『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』 by  ジョシュア・フォア

ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由
 ジョシュア・フォア
 梶浦真美 訳
株式会社エクスナレッジ
2011年7月29日 初版第1刷発行
2011年10月26日 初版第6刷発行
Moonwalking with Einstein (((The Art and Scinece of Remembering Everythig)))

アメリカに住んでいる日本人の勉強法のYouTubeを見ていたら、本書が紹介されていた。面白そうだったので、図書館で借りてみた。2011年だから、もう10年以上の前の本だ。

著者のジョシュア・フォアは、ジャーナリスト。 『ナショナルジオグラフィック』『 エスクファイア』『スレート』誌、 『ニューヨーク・タイムズ』『 ワシントンポスト』 紙に記事を書いている。デビュー作 となる 本書はアメリカで 発売後 たちまちベストセラーとなった、とのこと。

 

目次

第1章  世界で一番頭がいい人を探すのは難しい 
第2章  記憶力の良すぎる人間 
第3章  熟達化のプロセスから学ぶ
第4章  世界で一番忘れっぽい人間 
第5章  記憶の宮殿 
第6章  詩を覚える 
第7章  記憶の終焉 
第8章  プラトー状態 
第9章  才能ある 1/10 
第10章  私たちの中の小さなレインマン 
第11章  全米記憶力選手権


記憶力を高める方法が書いてあるのかと思ったら、ちょっと違った。世の中には、どんな記憶力の人がいるのか、そういう人たちの特徴が紹介されている。その上で、本人が取材中に興味をもった「記憶を高める」ということについて、自分が実験台?!になって挑戦するという話。本書に紹介される記憶術そのものは、特に目新しいものではない。むかしから言われている、「記憶の宮殿」(自分のイメージできる場所に、覚えるべきものを置いてみて、その画像を記憶する」とか、数字の羅列を記憶するなら、数字を言葉に変換するとか。実際に、著者は一日のうちの何時間もをそのトレーニングに費やして、とうとう、大会で優勝する。でも、それ以上は目指すことはしなかった。ただ、何かを記憶することに膨大な時間を費やすことよりも、自分にはやるべきことがある、と分かっていたから。

なるほど。面白い。記憶力は鍛えられるのかもしれない。問題は、何の目的で記憶するのか、ってことかな。

 

近所のスーパーに買い物にいって、買い物リストを作っていたにもかかわらず、持っていくのを忘れて、スーパーの棚を前にして、はたと考える、なんてことはよくある。結局、全ては思い出せずに買い物をすまして帰宅し、玄関から入った瞬間に、あ!あれ、忘れた!って思い出す、、、結構よくある。。。メモにしないで、脳内記憶で忘れずにすむなら、いいけどなぁ。一方で、そんなものはメモにして置けばよくて、記憶はもっと他の重要なことに使った方がいい、って場合もあるかも。

 

いずれにしても、頭をつかうと、それなりに疲れる。効率的に覚える方法があるならいいけど、それには、「記憶の宮殿」ではなく、まっとうにストーリーだてて覚えるってことだろうな、って思う。音楽にのせて、替え歌で覚えるっていうのも紹介されていた。それも、よくある。実際、私も2020年に日本ソムリエ協会のワインエキスパート受験の際には、ブルゴーニュのプルミエクリュの名前とか、イタリアのDOCGとか、歌で覚えた。そういう替え歌を作ってYouTubeにあげてくれている人がいるのだ。しかし、その欠点は、、、思いだすべき単語がでて来るところまで、歌を歌わないと記憶が引き出せない、、ってこと。。。頭出しは、完璧なんだけど、、、ね。

 

ちょっとだけ、覚書。

・オランダの詩人 ヤン・ルイケンの言葉
脳の刻み込まれた1冊の本は、書棚にある1000冊分の価値がある

古代、印刷技術が発達する前は、人々は口頭で人の言葉を伝えていた。むかしの人は、覚えるのが得意だったんだろう。1冊分、口述できる本なんて、私にはひとつもない。ま、今は電子本だってあるわけで、すぐにもとの文章をさがすことはできる。とはいえ、、やっぱり、知識というのは頭に染みついていてなんぼのもん、ってことだ。記憶は、大事。

