『丸山眞男と加藤周一』 by 山辺春彦、鷲巣力

丸山眞男加藤周一』 知識人の自己形成
山辺春彦(やまべはるひこ)
鷲巣力(わしずつとむ)
東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター 監修
立命館大学加藤周一現代思想研究センター 監修
筑摩選書
2023年3月15日 初版第1刷発行

 

丸山眞男について図書館で検索していて出てきた本。借りてみたものの、なんだか難しそうな気がして、ずっと「積ん読」のままだったけれども、返却期限も迫ってきたので改めて手に取ってみた。

 

タイトルをよく見てみれば「知識人の自己形成」とのサブタイトルがあって、なかなか興味深い。ページをめくってみると、時代を追って、丸山眞男加藤周一の共通点、相違点などが記されていて、歴史の勉強に良さそう、と読んでみることにした。

 

著者の山辺春彦さんは、1977年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻博士課程終了。博士(政治学)。専攻は日本政治思想史。現在、東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター特任講師。

鷲巣力さんは1944年生まれ。東京大学法学部卒業。平凡社に入社し、林達夫著作集や加藤周一著作集の編集に携わる。雑誌『太陽』編集長。同社取締役。退任後はフリー編集著述業を営み、立命館大学加藤周一現代思想研究センター設立時に同センター長につき、現在同センター長顧問。

 

本書を作ったきっかけは、丸山センターと立命館大学加藤周一現代思想研究センターとが5年前から学術協力協定を結び、共同展示を企画してきたこと。しかし、コロナにおいて企画展が難しくなった中、Zoom等を通じて工夫してきたものの、より広い学生や一般の方に発信したい、と2回の展示内容を1冊にまとめることにした、と言う事。だから、本書が丸山センターと加藤センターの共同監修になっている。

 

表紙裏には、
”戦後を代表する知識人である。丸山眞男加藤周一は、いかにして、その思想を育んだのか? ともに青少年期に戦争を体験し、その時代の空気の中で、「日本人のものの考え方とはいかなるものか」と言う問題意識を深めてきた。当時の政治や文化の動向を丹念に追い、その思索や行動の跡を示すノートやメモなどの豊富な資料とともに、出生から敗戦まで2人の自己形成過程を比較対照し、20世紀の日本に生まれた知的風土の根源に迫る。”とある。

 

目次
まえがき
プロローグ 丸山眞男加藤周一、その共通と相違
第1章 家族
 補章1 関東大震災
第2章 尋常小学校時代
第3章 中学校時代
 補章2 満州事変と2・26事件
第4章 高等学校時代
第5章 大学時代
 補章3 1941年12月8日、太平洋戦争開戦の日
第6章 大学卒業後
第7章 敗戦の体験
エピローグ
あとがき

 

感想。
読んでよかった。
なるほど。。。。やっぱり、その人の思想を理解したければ、当人たちの著作を読むというのも重要なのだけど、どういう生い立ちをもって、そのような思想にいきついたのかっていうのは、背景として理解しておくことは大いなる助けになる。欧米の人の思想を理解したければ欧米の歴史理解が必要、WEIRDな世界を理解する必要があるということと同じように、やはり、背景の理解がないと、言葉のもつ深い意味が掴み切れない。

megureca.hatenablog.com


そういう意味で、丸山眞男加藤周一だけでなく、戦争前にうまれ、敗戦を経験した人たちに共通する日本の社会的背景を知ることができる一冊。
なかなか、勉強になった。関東大震災、2・26事件、庶民はどうおもっていたのか、、、なかなか教科書にはでてこないメモが、ここにはある。


まずもって、二人の基本情報として、
丸山眞男:1914~1996、政治学
加藤周一:1919~2008、小説家、評論家、医師。

 

プロローグで、二人の共通点と相違点が簡潔に紹介されている。
5歳の歳の差がある二人は、ともに東京帝国大学卒業。共著に『翻訳の思想』『翻訳の日本の近代思想』がある。日本人のものの考え方について追求した二人。

