ジャパンアズナンバーワン アメリカへの教訓
エズラ・F・ヴォ―ゲル
広中和歌子/木本彰子 訳
TBSブリタニカ
1979年6月1日 初版
1979年7月15日 初版 第7刷
Japan as Number One (1979)
かつて一世を風靡した、と言ってもいいだろう。バブル期以前の日本を讃える本、、、と、日本では受け取られた。過去の栄光そのものといっていい。
なぜ、今頃、こんな本を読んだかというと、先日とある懇話会で年上の男性(現役社長)が、「この失われた30年で、日本は何をこわしてきたのか、、、『Japan as No.1』を読み直してみたらどうか?」とおっしゃったのだ。
なるほど。かつて、日本をお手本にしろとアメリカ人がアメリカ人にむけて書いた一冊。余りに過去で、痛々しくて、、、読んだことが無かった。91年に社会人になって、メーカーでサラリーマンをしてきた私でも、読んだことが無かった。会社でも、たびたび話題になっていた。日本がすごかった時代が、、、あった、、、ということ。
だって、過去の栄光でしょ、、、って。
図書館で借りて読んでみたのだが、活字にも古さを感じる。だいたい、TBSブリタニカってきいたことのない出版社、、、しらべてみたら、2003年に阪急電鉄に買収され、阪急コミュニケーションズとなった後、現在はCCCメディアハウスとなっているらしい。本書が売れまくって、調子に乗って、、、破産したか?!
著者のエズラ・F・ボーゲルは、 1930年、 アメリカ・オハイオ州生まれ。社会学者。 日本・ 中国の研究家。1958~60年、 1975~76年に来日し、日本の社会構造をテーマに調査研究を行う。1967年、 ハーバード大学教授となり、 1972年、 同大学 東アジア研究所長に就任。 1993~95年にはアメリカ政府 CIA 関連機関の国家情報会議 (NIC) 東アジア太平洋担当上級専門官を歴任。
もともと、社会学者として、家族関係と精神衛生が研究テーマで、 国際比較を通じてその一般理論に到達してみたいとし、研究対象に日本を選んだ。日本を選んだのは、近代国家の中で日本がもっとも異質であったから、だそうだ。1958年に来日したきっかけである。戦後、間もない日本。目覚ましい成長。たしかに異質だったのかもしれない。
目次
序文
日本版への序文
第一部 日本の挑戦
第一章 アメリカの「鏡」
第二章 日本の奇跡
第二部 日本の成功
第三章 知識 集団としての知識追求
第四章 政府 実力に基づく指導と民間の自主性
第五章 政治 総合利益と公正な分配
第六章 大企業 社員の一体感と業績
第七章 教育 質の高さと機会均等
第八章 福祉 全ての人の権利としての生活保障
第九章 防犯 取り締まりと市民の協力
第三部 アメリカの対応
第十章 教訓 西洋は東洋から何を学ぶべきか
訳者あとがき
参考文献
感想。
なるほど。日本人が自分たちはすごいと勘違いしてしまったわけだ。また、当時、多くの国の首脳たちが、本書を参考にしたわけだ。たしかに、あの頃の日本はすごかった。
この数十年で日本が「失ったもの」を考える切り口として、面白い一冊。すでに、過去の栄光だからこそ、、、冷静に見つめ直すきっかけになるのではないだろうか。
1960年代生まれで、バブル期に大学時代をすごした私には、書いていることの実情が、実感としてちょっとわかる。そして、その後の下り坂も身をもって経験してきた。かといって、なにもかもを失ったわけでもないと思う。たしかに、傲慢になった日本人は、恥ずかしいと思う。アメリカで、不動産を買いまくって嫌われた日本人は、恥ずかしいと思う。浅はかだと思う。すべては、後から言っているわけで、私だって浅はかだったことはたくさんあったと思う。でも、本書で述べられる日本の素晴らしいところのいくつかは、今でも誇れるのではないだろうか。
