『アメリカのアジア戦略史 (上)建国期 から21世紀まで』  by マイケル・グリーン

アメリカのアジア戦略史 (上)建国期 から21世紀まで
マイケル・グリーン
細谷雄一・森聡 監訳
勁草書房
2024年1月20日 第一版第1刷発行

 

2024年4月13日の日経新聞の書評 に出ていて面白そうだったので、図書館で借りてみた。分厚い単行本。 手にした瞬間に うーん これは、、、と読むのをやめようかと思った。でも、ペラペラとめくってみると、やっぱり、ちょっと面白そう。

 

著者の マイケル・グリーンは、ブッシュ息子政権で要職を担ったこともあり、学者でもある。 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で博士号を取得。同大学助教授、 外交問題評議会上席研究員などを経て、2001年から2005年まで米国 家安全保障会議NSC)のアジア部長、さらには上級 アジア部長兼大統領特別補佐官の要職を担った。日本に留学・滞在した経験があり、その間に国会議員秘書や新聞記者などを務めた。 現在 シドニー大学 アメリカ研究所所長。CSIS 上級顧問。 専門はアジア太平洋地域の国際関係・安全保障。


監訳をされた細谷さんは、 慶應義塾大学法学部教授。専門は国際政治史、国際政治学。もう一人の森さんは、 慶應義塾大学法学部教授。 専門は現代国際政治、 アメリカの外交・防衛政策。

 

表紙の裏には、
” 海に囲まれた地で、崇高な理念を掲げて誕生した国、アメリカ。 そのアメリカにとって、 アジアは決して海の向こうの辺境ではなかった。 建国直後、早くも太平洋への進出を目論んだ戦略家たちがいたのだ。 彼らはなぜ、 アジア太平洋に乗り出そうとしたのか。 20世紀に入った時、 急速に台頭する日本をアメリカはどう捉え、どのような論争を繰り広げたのか。 日米同盟が転換する今こそ読まれるべき、壮大な歴史物語をついに完訳。 アメリカを大国に押し上げた戦略家たちの成功と失敗をスリリングに写し出す。 日本専門家であり、 アメリカ政府高官も務めた著書による、大国の大戦略史。” とある。


目次
日本語版への序文
謝辞
序論

第Ⅰ部 アメリカの台頭
第1章  戦略の萌芽 1784ー1860年
 「最も野心的な知性を発揮させる 舞台」
第2章 拡張の前触れ 1861ー1898年
 「我々にあたえられた、この太平洋という空間の、なんと崇高なことか。」
第3章  セオドア・ローズヴェルト時代の大戦略
 「私は太平洋沿岸地域を支配するアメリカが見たい」

第Ⅱ部  日本の台頭
第4章  門戸解放を定義する 1909ー 1927年
 「 門戸を解放せよ、 中国を再生せよ、 そして日本を満足させよ」
第5章 門戸開放の終焉  1928ー1941年
 「相手に抵抗しないか、 もしくは相手に強制するか」
第6章 大戦略と日米戦争 
 「我々は太平洋を支配しなければならないのだ」

第Ⅲ部  ソ連の台頭
第7章  太平洋における封じ込めの決定 1945ー1960年
 「その全体的な効果とは、 我々の戦略的前線の拡大である」


感想。
なるほど。これは、勉強になる。しかし、中身が濃い。濃すぎる・・・。
ので、じっくりとは読んでいられなかった。


でも、アメリカのアジア戦略は、第二次世界大戦前後から始まったわけではないということが、よくわかる。そう、始まりは、18世紀。目次は、1784年から始まっているけれど、1776年7月4日のジェファーソンによる「独立宣言」があってのこと。1773年のボストン茶会事件。イギリスとの対立は即ち、ヨーロッパとどう付き合っていくか、太平洋側のおとなりさんとはどう付き合っていくか、、、地球規模の覇権争いの歴史は、既に始まっていたということ。

 

視点がアメリカなので、日本の歴史教科書にでてくる背景よりも広く長く、さまざまな出来事の背景が見えてくる気がする。とはいっても、歴史アマチュアの私には、わからないことがたくさんではあるけれど。

 

ペリーが日本にやってくる前から、アメリカの商船は太平洋へやってきていた。1784年、商船エンブレス・オブ・チャイナ号がNYから南アメリカの最南端、ホーン岬を通って、広東に到着。1813年には、大砲を供えるフリゲートエセックス号がアメリカ船として初めて太平洋に入った。当時の太平洋はイギリスの商船や捕鯨船が多く航行していたが、アメリカ船はひるむことはなかった。1833年、シャム(タイ)は、太平洋沿岸国としてはじめてアメリカとの間で通商友好条約を締結した。そして1853年には、ペリー来航となる。1854年日米和親条約締結、初代領事官 タウンゼント・ハリスの駐日につながる。

上巻では、そんなアメリカ開国の頃の話から、世界大戦、そして、第二次世界大戦終結後の朝鮮半島の緊張まで。

 

私にとっての一番の目からうろこは、アメリカのアジア戦略といったとき、「大陸か、海洋か」という視点で政権が二転三転してきたということ。もちろん、アジア戦略をかたるまえに、「ヨーロッパかアジアか」という選択もあった。それは、わかりやすい。

 

日露戦争のころのソ連の思惑が、対ヨーロッパの戦争のためには、中国・日本との闘いは早く終結させたい、といったように、どの国にしてもあっちでもこっちでも戦争をしてしまえば、戦力が分散されてしまう。だから、どこを戦略的拠点としてさだめるか、というのはとても重要なこと。

