『日本の自然をいただきます  山菜・海藻を探す旅』 by  ウィニフレッド・バード 

日本の自然をいただきます 山菜・海藻を探す旅 
ウィニフレッド・バード 
上杉隼人 訳
 亜紀書房
2023年3月31日 第1版第1刷 発行


日経新聞の書評(2023年4月29日)で紹介されていて、面白そうだったので図書館で予約した。ちょっとだけ待ったけど、すぐに回ってきた。

日本の自然をいただくって、私にとってはとても心地のよい響きだ。子供のころ、セリ、ノビル、ツクシなど、近所の川辺で採ってきては、食べたものだ。私が育ったのは、横浜市内だけれど、十分に田舎だった。田んぼもあったし、雨が降らなければ干上がってしまうような小川もあった。父と散歩して、一緒にセリ摘みをしたものだ。足の速い父についていくのに、私はいつも小走りでついていった。食べられる草木を見分けられる父を、すごい!と思ったものだ。今では、実家の周りの風景も様変わり。セリもノビルも、見る影もないだろう。ツクシくらいは、かろうじて見られるかな・・・。

新聞の記事の中でも、そんな、昔の景観を懐かしむ話だった。あぁ、ちょっと気持ちがほっこりするかも、と思って読んでみた。

 

著者のウィニフレッドさんは、新聞記者 翻訳者 ライター。 米国 マサチューセッツ州 アマースト 大学で政治学を学ぶ。2005年に来日し、英語教師、ジャーナリストとして活躍。 長野県松本市三重県御浜町 など、 地方都市で暮らしながら全国各地へ足を運び、広く日本の野草や海藻文化に触れる。環境問題、科学、建築などに関する記事を、The Japan Times,  Kyoto Journal,  San Francisco Public Press,  Pacific Standard, NPRなどに寄稿。現在は、 ウィスコンシン州 ドア 郡 ワシントン島で家族と生活しつつ、 精力的に執筆、翻訳活動を続けている。

 

表紙裏には、
”蕨、蕗、屈、楤の木、薇、蕗の薹、栃の実、孟宗竹、行者大蒜、山葵、若布、天草、海蘊、茗荷、杉菜、銀杏、二輪草、大姥百合。。。。
農耕以前よりこの国で食べられてきた野草や海藻。「栽培作物」にはない、その滋味あふれる味わいと土地ごとの記憶をたどる旅が、今始まる”

とある。

漢字、、、読めない。。。覚書。

蕨 (わらび)
蕗 (ふき)
屈 (こごみ)
楤の木 (たらのき)
薇 (ぜんまい)
蕗の薹 (ふきのとう)
栃の実 (とちのみ)
孟宗竹 (もうそうちく)
行者大蒜 (ぎょうじゃにんにく)
山葵 (わさび)
若布 (わかめ)
天草 (てんぐさ)
海蘊 (もずく)
茗荷 (みょうが)
杉菜 (すぎな)
銀杏 (ぎんなん)
二輪草 (にりんそう)
大姥百合 (おおうばゆり)

読みがわかっても、さっと姿がおもいうかばないもののある。蕨と屈は、どう違うのか、実のところよく知らない。二輪草?食べられるの??杉菜って、ようするにツクシのことだよね??
などなど、、、日本に生まれ育ってもしらない日本の山菜。外国人の本で学ぶことになるとは、、、。いやはや、日本の良いものをたくさん探して書いてくださってありがとう、って感じ。
日本にやってきた、外国人が日本の昔ながらの食文化について、取材したお話。 

 

元は、『EATING WILD JAPAN:Tracking the Culture of Foraged Foods, with a Guide to Plants and Recipes』。それを、日本語訳したのが本書。
最初に、日本地図がでていて、著者が訪ねた場所がマークされている。北海道から九州まで、日本人だって山菜や海藻をもとめて、こんなに日本全国を訪れた人は、なかなかいないかもしれない。

 

もくじ
第1章 道端の雑草、森の脅威、 春の新緑
 熊本 秘伝の天ぷら
 長野 アファンの森
 福井 フキの葉包みのおにぎり
 金明姫さんの「フキの葉包みのおにぎり」

 

第2章 生命の木 トチノミの盛衰
 志賀 トチノミを食べて生きの延びた日本人
 トチ餅風「栗餅あげだし」
 
第3章 饗宴と飢饉  ワラビの二面性
 岩手 中世から伝わるワラビ餅
 西和賀町の「ワラビ海苔巻き」

 

第4章 世界でいちばん背の高い草 天然物でもあり栽培物でもあるタケノコの物語
 京都 魅惑のタケノコ
 秋田 タケノコとマタギ
 うお嘉の「鏡煮」

 

第5章 海の四季  海藻の消えゆく伝統
 徳島 天然ワカメを求めて
 石川・能登  歴史と生きるアマ
 北泊の「生ワカメのしゃぶしゃぶ」

 

