『トルコを世界から見る』 by 内藤正典

ちくまQブックス トルコを世界から見る
ちがう国の人と生きるには?
内藤正典
ちくま書房
2022年10月15日 初版第一刷発行

 

図書館で目に入ったので借りてみた。おりしも、トルコでは、大統領選の決選投票。すでに、エルドアンさんのさらなる5年の政権が確定したところだけれど、私はトルコのことをよくわかっていない。ちくまQブックスなら、わかりやすいかな?と思って読んでみた。

 

著者の内藤さんは、1956年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科学史・科学哲学分科卒業。同大学院理学系研究科地理学専門課程中退。 博士 (社会学)。専門は 多文化共生論、 現代イスラム地域研究。

 

裏の説明には、
”環境や貧困、差別や戦争、世界規模の課題解決は、他国の人と取り組まなくてはならない。そのためには自国と違う国の文化を知ることが重要だ。 アジアとヨーロッパ 2つの大陸にまたがる国トルコは、「東洋のものさし」「西洋のものさし」の融合が可能か、考え続けてきた。トルコの人々の考え方を通して世界を眺めると 異文化理解の手がかりが見えてくる。 ”とある。


そう、トルコというとイスラム圏ということなのだけれど、それだけで語れないのがトルコ。私が以前勤めていた会社は、食品製造会社で、トルコに進出したこともあった。しかし、なかなか苦戦した。その後、政治的に不安定になって、ビジネスも縮小しつつもあったけれど、今も続いている。アジアでも西洋でもない、なかなか難しい国、という印象だ。

 

内藤さんによれば、トルコは、西洋とも東洋とも接していることから、「西洋のものさし」と「東洋(イスラム)のものさし」が混ざっていて、いかに融合させるかということがずっと課題となっているとのこと。ここでいう「ものさし」というのは、まさに様々なことの価値などを測る指標、ということだ。価値観が多様であれば、それだけひとつの共同体としての統合は難しくなるのだろう。基本的には、イスラムのものさしだけれど、西の影響もつよく、未だにEU正式加盟国となっていないのは、人権問題や宗教に関する課題があるからだとも言われている。

 

目次
はじめに
第1章 イスラム政教分離のはざま
第2章 だれも正義の味方になれない民族の問題
第3章 素顔のトルコ人たち
第4章 激動する世界のなかでd
第5章 トルコのものさしが示す世界の姿
おわりに
次に読んでほしい本
 
本書の元になったのは、『トルコのものさし、日本のものさし』(1994年)だそうだ。SDGsが一般的になっている今、違う国の事を知ることは大事。どの課題も日本で何かやれば解決できるというようなことではない。だから、違う国、トルコの事も考えてみよう、と。大事なのは、日本のものさしでトルコをはからないということ。

 

第1章で、トルコにおけるイスラムの位置づけが説明される。トルコの人々のほとんどはイスラム教徒(ムスリム)だけれど、トルコは憲法政教分離をかかげ、宗教と無縁の生活をしている人も少なくない。
 ちなみに、Erdoranエルドアン大統領は、イスラム政党。トルコは1923年にトルコ共和国として独立して以来、政教分離の基本は崩されておらず、宗教によって政治がおこなわれることはない。日本語で言えば世俗主義、英語ではセキュラリズム、という。トルコは、イスラム教徒が大勢住んでいる国、というのは正しいけれど、イスラム教国とはいえないのだ。

政教分離としているものの、軍のクーデターがおきたり、政治的に不安定なになると、貧困層を引きつけるイスラムへの回帰を説く政党が勢力を伸ばしてきた。その一人は、エルドアンエルドアンは、確かに貧困層に住宅を提供するなどしてきたので、支持を集めている。今の公正・発展党(AKP)政権は、福祉党(RP)と呼ばれた政党が母体となっていて、軍部とうまくいかなくなってRPが解散してできたイスラム党。

