『落語速記はいかに文学を変えたか』  by 櫻庭由紀子

落語速記はいかに文学を変えたか
櫻庭由紀子
淡交社
2024年3月31日 初版発行

 

本のプロの知り合いが、面白かったと言って貸してくださった。なんとなく記憶にあったので、確認してみると、日経新聞の書評でも4月に紹介されていた。

書評では、
”音声や動画を残すことが容易でなく、ラジオ放送もなかった明治時代。庶民の娯楽だった落語をいつでもどこでも楽しむ方法、それが速記本だった。
最初に速記本となったのは落語中興の祖といわれる三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」。円朝が数多く生み出した創作の一つで、落語だけでなく歌舞伎演目の原典にもなった長編だ。続いて立志伝の「塩原多助」などの速記本もベストセラーとなる。その人気を受け、新聞は落語や講談の速記を連載して部数を大きく伸ばし、演芸速記専門の雑誌も誕生した。・・・・”
とあった。

 

そうなのだよ、古典文学を読んでいて、何が難しいって、、、文語が、、日本語なのにわからないのだ。口語をそのまま文字にするって、いかに画期的だったかということ。それは、落語をことばのままに文字にする落語速記からはじまったのだ、というはなし。

 

著者の櫻庭さんは、各媒体の執筆、創作をおこなう文筆家・戯作家。伝統芸能、歴史(江戸・幕末明治)日本文化の記事執筆の他、 ドキュメンタリー なども手掛ける。 噺家・三遊亭楽松の女将として同氏のサポート兼広報などとしても活躍。

 

目次
1章 演芸速記と言文一致の誕生
 速記第一号  怪談牡丹燈籠
 三遊亭圓朝が明治にもたらしたもの
 小説とは何か  文壇の試行錯誤
 二葉亭四迷の予想外な成功
 夏目漱石と大衆の笑い

2章 高座を「読む」人情噺
 やまと新部員と演芸速記
 消えた江戸の幽霊、累とお岩
 速記雑誌の誕生
 新聞社同士の攻防戦

3章 「伝える」ための試行錯誤
 江戸後期から幕末までの口語体
 江戸っ子と文芸
 高座の再現と独自性の表現
 速記と芸人

4章 小説と話芸速記の境界線
 小説から演芸、演芸から小説
 伝統の『百物語』を読む
 書き講談・立川文庫から大衆文学へ
 探偵小説誕生前夜
 涙香以降の名探偵たち
 
5章 演芸速記を読んでみると
 絶滅危惧種の速記本
 落語は文学か

 

感想。
なるほどぉぉ!!!
面白い。
落語に関してというより、日本文学の歴史がわかる一冊。しかも、幕末から明治にかけての目まぐるしい社会の変化、なんでも「御新政」の時代、江戸庶民の新政への反発感情から生まれた、ルールの隙間をかいくぐる演芸とその文字化。面白いわぁ。二葉亭四迷が、”明治20(1887)年坪内逍遥のすすめで、近代小説の先駆とされる言文一致体の『浮雲』を発表”と記されるようになった背景がよくわかる。へぇぇ!!そうだったの!!!

 

って、私には目からうろこがいっぱいおちた・・・。

 

読み始めて、すぐに身近に感じてしまうのは、三遊亭圓朝の噺を文字起こししたのが最初だったということ。圓朝といえば、わたしが坐禅会でお世話になっている「全生庵」ゆかりの人で、住職から「舌を使わずに噺をして見よ」と、山岡鉄舟が弟子の三遊亭圓朝に言ったというはなしをよくきいている。大事なのは、技より心、、、と。圓朝のお墓の文字は、鉄舟が生前に書いたもので、鉄舟と圓朝のお墓は、全生庵本堂の裏手に、隣同士に立っている。本書にも圓朝のお墓の写真がのっていた。圓朝は、子どもがいなかったのだけれど、弟子想いで、多くの弟子たちが今でも圓朝のための法要を続けている。。。子どもなどなくとも、生前のおこないによってこんなにたくさんの人に今でも大切にされている、、、と、毎年、圓朝の法要の季節になると住職が語っている。

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そんな、私にとっては見たことも会ったこことも、噺をきいたこともないけど、ちょっと身近に感じていた 三遊亭圓朝が、事の始まりだったのだ。

 

そもそも、最近のひとは、「速記」ときいてもなんだかわからないのではないだろうか?

