『「和歌所」の鎌倉時代  勅撰集はいかに編纂され、なぜ続いたか』 by  小川剛夫

「和歌所」の鎌倉時代 
勅撰集はいかに編纂され、なぜ続いたか
小川剛夫
NHK出版
 2024年6月25日 第1刷発行

 

日経新聞、2024年8月3日の朝刊の書評で紹介されていた。ちょうど、マンガ日本の歴史を読んでいて、16巻で、後鳥羽院より新古今和歌集が実朝のもとへ届けられた話がでてきた。

megureca.hatenablog.com

 

古事記』とか『日本書紀』のような歴史書ではなく、なぜ、天皇たちがこぞって作ったのは「和歌集」なのか・・・。私には謎だった。

 

著者の小川さんは、1971年東京都生まれ。 都立大学院文学研究科博士課程退学( 2000年 学位取得)。 現在、 慶応技術大学 教授。 専門は中世文学・和歌文学。

 

表紙をめくると、
” 謎に包まれた「和歌所(わかどころ)」が明かす、 中世日本の政治と文学。
天皇の命を受けて編纂された歌集、 勅撰和歌集は、乱世の中の500年以上にわたって生み出されてきた。 古今和歌集をはじめ、初期の 勅撰集に注目が集まりがちだが、勅撰和歌集が 権威を持つようになったのは、鎌倉時代以降のことである。 しかし、それぞれの勅撰集が
いかに 編纂されてきたかは意外なほど知られていない。
本書では 鎌倉時代の勅撰集がいかに編纂されたかを新史料も交えてつぶさに描き出す。
それによって見えてくるのは、 単なる文学史を超えた、和歌と政治の相互保管関係という中世という時代の特質である。”とある。

 

目次
はじめに
序章  和歌所その源流
第一章 開闔(かいこう)・源家長歌人たち  新古今和歌集
第二章 撰者の日常  新勅撰和歌集
第三章 創られる伝統 続後撰和歌集
第四章 東西の交渉と新しい試み 続古今和歌集
第五章 和歌所を支える門弟
第六章 打聞と二条家和歌所  永仁勅撰企画・新後撰和歌集
第七章 おそろしの集  玉葉和歌集
第八章 法皇長歌  続千載和歌集
第九章 倒幕前夜の歌壇  続後捨遺和歌集
主要参考文献
附録
索引

 

感想。
いやぁ、、、面白いんだけれど、難しいというか、マニアック。目次のあとに、皇室系図摂関家西園寺家系図、御子左家・飛鳥井家系図、北条氏系図、、、、と勅撰集一覧。勅撰集って、こんなにたくさんあったんだ!!!

 

途中まで読んで、読むのを辞めようかと思った。マニアックすぎるのだ。でも、なんとなくつたわってくる、和歌をめぐる権力者たちの攻防戦。誰それさんの歌はいれない、誰それさんの歌はいれる、前の勅撰で選ばれなかった恨みは、次の勅撰ではらしてやる、、、。

なんともいえない、人間模様があった、、、ということがつたわってくる。内裏内に和歌所がおかれたり、あくまでも撰者の家がその場であったり、きっと、撰者への賄賂もあったのではないだろうか、、、なんて思ってしまう。

 

また、良質な歌ばかりを並べるとつまらないので、玉石混交にすることに技がある、、とか、人間臭い話も面白い。

 

ただ、実際に和歌がでてくると、私にはまったくもってお手上げ・・・・。日本語であって日本語ではない・・・。意味わからん!!となって、投げ出したくなる。。
よって、かなりななめ読みをした。
それでも、面白い本だぞ!これは、という気がした。

 