 

共通点として、
戦争や戦時体制に積極的に協力しなかった、非協力知識人であった。
・学校などでは、どの集団にも、自分を完全に同一化させることがなかった。
・政党や組合などと直接行動を行ったり、特定の集団に深く関与する事はなかった。
権力や権威から距離を取った
・政治的思想的立場について、1つのものだけにコミットする事はなかった。
戦争体験。丸山は広島で被爆。加藤は、原爆影響日米合同調査団として広島入り。
・大学闘争時代、「プチブル・インテリ」として学生らに批判された。

 

相違点として、
・5歳の歳の差がもたらす、関東大震災、戦争などを経験した年齢。
・大学卒業後の活動の場。丸山はアカデミズムの研究に。加藤は医師となりつつ、詩作・評論の寄稿をつづけた。


”丸山、加藤の知的な成長には、自分の環境とそこにおける自分の位置を認識する独立した視点を獲得すると言う意味があった。それは書物から学んだと言うより、自分の具体的な体験から自分なりの世界理解を形成していく過程であった。そのような位置づけがなされた体験とは、例えば丸山であれば、関東大震災、検挙、軍隊生活であり、加藤であれば、異なる境遇の人々との出会い、親友の戦士、原子爆弾影響日米合同調査団への参加であった。”
と。

 

”書物よりまなんだというより”、、、とあるが、丸山死後、丸山センターに寄贈された書籍は18000冊、雑誌も18000冊、ノート類は8200件、、と。どうしたら、それだけの量を読んで、書き残せるのだろう、、、。一日一冊読んでも、50年かかる・・・。

 

丸山の経験として紹介されたなかで、私にとって印象深いのが虎ノ門事件」と「2・26事件」への感想。

 

虎ノ門事件は、丸山が9歳、小学4年生の時に起きた。関東大震災(1923年9月1日)と同じ年、12月27日、皇太子・摂政官裕仁親王(後の昭和天皇)が、無政府主義の難波大助から狙撃された暗殺未遂事件。丸山にとって、「皇室とは何か?」を考えるきっかけになった。それは、関東大震災のときに、これは日本人が怠惰になったから天罰だ、という「天譴論」が拡がり、支配者が「天譴論」を利用して風俗の統制を強めた流れの一つともいえた。

1923年9月15日には、甘粕事件(アナーキスト大杉栄が、内縁の妻、甥とともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺害された事件)も起きている。これも、丸山には大きなショックだった。

だれもが、「天譴論」を口実に自分の思想を暴力的に主張した、とも考えられるように思う。

 

震災に対して、神様が怒っている、天罰だ!って、、、奈良時代の人と発想が変わっていないところがすごい。。。。でも、いまでも、、、ちょっとあるかな・・・・。

 

2・26事件は、それによって、日本ではクーデターのような変革は成功しないということが明確になった事件として描かれている。

 

”運動としてのファシズムを中心として考える場合は、やはり2・26事件と言うものが最も大きな分水嶺になってまいります。と言うのは、2・26事件を契機として、いわば下からの急進ファシズムの運動に終止符が打たれ、日本ファシズム化の道程が、ドイツやイタリアのようにファシズム革命ないし、クーデターと言う形を取らないことが、ここではっきりと定まったからであります。”(『日本ファシズムの思想と運動』)

 

”ヨーロッパでは民衆の能動性を喚起するようなイデオロギー的色彩が濃厚なファシズム運動がそのまま権力の座を占めたが、日本ではそのような意味でのファシズム運動は2・26事件で挫折してしまい、国民統制の強化と言うシステムだけが残った。こうして、丸山は2・26事件を、ヨーロッパ型ファシズムと日本型ファシズムの分岐点として考えるようになったのだった。”と。

なるほど。

 