 

「速記」は、 速記文字や速記記号という特殊な記号を使い、人が話している言葉を書き写す技術のことで、昭和のころは「速記の通信教育」とか、よく目にしたものだ。2000年代でも使われていたが、2007年までに衆参両院の速記者の養成所が廃止され、2008年にはパソコン入力、2011年には 自動音声入力が採用されているらしい。

 

圓朝は、師匠の圓生との折り合いがあまりよくなかった。というのも圓生圓朝の才能に嫉妬したのでは、、ともいわれているらしいが、、、それが、圓朝がオリジナルの新作をつくるきっかけにもなった。

最初に圓朝の高座で速記されたのは、「怪談牡丹燈籠」だった。このころの高座は、月の半分をかけてひとつの噺をかけた。だから、「怪談牡丹燈籠」も、15日間におよぶ噺。牡丹燈籠って、名前はきくけどどんな話だっけ?っと、おもわず、YouTubeで探してしまった。「カラン、コロン・・・」ときくだけで、ゾワゾワってしちゃう、あの話だ。

15日間で語られるスト―リーは、新三郎とお露との恋愛&怪談話だけではなく、黒川孝介という武士のドラマ、新三郎の死因はお露に呪い殺されたのではなく、金欲しさに伴蔵が殺人をおかしていた、、、と完全犯罪を匂わすミステリーが重なるのだそうだ。

まさに、今でいう、ミステリー、推理小説ではないか。それを落語でやっていたのか・・・。聞いてみたかった・・・・。

と、聞けない人のために、速記がはじまったのだ。

 

このころ、近代文学は、物語をかいたエンタメ系の「戯曲文学」、西洋文学を訳した「翻訳文学」、自由民権運動から活発になった「政治文学」が主な3つだった。明治維新が始まると、近代化がよしとされ、江戸の庶民は「江戸」を懐かしがった。おまけに、江戸っ子は、贔屓の徳川が薩摩の田舎侍においだされて、新政府が幅をきかせているのが面白くなかった。と、そこへ、「江戸時代」を舞台とした歌舞伎、高座が人気を呼んだ。

ところが、なんでもかんでも「近代化を」という流れが強くなり、「歌舞伎にも近代化を」という”とんちきな演劇改良運動”がはじまり、坪内逍遥までその流れに乗ってしまった。

坪内逍遥って、そういう時代の人だったんだ。そして、文学でもなんでも「近代化」がよしとされ、「お化け」「怨恨」なんていう非科学的なものは文学とはみとめない!という政府になっていく。

 

明治維新のお偉いさんは、エンタメ戯曲を「非科学的である」として、全否定したのだ。で、坪内逍遥の『小説神髄が生まれたらしい。「日本の小説は荒唐無稽でヤバくね!」と言ってしまった。なんて、時代にの流れに弱い人だったんだ・・・。

 

そう、本書の中で、時々「現代の俗語」が挿入さている。「ヤバくね」「ドヤ顔」「ガチ」、、、うん、これも現代口語本ってことか。だから、読みやすいのかもしれない。

著者は、意図的にこういった言葉を使っていると思われる。

 

そういう時代の中で、歌舞伎を書いていた河竹新七も、つまらないことで非難されることに嫌気がさして筆を投げ、「黙阿弥」と改名してしまった。あ、あとの黙阿弥の黙阿弥、ね。

 

そんな時代に、逍遥にすすめられて口語で小説を書いて脚光を浴びたのが、二葉亭四迷。1887年浮雲を発表。要するに、圓朝の落語速記をまねて、小説をかいてみたら当たったってことらしい。それくらい、当時、口語で記述されているということがめずらしく、かつ、庶民には親しみやすかったのだろう。

 

1872年には、「三条の教憲(教則)」というものが発布される。三条の教憲とは、教部省から下々の国民に下された生活指針で、「神を敬い国を愛し、天理人道に基づき、天皇を中心にした国家 秩序を確立せよ」という教え。おまけに、尊皇愛国思想の教化を目的とした指導者に、神官・神職、僧侶などの宗教家の他に、落語家、歌人俳人なども任命してしまった。

それによって、落語で、「お化け」や、「荒唐無稽」「因果応報」の物語はダメってことになってしまった。噺家や、物書きが選んだのは、だったら「ノンフィクションだ!」ってことだった。そこから、新聞で「怨恨もの」が報道としてネタのように尾ひれはひれつきだした?!?!のかもしれない・・。

 

報道だって、結局は読者が面白がってくれないと客はつかない、新聞は売れない。で、報道が、、、いつの間にか新聞小説に、、、

 

その時代の波にのって新聞小説を書くようになったのが、夏目漱石。江戸っ子の夏目漱石は、話し言葉をそのまま文字にした。

と、こういったいきさつが、本書をよんでいて、一番面白い!ってところだった。

 

