『ナイン・ストーリーズ 』 by J. D. サリンジャー

ナイン・ストーリーズ
J. D. サリンジャー
柴田元幸
河出文庫
2024年1月20日 初版発行 
2024年2月28日 3刷発行
 *本書は ヴィレッジブックスより2009年に単行本 として、2012 年に文庫本 として刊行された。小社での文庫化にあたり新たに「訳者あとがき」を収めた。

 

サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』。一度手に取って、ザーーっと読んで、あぁ、、、サリンジャーの世界だなぁ、くらいに思っていたのだけれど、村上春樹柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』を読んだ後に、 図書館で借りて、再び 読み直してみた。

megureca.hatenablog.com

 

サリンジャーが、 裕福な ユダヤ系の家に生まれ、 戦争を経験し、 離婚を経験しているということを知ったうえで読むと、ちょっと、違う領域まで想像が膨らむ気がした。

本の裏の紹介には、
” シモーア・グラースが語る、バナナフィッシュの悲しい生態(「 バナナフィッシュ日和」)、 少年たちが夢中になる笑い男の数奇な冒険(「 笑い男」)、 兵士に宛てられた小さな淑女からの 一通の手紙(「エズメに、愛と悲惨をこめて」)、現実を綱渡りで生きる人々の一瞬を切り取った、アメリカ文学史上に輝く自選作品集。”、とある。

 

1919年生まれのサリンジャーがデビューしたのが、1940年。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の出版が1951年。そして、本作『ナイン・ ストーリーズ』が1953年。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』での賛否両論が巻き上がったあとのこと。それぞれの作品が発表されたのは、 1948年から1953年ころ。

自ら選んだ9つの物語がおさめられている。 この柴田さんの翻訳は日本語訳としては 6番目だそうだ。 それだけ多くの人に読まれているということなのだろう。

 

目次
バナナフィッシュ日和
コネチカットの アンクル・ウィギリ―
エスキモーと戦争前夜
 笑い男
デインギーで
エズメに、愛と悲惨をこめて
可憐になる 口元、緑なる君が瞳
ド・ ドーミエ・スミスの青の時代
テディ
訳者あとがき

 

感想。
ふぅぅ。。。。サリンジャーの世界。けだるいような、、、。まさに、「現実を綱渡りで生きる人々の一瞬」という言葉がふさわしい。 サリンジャーの人生そのものが、綱渡りだったのか。いや、だれもが綱渡りなのに、みんな気が付かないふりをしているだけなのか。

その、人生、生きているということそのものの儚さというのか、あまりに日常であり、あまりに忽然と奪われる「今」であり、、、。だからといって、サリンジャーは、しっかり生きろなんていうメッセージを発しているわけでもない。そのどうしようもなく、つかみようのないセツナサ。

 

読みようによっては、虚無に襲われる、、、かもしれない。
自分の気分次第では、なにもかも投げ出したくなるかもしれない。


この、どうしようもなさ、そして文体の美しさ、届きそうで届かない儚さ。
いやぁ、、、サリンジャーにハマる人の気持ちがわかる気がする。救いようがないところに救いがあるのか、、、ないのか、、、、。
この答えのなさがいいのかもしれない。

 

それぞれのお話について、ちょっとだけ、覚書。ネタバレ含む。

 

「バナナフィッシュ日和」: 戦地からもどって病んでいるシーモアは、若い妻ミュリエルとフロリダに休暇に出かける。海辺で昼寝をするシーモア。ホテルの部屋でマニキュアをぬっているミュリエル。シーモアは、海辺で出会った少女シビルと、バナナフィッシュを探して遊う。もちろん、バナナの穴にもぐるバナナフィッシュなんて魚はいない。ホテルに戻るシーモア。エレベーターでいっしょになった女に、不快な気分になる。部屋に戻ると、ピストルを自分の頭に向けて撃った。


コネチカットの アンクル・ウィギリー」:大学のルームメイトだった女二人の話。メアリが、エロイーズの家を訪問する。エロイーズの家には、メイドのグレースと娘のラモーナがいる。娘の世話をグレースに任せて、メアリと酒を飲むエロイーズ。もう、帰らなきゃというメアリをいつまでも引き止め、いつまでも二人は飲み続ける。エロイーズは、昔話を延々と続ける。ラモーナは、メアリがいても可愛らしい女の子のふりなんてしない。鼻くそをほじくる。架空のお友達と遊ぶ。女二人は、飲み続ける。