第二部が、日本の素晴らしい所をそれぞれの切り口で紹介している。日本で暮らしていると普段は気づかないけれど、教育・福祉・防犯は、今でも高水準なのではないだろうか。もちろん、少子高齢化の変化の中、求められる教育も福祉もかわってきて、変化が求められるところもあるだろうが、まだ望みがある気がする。各章で、それぞれの強みが語られている。
知識については、「 日本の成功を解明する要因を一つだけあげるとするならば 、それは集団としての知識の追求ということになるであろう」といって、ベタホメ。企業、組合、官庁、地方自治体、、、どこでも人びとが共通の利害をもち、将来役立つ情報をたえず収集している、というのだ。
その詳細は、第三章で、様々な立場、分野のひとが、つねに学び続け、情報を収集している、と。また、海外からの知識人を温かく歓迎し、丁重にもてなす。注意深く話を聞き、できる限り吸収しようと質問をあびさせる。”めったに反論したり、自分の知識をひけらかすことをしない”、と。素人としてふるまうことで、できる限りの情報を収集しようとする、、、と。でも、特別に重要な情報だと、トップの一握りの人しか知らないということが公然とみとめられている、と。また、企業間でも共通の利益となるのであれば、積極的に情報を分かち合う。そういう、日本としての強さ、あったかもしれない。。。
たしかに、40年前の日本人はそうだったかもしれない。。。みんなで、新しい情報を求めた。共有した。謙虚だから質問をしないのか、戦略的に反論をしないのかはわからないけれど、、、。修辞法の一つか。。。。それが、強みになっていたということ。興味深い。
情報を集めるなんて、当たり前すぎて、強みだと気が付かずに強みになっていたのかもしれない。日本人は好奇心旺盛ってことだろうか。『逝きし世の面影』の時代ともかぶる。
政府、政治、については、私は現在の政府も政治も官僚もくわしくないので、何とも言えないけれど、優秀な官僚が日本の強みだったそうだ。たしかに、官僚といえば、本物のエリートだった。。。今が違うというのではないけれど・・・。
ついでに、エリート官僚たちは同僚の尊敬を受ける必要があり、人間関係の緊張をほぐすのが、
”麻雀、ゴルフ、 宴会、 週末旅行、バーのはしごなどの プライベートな付き合いである”
って書いてある。笑える。。。よく見ている。これは、日本人に密着取材した賜物だろう。たしかに、そうやってつくってきた人間関係、平成、令和の時代もなくはない。今の若者にはわからないかもしれないけど。で、何かあったときには互いに助け合うって。人間関係の作り方はかわったかもしれないけれど、やはり、同僚、仲間を大切にするっていう文化は、引き継いでいきたいなぁ、と思う。同僚を蹴落とすことで出世するという競争社会は、心地よくない。かといって、過度な仲間意識が、他者排斥になってはこまるけど。
政府に関する章で、印象深いのは、
”第二次世界大戦以降20年間、 アメリカは共産主義との戦いに情熱を傾けてきたが、 一方で 日本は ひたすら経済成長を追い求め GNP が国民の知的力量をもっぱら国内の経済発展のために費やしてきたのである。”という記述。
なるほど、これは、歴史の違い。オッペンハイマーが表舞台から姿を消したのは共産主義との戦いの中だった。日本では、そこまで共産党が影響力を持ちえなかった。その理由はどこかで読んだような気がするけれど、、、、どの本だか忘れてしまった・・・。
そして、日本では国の重要決定は政府が行い、国民はそれに従うまでであるという考え方が根強く残っている、と。
これは、どうかなぁ・・・。強みなのか?正しい政府なら強みだろう。そして、今では反論もあるかもしれないけれど、どちらかと言えば、政府に従う国民性は変わってないかもしれない。コロナ禍の自粛だって、多くの人は守った。ワクチンもアメリカのような反対運動はなかった。