様々な戯作者が、新聞記者に転身し、記事を書いた。報道なら、文句ないだろ!って。

 

でもって、噺家の方も、「実は聞いた話なんでね・・・」と、さも、荒唐無稽の作り話ではなく、世間で聞いたこと、、、というていにして噺をするようになった。
で、圓朝の「真景累ヶ淵」は、当時おかしなことは「神経病」のせいにされたことから、「神経病」かもしれないんで、勘弁してね、っということで語られた怪談となった。「真景」は、「神経」を文字ッていたのだ。。。

 

ちなみに、「真景累ヶ淵」も、しらなかったので、YouTubeで探した。長そうなので、、、みなかったけど、これまた、恨みつらみの殺人輪廻のはなしらしい・・・。

 

夏目漱石が『吾輩は猫である』(1905)を発表するより前、新聞社はこぞって新聞小説を書いてくれる人を探した。1872年「三条の教憲」に続いて、1887年前後は、「治安妨害」を理由とした新聞の発行停止が激増していた。で、「報道」ではなくこんどは、「小説でーす」という逃げ道にはしったのだ。尾崎紅葉幸田露伴は、そういう流れで、新聞社に入っている。尾崎紅葉の『金色夜叉』(読売新聞 1897年1月1日 - 1902年5月11日まで連載)が大人気となった背景には、そういうことがあった。で、文学の文体に読みやすさが求められるようになっていく。

 

でも、本書の中で、
”我々だって、金色夜叉の詳細は、熱海で銅像になっている貫一がお宮を足蹴にしたシーン以外はよくわからない”って。。。御意!!まさに!!私も!!!

金色夜叉』読んでみよう、、、と思いつつ、、まだ、手にしていない。

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そのうち、、、、。

 

ちょうど、小泉八雲の後任として東大の英語教師となった夏目漱石は、八雲の大ファンだった生徒たちから不評をかって、「もう、文学だけ書いて生きていきたい・・・」と親友の正岡子規に手紙を送る程、神経がよわっていた時期だった。で、教師をやめて、1907年、朝日新聞の社員となって虞美人草を発表。

 

ちなみに、読売新聞も夏目漱石の獲得をねらっていて、朝日新聞が『虞美人草』を発表すると、「今年の文壇がうんだ駄作の最も大なるもののひとつである」と酷評したらしい・・・。漱石、朝日にいってよかったね。


本書の後半では、高座を「文字」で伝える難しさについて。たしかに、「話し言葉」で文字にしたところで、噺家の「フラ」はなかなかつたわらない。「フラ」って、「芸人独特の何とも言えぬおかしみ」と、本書の中で出て来るけど、姿勢、視線、手、間の取り方、表情、、、、全てだ。先日、落語家の春風亭一猿さんの落語を聞いた後一緒に食事をしていて、一猿さんから直接おしえてもらった「フラ」。「あいつはフラがあるね」なんて使うらしい。それは褒め言葉。そう、それは、、文字で現すのは難しいだろうなぁ。頑張って文字で示そうとすれば、口述の話が折れてしまう・・・・読みずらいだろう。
そういう点で、現代では「録音」「録画」があるっていうのは、怖ろしく、、、すごいことなのだ。

 

けどね、文字で読む楽しさっていうのも絶対にある。妄想できる楽しさかな。それに、圓朝の時代は録音という技術はなかったから、口述速記があったおかげで今でも目にすることができる。

 

そして、その流れから、書き講談本として立川文庫が創刊される。 一休さん水戸黄門、といったキャラは、立川文庫からうまれたのだそうだ。史実を無視したエンタメは、100年前からあったのだ。大河ドラマが史実と違って何が悪い!ってさ。まぁ、司馬遼太郎だって、史実とは違うフィクションもある。

 

1923年、大正12年関東大震災がおこると、東京は壊滅状態となって、命を繋ぐことが最優先される。そのさなかにあっても菊池寛は、「文芸は、生死存亡の境においては無用の贅沢品」とみとめつつ、「きっと娯楽本意の通俗的な文学が流行するだろう」と娯楽本に走る。実際、菊池寛の狙い通り、人びとは文芸をもとめるようになる。そして、『文藝春秋』創刊。あぁ、、、こんなところにつながった。 

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まさに「文学」の変遷にまつわる一冊。落語に興味が無くても楽しめる。

いやぁ、面白かった。

結構、おすすめ。

わりと、さらっと読める。

 

読書は楽しい。