 

世界大戦が始まったころのアメリカは、ヨーロッパより、アジアに舵を切っていたのだ。それは、中国やソ連に覇権を取られては困るから。1867年、ロシアから720万ドルでアラスカを購入すると、カムチャッカ、サハリンからつながる中国大陸は、通商拡大のためには何としても関係を作っておきたい国となっていた。白檀やラッコの皮が高く売れたのだ。満州華北が親ロシア国家となるのは、アメリカには喜ばしいことではなかった。

 

そして、そのアジア戦略を考えた時、ハルフォード・マッキンダーのいう「ハートランド」を代表する中国と手を組むのか、ニコラス・スパイクマンのいう「リムランド」に当たる日本、東南アジア諸国の島国と組むのか、アメリカの政権は大きく分けて、このどちらかに二分されたということ。

 

ハートランドとして中国を大事にすべきと主張したのが、地理学者のハルフォード・マッキンダー海上支配のために日本を大事にすべきと主張したのが戦略思想家のアルクレッド・セイヤ―・マハン。

 

アメリカも日本も、中国との関係を重視する「 大陸国家論者」と海洋国家である民主主義国間の結束を優先する「 海洋国家論者」を抱えていて、両者の間で歴史的な論争がみられる。現在、「 自由で開かれたインド 太平洋」構想が 日米両国で共有されているということは、 海洋国家論者が今や影響力を増していることを示している、と。

 

その思想の起源は、 岸信介高坂正尭アルフレッド・セイヤー・マハンマシュー・ペリー提督にある、と。高坂正尭さんって、こんなところに名前がでてくるほど、すごい人だったんだ・・・。何も知らずに以前読んだ、『世界地図の中で考える』が面白い本だったわけだ。

megureca.hatenablog.com

 

アメリカの首脳たちがアジアをどう見ていたかという話とともに、開国以後の日本が世界をどう見ていたかという視点も面白い。

 

「明治の指導者にとって、共和国の美徳より、むしろ帝国が魅了的にみえた。」と書いている。それは、明治政府が海軍の強化を図るためにイギリスに、さらに 陸軍と統治機構の近代化に成功したモデル としてドイツに接近していったことから、帝国が魅力とみていたと。アメリカ政府にとっては、日本が思うように動いてくれないのは面白くないものの、アジアの覇者にならなければよかったので、中国の門戸解放のためには、ある程度日本を好きにさせていたということもあったようだ。

 

こういう、歴史の流れを地政学的な視点で、実際に政治携わったことがある人のことばできくと、う~~ん、そうかもしれない、と思ってしまう。

 

そして、政権によってはアメリカ海軍の予算は大きく変動していたという事実。1921年のワシントン海軍軍縮会議ののちは、海軍予算は大幅削減で、アメリカは新たな船をつくれていなかったのだ。ワシントン諸条約の締結に、第一次世界大戦による大きな損失で厭戦気分のたかまっていた世界は、歓喜した。しかし、、、渋沢栄一も参加した、ワシントン海軍軍縮会議だが、10年で崩壊し、次なる世界大戦へと突入していく。

 

1933年、フランクリン・デラノ・ローズヴェルトが大統領に就任。1929年に発生した大恐慌もあって、当初は国内問題に専念した。スターリンも同様に国内問題を抱えていて、両者思惑が一致したのか、支離滅裂な外交政策ではあったけれど米ソ国交樹立となる。それは、日本を牽制する道具として、互いに相手を利用した国交樹立だったのだ。なるほど・・・。蒋介石毛沢東の戦いも、アメリカやソ連にしてみるとアジア覇権をえるために利用する道具だったのだ。

 

本書は、日米戦争の本ではないので、真珠湾から終戦まではそんなに多くは語られていない。1941年のローズヴェルト大統領による日本・中国の資産凍結命令は、もともと、石油などの輸出停止までを意図してたのかは、不明。また、まさか、そうなってまで日本がアメリカに戦争を仕掛けて来るとは思っていなかったのではないか、と。そして、その後は日本の戦況悪化。アメリカにしてみれば、1943年にはすでに勝利が見えていて、すでに戦後に意識は動いている。

 

第Ⅱ部の日本の台頭までが、特に面白かった。戦争終結に原爆が使われたことについては、さらっとしか言及していない。ただし、広島・長崎を忘れてはいけないと述べている。1945年アメリカの世論は、天皇制の完全廃止を求め、大多数のアメリカ人が天皇の処刑、もしくは戦争犯罪人としての訴追を望んでいたのだそうだ。
駐日大使をしたこともあるグルーはかつて、「神道天皇は戦後の日本人の心を癒す力になる」といっていたらしい。まぁ、当時の日本人にとっては、国体が神様みたいなものだったのだから、それを処刑してしまったら、、、、日本人は立ち直れなかったかもしれない。

 

まだまだ、私の歴史の理解は浅いけれど、面白い一冊だった。下巻はベトナム戦争から。。。もう、最近の話なんだけれど、、、歴史なんだよね。 

 

やっぱり、歴史を振り返るって大事だ。視点によって、ストーリーは変わるけれど。だからこそ、様々な視点で語られる歴史を知ることが大事なんだな、って思った。

 

難しいので自分の蔵書にしようとは思わないけど、官僚だったら必読かな。