『檸檬』 by 梶井基次郎

檸檬
梶井基次郎
げみ
立東舎
2017年7月20日 第1版第1刷発行 
2021年5月18日 第1版第6刷発行

 

図書館の特設コーナーで見かけたので、借りてみた。梶井基次郎の『檸檬、教科書にもでてた?きっと、読んだことある、知っている、と思ったけれど、借りてみた。絵本のようになっていたのだ。なんでも、「乙女の本棚シリーズ」というものの1冊らしい。たしかに、絵は、きれいめなマンガみたいな感じで、主人公ははかま姿であるものの、なんというか、現代のイケメンっぽい。これは、アニメだな、、って感じ。実際に、調べてみたら、イラストは全てコンピューターで描かれているとのこと。

 

ちょっとだけ横長なハードカバーの表紙をめくると、和紙っぽい中表紙。きっと、なんだかのこだわりをもった「乙女の本棚シリーズ」なんだろう。本棚に飾ること、人にプレゼントすることをターゲットに作られているとのこと。

 

物語は、、、読んでみたら、、、、あれ??知らなかったかも・・・・。

 

著者の梶井基次郎は、明治34年(1901)、大阪府生まれ。同人誌「青空」で活躍するが、少年時代からの肺結核が悪化し、はじめての創作集『檸檬』刊行の翌年、31歳の若さで逝去。

 

イラストのげみさんは、 平成元年(1989)、 兵庫県三田市出身。京都造形芸術大学美術工芸学科日本画コース卒業後、イラストレーターとして 作家活動を開始。数多くの書籍の装画を担当している。

 

物語は、京都に暮らす「私」が、心の不安の中にうつうつと暮らしている。そして、最後にそのうっぷんを、誰を傷つけることなく晴らす、っていうお話。

 

以下、ネタバレ、、、あり、といってもご存じの方の方が多いだろうが、、、。

 

”えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。”とはじまる。

 

好きだった音楽にも癒されない。いたたまれず、街を徘徊してみる。みすぼらしくて美しいものに惹かれる。ときどき、自分がいるのが京都ではなく、ずっと離れた仙台とか長崎のような錯覚を起こす。そして、現実の自分を見失う。

そんな時に私の心を惹いたのは、花火(ねずみ花火とか、手で遊ぶ花火)、びいどろでできたおはじき、、、、。びいどろは、幼いころの記憶とつながった。

金が無い。だから、高価でなくても美しいものに惹かれた。

 

生活がまだ蝕まれていなかったころの私は、丸善がお気に入りの場所だった。おしゃれな切子細工、香水壜、煙管、小刀、石鹸、煙草。そんなものを見て回ることで癒された。でも、金が無い今は、書籍、学生、勘定台、みな、借金取りの亡霊にみえた。

 

そんな金欠生活のある日、街をあるいていると果物屋の前で足を止める。美しい、廂のある、明るい果物屋。そして、いつになくそこで買い物をする。その店にしては珍しい檸檬をみつけたのだ。

 

一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めた様なあの単純な色も、それからあの丈の詰った紡錘形の恰好も。

 

私は、檸檬を一つ買う。

その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。”

 

よく熱をだす私にとって、その檸檬を握っていると、掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさが快かった。そして、元気が出てくる気がする。

”つまりはこの重さなんだな。
 この重さこそ常づね私が尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さは総ての善いもの総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心(かいぎゃくしん)からそんな馬鹿げたことを考えてみたり、 何がさて私は幸福だったのだ。”

 

そして、私は檸檬をひとつ握りしめたまま、丸善へ行く。棚から本を抜き出しては、重ねていく。ごちゃごちゃに、積み重ねられた本。なんだか、ドット疲れを感じる。

 

”「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。”

 

私は、自分でごちゃごちゃにつみあげた本の上に、檸檬をおくと、すたすたと丸善を後にする。
くすぐったい気持ちになる。
あの檸檬は、、、爆弾だ。

あの檸檬が爆発して丸善が木っ端みじんになることを想像して、ちょっと明るい気持ちになる私。そして、私は京都の街をまた歩く。

 

”そして私は活動写真の看板画が奇体な趣で街を彩っている京極をくだって行った。”

おしまい。

 

あれぇぇ??
そんな話だっけ???

 

勝手に梶井基次郎の『檸檬』だと思い込んでいたお話とは全然違った・・・。私の記憶は甚だ怪しい。。。。


しかし、なんだろう。このなんともいえない、脱力感。
私も、丸善にいって、あれこれ本を取り出しては重ねて、檸檬をのせて、逃げてみたい。。。そんな気持ちになってくる。

沈んだ心が、空想の世界で爆発した丸善によって、快復していく。。。。

いやぁ、結構好きかも。このカタルシス。自分だけのカタルシス

 

鬱々と生きている若者。

なにが私を暗い気持ちにさせたのかはわからない。金が無いことか。なぜ金が無いのか。そんなことは聞いてくれるな。書生のような若者だったのだろう。

 

そして、檸檬を置いて店をすたすたと出る。爽快感!

あぁ、ちょっと、、、、真似したい!!

 

店にしてみれば迷惑な話だけれど、誰の命も傷つけない。。。ちょっとしたいたずらに心躍る感じ。フフフ、私も結構好きだ。。。。まだ、檸檬を置き逃げしたことはないけれど。

 

元の小説も、こんなに短かったんだろうか。。。それにしても、梶井基次郎は31歳で亡くなっているのか。セツナイのぉ。。。。

 

物語の中の「私」は、村上春樹の小説にでてくる青年と、ちょっと似ている。若者はだれでも人生の一時、生きているのか死んでいるのかわからないような時間を過ごすものなのかもしれない。。。あるいは、あとから、あの時は死んでいたな、、、って思うときがあるのかもしれない。

 

気持ちがどうしようもなく沈んだら、、、檸檬爆弾で、癒されよう。。。。

誰にも咎められずに、檸檬を置き逃げできたら、達成感を感じられるかも?!

 

いやいや、いい子なら、マネしちゃいけない、、、と思います!