エスキモーと戦争前夜」:学校でのテニスクラブの帰り、タクシーでいっしょに帰ろうというセリーナだったが、支払はいつもジミー。ジミーはとうとう、「お金を支払って」とセリーナに行った。二人はタクシーでセリーナの家に帰る。お金持ちのセリーナ。「母の看病がある」といって、部屋にこもるセリーナ。一人ぼっちで待っているところに、セリーナの兄がやってくる。はじめての出会い。セリーナはケチだけど、兄はサンドイッチをくれる。べつに食べたくないけど、、、受け取るジミー。セリーナの兄と話しているうちに、セリーナからお金を取り戻すこともどうでもよくなってきて、半分返してもらって帰るジミー。 ポケットの中のサンドイッチは、お祭りでうられるひよこと同じ運命をおうかもしれない。


 「笑い男:野球チーム、コネチカット・クラブのコーチが、練習場にいく道中の車の中で、子どもたちに「笑い男」の話を聞かせてやる。醜い笑い男の奇怪なはなし。コーチの彼女が、いっしょに野球をしたがる。ある時から野球をしにこなくなる。コーチと上手くいってないらしい。「笑い男」の話は、悲しい結末。車の中に飾られていた彼女の写真は、なくなっていた。

 

「デインギーで」:プチ家出をする幼い息子ライオネルに手をやいているブーブー。お構いなしにお茶を楽しむ大人たち。ライオネルは、メイドのサンドラが父親のことを「カイク」だっていっていることが気に入らない。「カイク」の意味はわからないけれど、ライオネルは、嫌な気持ちになるから家出する。ディンギーの上がライオネルの安らぎの場所。「カイク」は、「ユダ公」をさす言葉。

 

「エズメに、愛と悲惨をこめて」:戦争を経験した退役軍人の昔話。遠征先のティールームで出会った少女との思い出。アメリカ兵に対して一方的に優越感を感じている幼い少女エズメは、男に夢を語った。そして、手紙をおくった。

 

「可憐になる 口元、緑なる君が瞳」:妻のジョニーが帰ってこないんだと、男友達のリーの元に夜遅くに電話をしてくる男・アーサー。電話にでたリーの横には、女がいた。リーの都合にお構いなしに、話し続ける男。今からリーの家に飲みに行ってもいいかというアーサー。今は家でジョニーの帰りを待つべきじゃないかというリー。電話を切る。女は電話の間、ずっと黙って横にいる。再び電話が鳴る。ジョニーが帰ってきたことをわざわざ知らせる電話。アーサーは、リーの都合なんて考えない。


「ド・ ドーミエ・スミスの青の時代」: 母の再婚の相手、義父ボビーを思い出す僕。父と母は僕が9歳の時に離婚した。母はボビーと再婚した。3人は、パリに移住する。9年後、母が亡くなりボビーと僕は、アメリカに戻る。しばらくしてボビーは、再婚相手を僕に紹介する。逃げ出すかのように、美術教育の仕事をしにカナダへ渡った僕。でも、実力なんてない。偉そうに口ばっかりだったので、職を失う。ボビーは亡くなった。

 

「テディ」:船でヨーロッパからアメリカに戻る途中のテディ一家。テディは、聡明な少年。キャビンの中で父と母は痴話げんかばかりしている。妹のブーパーは、幼い。テディは、1人でデッキで物思いにふけり、ノートにメモをする。そんなテディの様子をみていたニコルソンは少年に興味を持つ。デッキチェアで会話する二人。愛について語るテディ。両親の不和、自分たちへの愛。
” 僕は両親に対してすごい強い親和性を持っているんです。2人とも 僕の親なんだし 僕たちはみんな 互いのハーモニーの一部 なんだし。”
”・・・ つまり、 僕たちをありのままには愛せない みたいなんです。 僕たちを愛するのと ほとんど同じくらい 自分たちが僕たちを愛する理由を愛していて大抵の時はむしろ そっちをより愛しているんです。 そういう 愛し方 あんまり良くないですよね”
プール教室の時間だと言ってデッキから去っていくテディ。しばらく考えてから、テディを追うニコルソン。プールへの扉を開けた時、幼い女の子の 耳をつんざく 長い 悲鳴が聞こえた。 

 

柴田さんの解説は、短いながらも深い。9つのストーリーは、まったく別の物語だとしても、この順番にも意味があるのではないかという。なるほど。

 

自殺する軍人で始まり、幼い子供の悲鳴で終わる・・・。

 

夢も希望もないかもしれない。でも、日常の描写が、、、それでも生きていく人間の人間らしさを語っている気がする。

個人的には、『コネチカットの アンクル・ウィギリー』が好きかも。過去にしがみついている女とイノセントな娘と。テディのような子供は、幼くして生き難さを知ってしまったのかもしれない。人生には、知らない方がいいことがある。

 

読み返すと、また違う感想かもしれない。不思議な作家だと思う。けど、嫌いじゃない。

 

やっぱり読書は楽しい。