最終章 天然食物と共に生きてきたアイヌ
 北海道 狩猟採集とアイヌ民族
 大勢で食べる山菜汁「キナオハウ」

野草・海藻ガイド

 

自然にある山菜、海藻を食べあるいた紀行、ともいえる一冊。でも、それぞれの食材が、どのような歴史をたどってきたか、人々の生活にどのようにかかわり、日本人の命をつないできたか、ジャーナリストとして取材したことが語られている。これは、まさにそれぞれの食材の物語、ナラティブが伝わってくる。ちょっと、著者が羨ましい。食いしん坊の私は、野性のものが美味しく食べられる方法ということに、とても興味がある。サバイバルの知恵だし、自給自足をするにも役立ちそう。昨今、野山の植物も、だれそれさんの土地のもので、かってに採ったら窃盗罪になりそうだけれど、やはり、自然になっているものを採って食べてみたいって欲求は、人間として、、いや、動物として本能的にあるのではないだろうか、、、。

 

でも、ここで紹介される山菜たちは、採ったからといってそのまま美味しく食べられるものではない。タケノコなどは、比較的身近な良い例だと思うけれど、糠などを使ってあく抜きしないと、渋くて食べられたものではない。昨今、あく抜きしなくても食べられるタケノコも出回っているけれど、やっぱり、ほりたての孟宗竹タケノコをせっせとあく抜きして、苦労して食べるから美味しいのだ。真空パックのタケノコは、タケノコの風味はゼロといっていい。ほんとうのタケノコのおいしさを知ったら、真空パックのゆでタケノコは、別物としか扱えない。

春先にでまわる、蕗の薹。恥ずかしながら、フキとは別物かと思っていた。。。なんと、同じフキだった。いわゆる、棒状の葉柄は、煮物にしたりして日本料理ではよく使われる。鮮やかな緑で、日本料理に欠かせない山菜。そして、「蕗の薹」あの、黄色く花が咲く前のつぼみ。春の一時しかでまわらないし、あの刺激ある苦味は独特で、大人の味。子供のころはこんな苦いもののどこが美味しいんだ、とおもっていたけれど、いまでは「蕗の薹の天ぷら」を求めて、春には必ず天ぷら屋さんを訪れる。でもって、あのフキと蕗の薹は、一緒の植物だったのだとは、、、、!!! いやぁ、、、恥ずかしい。知らなかった。

 

トチノミは、実は毒性が強く、適切な処理を施さずに飲み込めば、嘔吐、下痢、けいれん、麻痺、、、とたいへんなことになるのだそうだ。ごくまれに、死に至ることまであるのだと。でも、そのまま食べるとまずいので、普通はそこまでの事態には至らないのだと。
トチノミと言われても、ピンとこないのだけれど、「トチ餅」と言われると、わかる。わりと最近、、、ここ数年の間に、どこかの旅先で「トチ餅なんて、今どきの人は食べないでしょう」といわれながら、いただいた記憶がある。私には、「トチ餅」というのは、なんだか懐かしい響きで、好きなものだった気がした。「大好きです」といって、いただいた気がする。。。あれは、いった、いつ、どこでのことだったか、、、、思い出せない。美味しかった。
トチノミというのは、かつても大事な栄養源だったそうだ。でも、下処理が面倒過ぎて、食されなくなり、どんどん、トチの木は、切られてしまった。。そして、いまでは貴重なトチ餅となっているのだそうだ。

食べられる実を成らせる木をきっちゃうなんて、なんてもったいない・・・。

 

ワラビは、あのクルっとまるまった穂先のゼンマイみたいなやつ。ワラビはワラビでやはりあく抜きをしないと食べられないので、自分で料理するのは面倒くさい。でも、食べるのは、結構、好きだ。酒のつまみに、いい。
で、、、ワラビ餅のワラビって、、、、あのゼンマイみたいなワラビの地下茎のでんぷんだったんだ!!! これも、、、恥ずかしながらしらなかった。ワラビ餅って、スーパーとかでパックに入ってきな粉や黒蜜なんかをかけて食べるように売られている。あれは、ほんとうのワラビ粉ではなく、イモでんぷんなどから作られているらしいが、ほんとうのワラビ餅は、あの、ワラビのでんぷんでできていたのだ。わぁ、、しらなかった。
そして、ほんとうのワラビ餅は、作ってすぐに食べないと美味しくないのだそうだ。くず粉のように、地下茎のでんぷんをつかったのが、ワラビ餅だったのか。しらなかったぁ。。。 

 

知っているようで知らない日本の自然の食べ物。キノコなどもそうだけれど、食べられるものと食べられないものをちゃんと区別できる知識があったら、山歩きはもっと楽しいだろうな、と思う。

 

自然にあるものを食すって、大切な文化だよなぁ。。。。

江戸時代の大飢饉の時に、人々を救った木の実や山菜。実のなる木は、大事にしないとね。松や杉に植え替えてしまった過ちを、もう繰り返さないためには、どうしたらいいのかね。。。

 

自然が恋しくなる一冊。

自然を大事にしよう。