『これからの哲学入門 未来を捨てて生きよ』 by 岸見一郎

これからの哲学入門
未来を捨てて生きよ
岸見一郎
幻冬舎
2020年12月10日 第一刷発行

 

図書館の「哲学」の棚で目に入ったので、借りてみた。岸見さんの本。

 

岸辺さんは1956年 京都府生まれ。 京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。(西洋古代 哲学史専攻)。『アドラー心理学入門』や『嫌われる勇気』が有名。アドラーについては、NHKの100分で名著での解説もされていたと思う。割とむかしに『アドラー心理学入門:を読んで、地味だけど、ズバッと的確なことをいってくれていて、いいなぁ、と思った。そうしているうちに、なんだか、有名な人になっていた。

 

本書は、副題の「未来を捨てて生きよ」という言葉が気になったので、読んでみた。きになったというのは、共感したのではなく、「未来をすてたら、何の面白みもないじゃないか!」と、どちらかというとObjectionを感じたので、読んでみた。読んでみると、「未来を捨てよ」の意味が伝わってきた。岸見さんは、「明けない夜はない」なんてことはなく、「明けない夜も、ある」と言っている。つまり、将来の事、未来の事なんてだれもわからないのだ。未来に向かって生きるのはいいのだけれど、未来のことよりももっと大事なのは、「今」を生きるということ。と、そういうメッセージなのだと受け取った。

そうか、そういうことなら、うんうん、わかった。共感。
って感じで、途中から、そうか、そういうことか、と納得しながら読んだ。

 

目次 

はじめに  これからの時代をどう生きるか
 先が見えない人生に希望を 
 未来あるべき人生に戻ろう 
 善意を超えて他者と真に結びつけるか 

第1章 「私」とは 
 差し迫った危機の中でどう生きるのか 
 「人は人 吾はわれ也」
 偶然を運命にするのは「私」 
 あるのはこの「私」だけ 
 第二の戦場で戦う人 
 私幸せに見える?
 他者を裁きたい人 

第2章 「生きる」とは 
 生きがいは今ここに
 生きていることに価値がある 
 それでも生きている 
 死に優劣はない 
 不死の「私」 

第3章 「愛する」とは
 結婚は恋愛のゴールではない 
 恋愛に条件はいらない 
 会えなくても繋がれる 
 子育ては親を育てない 
 老いた親を愛せるか 
 理想の家庭は自分で作る 

第4章 「働く」とは 
 仕事は人生の重大事ではない 
 人工知能は神ではない
 定年後も変わらない「私」 
 お金がなくても生きられる
 生きがいの搾取 
 人生は戦いではない
 
終章 私たちができること 
 価値相対主義からの脱却
 できることは足元にある
 人生において大切なこと 
 まず人間
 ゆっくり変わろう
 一人の力は大きい 

 

目次には、もう少し細かく内容が書かれているので、目次をみて、気になるところだけを読むのでもよいとおもう。少なくとも私にとっては、あぁ、そうだ、それでいいんだったって、考え方のリセットになってよかった。そして、中で引用される様々な人の言葉が、また復習になったり、参考になったり。

自分でつくる読書中のマインドマップで赤字で記載したのは、九鬼周造の言葉。
深い思索は、深い体験が不可欠
何かを創造するとき、あるいは習得するとき、最初は誰かの真似でもいい。良いお手本をコピーしてもいい。でも、自分自身の深い思索は、自分自身での経験からしか生まれない。

そうだよ、そうだよ。おもわず、膝を打つ。

本物を経験する事、良いものを経験する事、自分自身の五感をフルに使って経験する事こそ、考えるための支えになる。本や映画も、疑似体験という意味では体験の一つ。でも、本や映画の中の話は、匂いや触感、味だって、自分で想像するしかない。自分の身体で経験するにまさる体感はないのだ。

九鬼周造って、松岡さんの本を読むまで、知らなかったし、気に留めたことがなかった。
二度であったので、いつか、彼の本もよんでみようか。

megureca.hatenablog.com



他にも、心に響いた文章を覚書。

 

三木清の言葉
常ないものを常あるもののごとく思い、頼むべからざるものを頼みとするところに人生における種々の苦悩は生ずる” 

人生は無常だし、人は必ず死ぬ。幸福の絶頂にあって、いつまでもこの幸福が続けばいいと思っても、そうはいかない。今日は苦しくても、明日はなんとかなる、と思っても、自分が期待するあしたは来ないかもしれない。

