映画:INSIDE OUT 2  

映画:INSIDE OUT 2   Directed by Kelsey Mann
インサイドヘッド2   監督 :ケルシー・マン

 

観たいとおもっていたのだけれど、「字幕」でやっている映画館が少なくて、なかなかタイミングが合わず、、、。でも、やっとみてきた。

 

Disneyの広告には、

“どんな感情も、きっと宝物になる―ディズニー&ピクサーが贈る、あなたの中に広がる<感情たち>の世界。
少女ライリーを子どもの頃から見守ってきた頭の中の感情・ヨロコビたち。ある日、高校入学という人生の転機を控えたライリーの中に、シンパイ率いる<大人の感情>たちが現れる。
「ライリーの将来のために、あなたたちはもう必要ない」―pubertyシンパイたちの暴走により、追放されるヨロコビたち。巻き起こる“感情の嵐”の中で自分らしさを失っていくライリーを救うカギは、広大な世界の奥底に眠る“ある記憶”に隠されていた…。


<監督メッセージ>
「この映画は、自分自身を受け入れることをテーマにしています。
ダメなところも含めて、自分を愛すること。
誰しも愛されるために、完璧である必要はないのです。
――『インサイド・ヘッド2』監督
ケルシー・マン”
とある。

 

感想。
すばらしい。あぁ、、、愛しいRiley。可愛い、可愛い、可愛い!!!

 

前作で、赤ちゃんから始まって、11歳で悲しみを表現することを許されると知ったRileyライリーは、今作では、13歳に。まさに、puberty! 感情のコンソールには、pubertyボタンが!!思春期。

にきびなんか出来ちゃったりして、可愛い。

 

前作、Inside Out は、2015年、 Directed by Pete Docter。ほぼ、10年まえ。監督も変わっているけれど、ピクサーらしさは変わらず、素晴らしく楽しかった。

 

前作でライリーの頭の中にいた5つの感情は、
Joy:ヨロコビ:喜び
Fear:ビビリ:恐れ
Anger:イカリ:怒り
Disgust:ムカムカ:嫌悪
Sadness:カナシミ:悲しみ
それぞれのキャラクターがなかなかいい色で、いい味だしている。ところが、彼らは思春期を迎えた新たな感情に、抑圧されてしまう。


今回は、思春期を迎えたライリーが、まさに、
Anxiety:シンパイ:不安、心配
Embarrassment:ハズカシ:羞恥
Envy:イイナ:妬み
Ennui:ダリイ:アンニュイ、倦怠
という、モヤモヤだらけの感情に支配されてしまう。

Anxietyは、日本語では、「シンパイ」というキャラ名になっているけれど、どちらかというと「不安」のほうが近い気がする。Embarrassmentも、恥ずかしいというより、恥じらい、という言葉の方がしっくりくる。EnvyやEnnuiに至っては、イイナとダリィは、なかなか頑張った命名だけど、、、そのまま「エンビ―」とか、「アンニュイ」で良かったような気がしなくもない・・・・。

アンニュイは、感情を操るコンソールの前に立つこともせず、ソファーに寝っ転がったままでモバイルappで操作するという徹底した怠惰ぶり。笑える。

 

あと、Nostalgia​というキャラが、ときどきヘッドクオーターの扉を開けて覗きに来る。みんなに、「まだまだ、、、君の出番ではない・・・」と言われてひっこむノスタルジアは、グレイヘアーのおばあちゃんで、、、可愛い。。。いつか、Nostalgiaがコンソールを支配する時が来るのか・・・。

 

RileyのBelief Systemの描かれかた、がまた美しい。記憶が積み重ねられて、そして、自分の信念になっていく、たしかに、こんな感じかも・・・・。

 

今回は、最初の5つの感情が、新たな思春期の感情においやられてしまうことで、Rileyは、迷いに迷うのだが、、、、。最後は、全ての感情が協働することで平穏が。

 

3日間のホッケーキャンプから自宅に戻ったRileyが、MomやDadに「どうだった?」ときかれて「まぁまぁ」って、、、それしか答えないところがまたおかしい。

 

結局、感情の世界の中で、最後まで重い扉の部屋から出てこようとしない、「秘密」がいる。そう、だれにでも秘密はつきものなのだ。。。。いろんな感情が絡み合う、人に言えないシークレット。だれでもあるよね。。。

ホールデン・コールフィールド(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)の世界のディズニー版って感じ。

ライリーも、ホールデンも、Anxiety、不安のど真ん中にいる。自分を信じていいのか迷っている。迷子のままのホールデンと、友だちに素直になることで自信をとりもどしていくライリーと。二人とも、感情に振り回されているということでは変わらない。思春期というのは、永遠のテーマなのかもしれない。

 

ふと、今回の新たな感情たちに思うのは、日本人なら「劣等感」がいるともっと心に刺さったのではないか、、、ということ。そもそも、劣等感という言葉自体、inferiority complexという英語はあるけれど、アメリカ人が否定したがりそうな感情だ。

 

明治維新、戦後、つねに日本人は劣等感と闘うことで成長してきたのではないだろうか。。。それがバブル以降、失われた30年と言われる時代は、打ち勝つべき劣等感が卑屈感に上書きされてしまったのかもしれない、、、なんてことを思った。

 

最近、丸山眞男の『日本の思想』をよんでいるのだが、たしかに名著でうまく日本のことを言い表していると思うのだけれど、いや、まてよ?だからといって、キリスト教のような精神の軸がないからといって、日本が西洋に劣っているというのか???違うだろう??と感じたのだ。

 

と、ディズニーをみながら、日本人についてかんがえてしまった。

 

いやぁ、、、でも、やっぱり、深い映画だと思う。青少年の心理学の専門家たちからのアドバイスもふんだんに引用されているとのこと。makingを知るのも楽しい。

 

人は誰でも封印してしまいたい過去もある。そんな過去はないと思っているのは、本当に記憶の墓場に埋葬しきってしまったってことだろう。人間の脳って不思議だ。でも、抑圧された記憶の感情は、ある日突然、、、起き上がることもある。

 

記憶の上書き。した方がいいこともあるよね。

もう一度みたいなぁ、って思う映画。

アニメーションは楽しい。