 

・文字に加えて、句読点の発見はすごいことだった。
「GODISNOWHERE」と続けて綴ってしまうと、意味が分からない。これは、
「GOD IS NOW HERE.」 (神はここにいる)ともなるし、
「GOD IS NOWHERE.」(神はどこにもいない)ともなる、と。
おぉ、なんと。
これは、母語かどうかは関係ない。スペースがなければどう解釈するかは、そのコンテクストのなかで読むしかない。実際、古代ギリシャでは、スペースやハイフンもなく、延々と、文字がつながっていたそうだ。実は、タイ語もそう。私はタイに5年いたので、ちょっとはタイ語を読む事ができるけれど、新聞等の文章は、どこで区切ったらいいかわからず、音にすることはできても、意味不明、、、となってしまう。(タイ文字は、表音文字

 

・第7章 記憶の終焉 から
ハックルベリーフィンの冒険』で知られるマーク・トウェインは、記憶力UPに興味をもって、詐欺のような商法に引っ掛かったことがあるそうだ。
著者は、サギっぽい、、、いや、商業主義で記憶を売り物にしている人物として、トニー・ブサンの事にも言及している。どう贔屓目にみても、著者は、ブサンのことを善人とは思っていないみたい。「自尊心の強い教祖」と言っている。

トニー・ブサンと言えば、「マインド・マップ」の提唱者で有名な人。関連付けることで記憶が向上する、視覚情報で覚えることで記憶できる、などなど。。。何を隠そう、私が2日間で10万円を払って受講したことがある「速読」の講座は、フォトリーディング」といって、もともとはトニー・ブサンが発案した方法とそのビジネスだ。私も、そのビジネスの餌食になった一人、、、ってことかな。

ただ、実際にフォトリーディングセミナーをうけてみるとわかるけれど、読書に限らず、者を覚えるのに視覚情報をフル活用することの重要性は、その通りだと思う。音読すると、そのスピードでしか本は読めないけれど、フォトリーディング、つまり音読せずに、文字をかたまり毎、チャンクで掴みながら読むと、速度は圧倒的にはやい。詩的小説を読むのには、向かないけど、実用書を読むには、フォトリーディングはいい。そして、忘れにくい気もする。
だけど、試験のためのテキストになると、これはフォトリーディングで覚えた気になっても、、、だめなんだよね。記憶にはなっているのだけれど、その記憶を取り出す訓練もしておかないと、試験の時に、即座に脳内から情報をとりだすことができない。

記憶って、しまうだけではだめなのだ。取り出さないと。それこそOUTPUTが最も重要、ということ。

 

ブルー・スリーの言葉。
限界はない。プラトーはある。でもそこにとどまってはならない。乗り越えなければ。負けたらそれで終わり
記憶力の向上は、プラトーに達することがある。でも、さらにトレーニングを続ければ、さらに向上することも可能だという。それは、救いの言葉。
ただ、著者は、全米チャンピオンになった後、それ以上の向上を目指そうとはしなかった。ただ、トランプのカードを記憶することには、そんなに意味を感じなかったということだろう。


著者は、自分自身が記憶力大会に挑戦する傍ら、本業であるジャーナリストとしてサヴァン症候群の人や、脳になんらかの障害ある人のことについて取材をしている。映画レインマンのモデルになった、キム・ピークにも実際に会ったということ。やはり、いったいどうしてそんな記憶ができるのか、まだわからないことも多いようだ。

人の記憶力は、向上させることができる。問題は、何を記憶するのか。。。

人は忘れることができるから、生きていけるともいえる。忘れっぽいのも、案外悪くない・・・ってこと、年を重ねるとよくわかる。

 

「わすれっぽいのはすてきなことです。そうじゃないですか♪」って中島みゆきの歌にあったなぁ。子供の時はおばちゃんのうただとおもっていたけど、忘れるのも、大事なこともある。。。

 

記憶力を高める魔法の方法があるわけではない。でも、工夫できることはある。

そういうことかな。

 

まぁまぁ、面白かった。けど、さらっと読みでいい一冊だった。

記憶したければ、OUTPUTすること。

それに尽きると思う。