私たちに与えられているのは、「今」という現実だけだ、ということ。
だから、幸福というのは、「なる」のではなく、「幸福である」ということが大事。今の幸福を感じることが大事、ということ。

 

三木清の言葉
”成功と幸福は違う。成功は過程であり、幸福は存在。”

成功するためには何かを達成しなければならないけれど、幸福は存在なので、何も達成していなくても、「今ここ」で人は「幸福である」ことができるということ。

 

・運命についての話の中で、岸見さんが乗ったあるタクシー運転手さんの話。
”お客さんを乗せていて こんなこと言うのもなんです、 お客さんを乗せてしまったら後は目的地まで安全に運転すればいいわけで、この時間は仕事をしているわけではないのです。
  では、いつが私にとって仕事かといえば、お客さんを降ろして次のお客さんが乗るまでその時に、ただ漫然と車を走らせていてはいけないのです。どこで、いつ、お客さんを拾えるか情報を集めるのです。 こんな風に考えて10年間車に乗ると、その後の10年が変わってきます。「お客が少なくて今日は運が悪かった」と言っているようでは、この仕事はやっていけないのです ”

お客が少ないのを運のせいにしては、何も解決しない。そりゃそうだ。すごい、運転手さんだ。コロナのせいにしても、何も解決しないのと同じだ。

これは、すごく、深い。なんでもそうなのだ。他責にした瞬間、問題解決から逃げたことになる。親のせい、学校のせい、会社のせい、上司のせい、部下のせい、、、社会のせい、、、、。 

 

先日、仕事で一緒になった国際会議通訳の方が、他国の女性通訳者の人に日本における女性の報酬の低さの話をしたら、「なぜ、あなた自身が女性の地位向上のために声をあげないんだ」といわれてはっとした、ということをいっていた。だれかが声をあげてくれるのをまっているのではなく、なぜ、あなた自身が行動しないのか、と。それは、彼女のことを攻めているのではなく、シンプルに、「なんで自分で女性全体のために行動しないの?」という疑問だったそうだ。

 

男女差別があるから、と言っている間は、他責にしているだけなんだなと感じたと話してくれた。思わず、私も大きくうなずいてしまった。かといって、なにか行動できているわけではないけど、、、。

 

・岸見さんの言葉
子育てをしたからといって、人間として成長できるわけではありません。 人間として成長することは大切なこと かもしれませんが 子育てをすることで成長するわけではありません。  子育てを通じて何かを学ぶということはあるでしょうが、学ぶことで自分が成長するかどうかということは少なくとも 子育ての真っ最中にある人は思いもよらないことでしょう。”

そして、 岸見さんは、子供を産んでいない人や結婚していない人に、「子育てや結婚で人は成長するんだ」という人(本人は既婚、子持ちのケース)は、相手の価値を低減させ、自分が優位に立ちたいだけなのだ、と。いってみれば、パワハラやいじめ、ヘイトスピーチとかわらない、と。

そして、子育てをすることで大人になる、結婚することで大人になる、ということはあるかもしれないけれど、人間の価値には何も関係ない、と。

そして、
”子育てをすることで自分が成長したと考える人は子育てをしてない人、結婚していない人、 子供がいない人よりも自分が苦労した分だけ優れていると錯覚してしまうかもしれません。もちろんそんなことはありません。”と。

岸見さんは、生きている、それだけで人間の価値なのだと。

老いた親についても、
”親を介護することと、親を愛することとを切り離すこと”と言っている。

子育ても、介護も、愛していればうまくいくというものではないのだ、と。ボランティアも社会貢献も、愛があればうまくいくというものではない。そういうこと。親だから、子供だから、同じ日本人だから。。。

絆も愛国心も、上から押し付けられてはならない”と。
”共同体”として、自らの意思で思うのが絆であり、愛国心。誰かに強制されるものではない。

 

また、岸見さんは、共同体の話のなかで、
”共同体は、時間的にも過去から現在、未来まで綿々とつながる。”と言っている。

横のつながりと、縦のつながり。まるで、禅の世界。

 

私たちは、地球に生きている。そして、人間の歴史の中に生きている。横にも縦にもつながっている。人脈が広いと言ったときに、同世代の横のつながりが多いという事例が多いけれど、本当に人脈が広い人というのは、縦の世代を超えたつながりも多い。会社や学校の縦のつながり以外の世界で縦のつながり増えると、自分の世界がひろがったように感じることがある。それも、経験することでしかわからないかもしれない。

 

食わず嫌いがもったいないように、やらず嫌いももったいない。

 

うん、読書も読まず嫌いにならず、雑食、雑読でもいい。

読書は、楽しい。