また、アメリカに比べると当時の日本政府は公害対策に充てる予算が大きかったのだそうだ。たしかに、昭和の公害問題は、傷をのこしはしたけれど、アメリカに比べると早期に手を打ったのかもしれない。これは、政府の成果、と。
そして、日本の民主主義の特徴は、各集団が構成員に対して十分な権限を持ち、団結を保ち、 かつ 合意が名誉あるものであることを 納得させるところにある、と。ただ、その集団に寄りかかった生き方が、変化しつつあることを指摘している。それが、日本の民主主義が直面している深刻な問題だ、とも。
第六章の大企業については、私にもわかりやすい。なんせ、一応、わたしが属していたのも大企業と呼ばれるメーカーで、私が入社した当時は本書に書かれた特徴を殆ど持っていた、と思う。終身雇用があたりまえ、年功序列、、、、それが、企業への忠誠となり、安定していた。変わったな。人事制度、目標管理制度、すべて変わった。不必要に変わった。失敗作もたくさんあったと思う。社長は、いつも株価を気にしている。株価が上がればよい社長。社員が忘れられていく。ええかっこしいは、IR活動のため。。。とはいえ、やはり、いい会社でした。大企業は、悪習慣がない限りは、やはり強い。組織内の悪習慣は、自分たちで気が付きにくいから恐ろしい。隠蔽体質とかね。そういうのは、私のいた会社にはなかったと思う。だから、100年以上続き、今でも消費者に愛されている。
面白いのが、アメリカでは市や個人がスポーツチームをかかえているけれど、日本では企業がチームをもっているということ。
あ、そういえばそうだ。チームを応援することが、企業を応援することにつながっているのだ・・・。Jリーグだと地方性が高いけれど、当時、Jリーグはまだなかったな。。。アメリカは、地域色が強い。5月17日は、「大谷翔平の日」って、Los Angels市議会が決めた。
また、日本企業はその責任を従業員に対して負っていて、株主に対してではない、と言っている。これも、、、過去のことになってしまったなぁ、、、。やたら、財務指標に傾き、ものいう株主に振り回されている。。。ヴォ―ゲルが褒める「ウエット」な人情味が好まれた時代は終わってしまった。。
教育に関しては、NHK教育テレビの質の高さが述べられている。たしかに、NHK第二放送も含めて、NHKで学べることは今でも多い。これは、なかなか日本で生活していると気が付かない。NHKの語学番組は鉄板だ。
福祉に関しては、少なくとも国民健康保険法によって、皆保険が継続している。高齢化で少しずつ変化はしているけれど。。。生活保護もあるし。やはり、誇れる水準。英国人の知り合いは、保険料払っているのに病院でさらにお金を取る仕組みが理解できない!って怒っているけど。
防犯に関しても、いまでも誇れるだろう。落とした財布が戻ってくる国、日本だ。それも、警察が機能してくれているお陰。これも普段は気にしないけれど・・・。
私たちが当たり前と思っていることでも、海外から見ると「すばらしい」っていうことは、今でもあるように思う。本書で述べられていた強みが、失われてしまったものもある。それは、時代のながれだったのか、変化に失敗してしまったのか、、、日本を振り返るのによい教材になる一冊だ。たしかに、面白い。
重要なのは、「ジャパンイズナンバーワン」ではないということ。あくまでも、「アズ」なのだ。エズラ・ヴォ―ゲルは、日本を褒めるために本書を書いたのではないと繰り返し述べている。あくまでも、日本の弱みを知っているうえで、アメリカが参考にできることを本書に述べた、と。
今、過去の日本に、今の日本が学べることは、たくさんありそうだ。逆戻りするということではなく、見直してみることは大事だと思う。
歴史の勉強にも、なかなか面白い。過去の栄光であるところが、痛いけどね。
そして、こういう切り口、日本人だと取り上げなかったかもな、と思う。
しかし、本書出版の後10年もすうれば日本は下り坂の一途、、、。
だから、続編もある。
続きはまた。
読書は楽しい。