000年 米国 ロチェスター大学より 博士号(経済学)を取得。 日本貿易振興機構アジア経済研究所 研究員などを経て、現在立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部 教授。 元国際開発学会 会長。 専攻は、開発経済学

表紙裏の説明には、
”世界は今なお悲惨さに満ちている。飢餓、感染症、紛争にとどまらず、教育、児童労働、女性の社会参加、環境機器など、課題は山積みだ。 途上国への支援は私たちにとって重要な使命である。 一方、 途上国 自身にも新たな技術革新の動きが生じている。当事者は今、何を求め、それはどうすれば 達成できるか?  効果的な支援とは何か?  開発経済学の理論と最新の動向を紹介し、国際協力のあり方や、今こそ必要な理念について提言する”

とある。

 

目次
第1章 開発経済学の始まりと終わり?
1-1 二重経済論 私と異なるあなた
1-2 植民地からの独立と経済成長  自分たちの国を興す
1-3  成長の限界と構造調整  世界は混んできた
1-4  世紀末から新ミレニアムへ  目標と成果

第2章 21世紀の貧困   開発の成果と課題
2-1  世界の貧困の外観  数字に現れる 貧困削減
2-2  不利な立場の人々  女性と性的少数者
2-3  不利な立場の人々  子ども
2-4  不利な立場の人々  難民
2-5 不利な立場の人々  障害者
2-6 新ミレニアムの貧困削減 機会・エンパワメント・安全保障

第3章 より豊かになるために 経済成長とイノベーションのメカニズム
3-1  経済成長の実績  アフリカの高成長国
3-2  経済成長のメカニズム   AK モデル
3-3 人々の生活を大きく変えた技術革新
3-4  誰がイノベーションを起こすか?
3-5 感染症知的財産権
3-6  新型 コロナウイルスのための医薬品開発政策

 第4章  国際社会と開発途上国 援助と国際目標 
4-1  政府開発援助  原型と展開
4-2  援助を有効に用いるために
4-3  中国のプレゼンス 拡大とドナー 関係再編
4-4  SDGs と その 国際開発離れ
4-5  ポストSDGs の国際協力

 

開発経済学」という言葉は、聞きなれているようで、中身を知らないような、、、。啓発経済学は、1990年代には、経済発展論とも言われていたそうだ。1980年代、「開発」を自動詞的に「発展」と言っていた時代から、1990年代以降に「開発」というようになってきたのだという。

なんか、貧困対策の経済の話、、、読んだことあるぞ?と思って、見返したら、

『絶望を希望に変える経済学』にも、開発経済学、という言葉がでていた。

megureca.hatenablog.com


ノーベル経済学賞を受賞した、クルーグマンは、1993年に「開発経済学の盛衰」というエッセイを書き、開発途上国や国際開発のプロセスのみをとりあげる「開発経済学」の役割はおわったのではないか?ということを主張した。

 

第1章では、「開発経済学」とはなにか?が説明されている。つまりは、支援する側と支援される側の二重経済の構造が、開発経済学なのだと。支配する側は、宗主国であり都市社会、工業国。支配される側は、植民地であり農村社会、農業国。たしかに、植民地時代が終われば、開発経済学という学問の役割は終わったのかもしれないが、支配ではなく、国際支援という形で、支援する側、支援される側、という二重構造は、今でも続いている。そういう意味で、開発経済学は、今なお、重要だというのが、著者の意見。

章の終わりに、
開発途上国が、その国民のうちの重要な一部である 貧困層の生活水準を向上させるための経済学、開発途上国がグローバル経済の中でその生産物の競争力を高め産業発展を進めるための経済学、地球環境の持続性を保ちつつ、開発途上国がその国民の生活水準を上げていくための経済学は、現在も求められている”と言っている。


第2章では、21世紀の今も貧困は世界のいたるところにあり、貧困撲滅のための経済活動、経済支援は必要だ、という話。貧困というのは、人間としての安全保障、つまりは健康や衛生といったものが保障されない環境を生み出す。それは、21世紀の今も課題として残っている。さまざまな、貧困の事例が紹介されている。ロヒンギャ難民、シリア難民、性的少数者、子ども、障害者、女性。。。。
アマルティア・センの『喪(うしな)われた女性』という本が紹介されている。生物学上、男児と女児の比率は、51対49であり、幼少時に男児の方が弱くて、死亡率が高いので、その後徐々に50対50に近づくのは自然なのだそうだ。だが、ある特定の地域、国においては、成人男性の女性に対する比率が、1より高く、それは、「本来生存しているべき女性が死亡しているから」だという話。女の子が生まれるとわかったら中絶してしまったり、生まれた後に殺してしまったり、、、、、。中国の一人っ子政策はそれを助長したのかもしれない。。。

世の中には、夫に殴られても当たり前と思う妻がまだ多くいるのだ、と。。。。統計の数字が紹介されているのだが、①夫に口答えする、②性交を拒否する、③料理に失敗する、、などの理由で、夫に殴られても仕方がないと考える国が、たくさんある。特に、サハラ以南アフリカにはたくさんあるのだ。。。結構、衝撃の数字。。。習慣とは恐ろしい。

 

第3章では、世界全体がより豊かになるための様々な活動が紹介されている。第2章の悲惨さに比べると、ちょっと、明るい未来のような気がする。HIVワクチンについて、特許をフリーとして開発途上国でのワクチン促進をすすめたAMC活動が紹介されている。コロナワクチンでも、同様の動きがあった。まさに、クリスパーがもたらした、世界協力。

megureca.hatenablog.com

COVIDー19テクノロジー・アクセス・プール。抗コロナ薬やワクチン開発技術の特許の放棄を製薬会社にもとめた。もともと、2006年にフランスが中心となって設立されたユニットエイドという組織が立ち上げた、医薬品特許プール(Medicine Patent Pool MPP)の仕組みを踏襲したのだ。パテントプールという言葉は、いまではよく聞くのだけれど、2006年以降のはなしなのだ。

 

第4章では、国際的援助の今後について。ここでも、なかなか厳しい現実が指摘されている。SDGsという言葉ですら、新鮮味が失われつつあり、コロナもあって各国は内向き志向になり、国際開発離れがすすんでいるのだ、という。日本企業の役員が17色のSDGsバッジをつけている、、、のと裏腹に、表面的なものになってしまってるのではないかと指摘する。

あえて、ここで、SDGsをお浚いしておこう。
持続可能な17の開発目標
1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに。そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤を作ろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任、つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう

著者曰く、地球温暖化や環境問題の重要性が大きく意識されていく一方で、貧困や社会開発への重要性への認識が、相対的にさがってしまっている、と。

なるほど、17個も目標を掲げられたら、さもありなん。。。
それでも、人として、取り組んでいくべきなのが国際支援なのだろう。

イギリスの国際開発研究者、デビッド・ヒュームの「高所得国が低所得国を支援する理由」が紹介されている。
1 同じ人間としての共感
2 道義的責任
3 共通利益
4 自己利益

ごもっともだなぁ、と思う。

毎度、ちょっと説教くさくもある「中公新書」だけれど、確かにそういう側面もあるなぁ、と考えさせられる一冊だった。
とはいえ、自分に何ができるのか。ただの野次馬根性で世界の貧困を知るのではなく、具体的に自分にできることはあるのか???

考えちゃうな。。。