イスラム党であるが、政教分離の原則に基づいているので、イスラム教を政治にもちこむことはできない。でも、イスラム教においては、「主権は神」であり、「神の命ずるところ」に従うのが原則。人間が「神の意向」に逆らう事に対して寛容な精神があるかというと、、、宗教なので、難しい。
そこに、そもそも、トルコが抱え続ける難しさがあるのだという。

 

第2章では、「ジハード」についても説明されている。9・11同時多発テロや、イスラム原理主義の台頭で、「ジハード」という言葉が聞かれるようになった。イスラム教徒は、基本的には平和と安定を望む。でも、同じイスラム教徒が存亡の危機にある時は、戦わなければいけない。それが、ジハードイスラム教徒への正義の味方なのだ。

 

トルコの話とは別に、内藤さんは、世界が過去に植民地等にやってきた罪はごまかしようがない、、という話をされている。実のところ、第二次大戦でファシズムと戦って自由を守ったイギリスやフランスは、その功績で第一次世界大戦で犯した大きな罪をごまかしている、、と。なるほど、そう見るのか、、、と、ちょっと、ハッとさせられた。

 

素顔のトルコ人は、こどもをすごくかわいがるのだそうだ。道端で赤ちゃんをみかけようものなら、みんな抱っこして、いい子いい子して、ほおずりしたがる。老若男女、豊かな人も貧しい人も、大学生の男の子でもそうなのだそうだ。著者が、双子の子供をトルコで育てていた時、みんな「神の思し召し」といって、喜んでくれたのだと。日本だと、「大変でしょ」と言われることがほとんどで、「すばらしいこと」というニュアンスで声をかけてくれる人はほとんどいない、、、と。
そして、日本人に対しては、「すばらしい」というイメージをもってくれているのだそうだ。過去において、お互いに助け合った歴史があるからだ。
一方で、トルコ人の西洋人に対する印象は微妙で、ヨーロッパの「おしつけがましさ」が好きではないのだ、と。まるで、自分たちが先生であるかのように、上から目線でモノ申す、、、という感じだろうか。どこの国でもそうだろうけど、「おしつけられる」ことを喜ぶ国はないだろう。合理性だけでものを押し付けられるのも嫌いなのだ、と。そして、トルコの人は、「合理性だけで割り切れない難しさを何故理解してくれないのか」と思うそうだ。

 

まさに、自分の「ものさし」の押しつけが、拒否感を呼ぶ。
これは、国と国のはなしだけでなく、人間関係もそうだ。
自分のものさしで、他の人の人生に口出ししてはいけない。

 

またトルコの移民の話については、かつては、トルコから移民する人がいる「移民供給」の国だったけれど、いまでは社会環境が変わり、トルコが「移民受け入れ」の国になっているということ。今でもドイツにはトルコからの移民が多く暮らしている。既に、その子ども、孫の世代がドイツで暮らすようになっているが、これから先のことは、不透明だという。

 

労働力確保という意味で、移民が歓迎される時もあれば、経済が停滞すると移民に対する風当たりが強くなる。勝手なものだ。

そして、ヨーロッパでの移民というのは、「家族同伴」が基本だけれど、日本は外国人研修生等をうけいれるといっても「単身」が原則になっていることについて、「人権無視」ともいえるのではないか、、と。日本だと、単身赴任も会社の命令であれば当然のように受け入れられるけれど、海外においては家族をバラバラにするというのは、人権蹂躙ととられることもあるのだ、と。

それこそ、日本のものさしでかんがえちゃいけない、ってやつだ。

 

内藤さんは、
自分のものさしで相手をはかるときにはなんの痛みも感じないが、相手のものさしを自分に押し付けられるとどういう思いがするか、そのことを知らないと日本人は国際社会で自分の意見を相手に理解させることはできない
と言っている。

 

トルコを題材にした本だけれど、違う国を考える、ということでとても勉強になる一冊だった。
やっぱり、ちくまQブックス、いいな。
他も読んでみたい。

 

自分のものさしで相手をはからない。大事だね。