そして、2・26事件の時、高橋是清までが殺されたことを「あんないいおじいちゃんまでころさなくていいのに」という周囲の大人の声をきいた眞男に対して、NHK職員として現場近くで「兵隊さん、財閥をやっつけて」と泣くおばあちゃんの声をきいた兄と意見が対立したことを書き残している。皇道派と統制派の対立は、兄弟口論にもつながった。ただ、二人の口論は、「あんたたち、いい加減に寝なさい」の母の言葉で終結

 

加藤はといえば、満州事変をきっかけに戦争が起きた時は、まだ11歳。ただ、怖いことが起きた、、ということはわかった。そして、大人たちは、情報が十分にない中で「うわさ話」「ココだけの話」に情報の不足を補うことを求める姿を目の当たりにした。情報が十分にない時は、そのような「内幕話」を知っている人が情報通とされ、「うわさ話」が幅を利かせた。それを子どもながらみていた加藤は、生涯、「自分で確認しない限り、うわさ話は信じない」という姿勢を貫いた

 

そのころの「うわさ話」の記録として、永井荷風の『断腸亭日乗が歴史資料として引用されている。

 

また、丸山も加藤も、一般の小学校に通うことによって、社会の格差を身近に経験している。特に加藤は、学校では自分と同じくらいの学業成績の友人が、自宅に帰ると家事手伝い、子守りで勉強をする時間が無いことをしる。そして、その友人は家庭の経済状況のために中学進学はあきらめざるを得なかった。医師の息子である自分が、どれほどめぐまれているのか、、、。そして、「教育の不平等は、個人の責任に帰するものではなく、社会の責任である」という考え方を持つ契機となった。

 

中学、高校と、丸山も加藤も、非模範生、非優等生として過ごしている。そして、集団に染まることもなかった。二人とも、読書、映画、観劇などが友だちだった。

 

大学生になると、丸山は学生寮でのいざこざで学生の退寮処分を判断しなくてはいけない事件に巻き込まれ、大きな傷となった。退寮処分は重すぎると思ったけれど、副委員長の雄弁におされて反対できなかった。自分は、社会に出て決断できるのか?と自己懐疑に陥り、決断しなくてもすむ「研究者」の道を歩むようになる。


加藤は、戦時中はすでに医師として働いていた。というか、学徒出陣のために卒業が繰り上げられ、はやく卒業することになったのだ。学友の中には軍医を希望する者もいたが、加藤は軍医を希望しなかった。そして、同僚医師、看護士の死を経験する。

そして、終戦。 

 

やはり、戦争をどのように体験したのかというのは、その人の思想に大きな影響を与えるのだろう。二人とも、周囲の思想に流される人ではなかった。だから、思想家なのだろう。そして、読書、映画、観劇といった経験も彼らの思想に大きな影響を与えた。

 

丸山は、後に「福沢諭吉」の国家的自立は個人の人格の内面的独立性を媒介にしてのみ実現される、という考えに影響をうけている。『学問のすすめ』は、自分の生きている時代の痛烈な批判として痛烈に面白い!と受け取っている。なるほど、『学問のすすめ』をそういう目で読み直してみると、面白いかもしれない。また、思想として荻生徂徠本居宣長の研究も行う。

 

加藤が戦争を論じたのは、主に、第一世界大戦のヨーロッパ、あるいは、源実朝だった。

 

丸山眞男が江戸時代の政治思想に進んでいったことと軌と一するように、、、、言論の自由のない所では、知性は現在に向かわず、歴史をさかのぼる。

って。

 

なかなか、興味深い一冊だった。

各章の歴史の流れを読むだけでも勉強になるように思う。

教科書にはのらない歴史の勉強に、けっこう、お薦め。

 

近現代史は、学校の授業では時間切れになりがちで、きちんと学んだ記憶が薄い。その分、結構新鮮な発見もあった。読んでよかった。

 

読書は、楽しい。