解説することはできないので、日経新聞の記事を引用。歴史学者 五味文彦さんによる書評をそのまま引用する。

”伝統文化の根幹をなす和歌のなか、勅撰(ちょくせん)和歌集がいかに編まれてきたのか、という問題は古くから論議されてきた。中世和歌史を「撰歌(せんか)と歌人社会」という側面から考察してきた著者が、「勅撰集はいかに編纂(へんさん)され、なぜ続いたか」に挑んだのが本書である。
和歌所の存在は鎌倉時代新古今和歌集で本格的に設けられ、多くの研究が後鳥羽上皇を中心に語っているのに対して、著者が注目したのは、和歌所の年預(ねんよ)・開闔(かいこう)となった源家長であり、寄人(よりうど)となった藤原定家の動きであって、撰者(せんじゃ)がいかに歌を撰んでいったのかを詳しくみてゆく。
続く新勅撰和歌集では撰者には定家が指名され、和歌所はおかれず、入集希望者が和歌を定家のもとに持ち寄り、武家政権との関係などもあって、定家は苦労しながら撰集した。定家の子為家も勅撰集の下命があって、ここに藤原俊成・定家と続く御子左家(みこひだりけ)が中心的に撰集するようになるが、撰集基準をどこにおくか、新たな伝統を築くべきか、頭を悩まされる。
将軍宗尊(むねたか)親王鎌倉宮廷に「和歌所の衆」を置き、毎月6首の歌を当番(番衆)が奉ったが、これに影響をあたえた真観が、為家に続いて下命された続古今和歌集に、九条基家、衣笠家良、九条行家らとともに撰者となった。そのためもあってか「和歌所」の呼称が見え、「和歌所開闔」を名乗る源兼氏が撰者を支えたという。
後撰和歌集は、為家の孫の二条為世が撰者になると、二条家が公式に和歌所と称され、為世はその和歌所の組織を固め、多数の武家歌人の歌を撰んだ。続いて為世と撰者を争った京極為兼玉葉和歌集の撰者になる。和歌所への言及はない。
以上、本書のタイトルに沿って、勅撰集編纂の動きを見てきたが、その魅力は和歌所に注目した点にあるのではなく、広く史料を調べ、新たな解釈を施して、多くの歌人の思いや動きを具体的に記した点にあり、和歌文化が広く公武の人々に浸透していったさまを明らかにした点にある。
その点からして『「和歌所」の鎌倉時代』のタイトルでは著者の真意は伝わらないのだが、本書を通じて、鎌倉時代に和歌文化が定着し、後世に大きな影響を与えるようになったと明確に示したことは高く評価されよう。”

ということ。

 

勅撰集一覧には、21の勅撰集が記載されている。古今和歌集醍醐天皇)、新古今和歌集(後鳥羽上皇)、、、、他にもたくさん。
下命したのは、天皇より上皇が多い上皇となったうえでの政治へのパワー誇示だったということなのか。

藤原俊成とその息子・定家は、御子左家の始まり。定家は、『明月記』で、当時の生活記録も残していて、当時の重要な史料となっている。

 

撰歌の方法についての説明では、歌を選ぶということと、それをどう並べるか、、、が興味深い。コピー機なんてないし、印刷機だってない時代。選んでは、手書きで歌集に創り上げるしかない。その時にやくだったのが、「カード式」で歌を選んでいく手法であったのではないか、と。つまり、短冊みたいなものに選んだ歌を書いておいて、それをカルタのように並べてみて、あーだこーだと順番を入れ替えてみたり、、、したのではないか、と。そういう小短冊を貼り付けた体裁の草稿原本が残存していたといううわさが、、あるらしい。

 

著者も、梅貞忠夫『知的生産の技術』に触発され、B6判「京大式カード」を愛用されていたそうだ。カード活用法!これは、現代にも使われている素晴らしい方法ではないか。
って、当時は、そうするしかなかったのだろうけど、、、。PC上で、コピペ・・・なんて出来なかったわけで。

本書を読んで、勅撰和歌の歴史的重みを感じるよりも、この「カード式」という方法論に感動してしまった。

 

私は、普段からフラッシュカードになるような、カードをメモ帳として愛用している。100円ショップで100枚で100円で売っている。名詞よりも大きくて、携帯より小さい。これが、メモ用紙としてちょうどいい。しかも、割とちゃんとした厚みがある紙で、当時の短冊よりずっと丈夫だと思われる・・・。

 

あとは、実際にどんどん書き出していって、さらに注釈を上書きして行って、草稿としたという話。やっぱり、書き出さないことには始まらない。私の手書きのマインドマップと似ている。書くって大事!

 

古今和歌集では、優れた歌ばかりだと疲れるから、ところどころに平凡な歌を混ぜておくのがコツっていうのも、いいね!ボタンを押したくなる。1971の歌、作者は411人。だれのが凡作だったのかは知らないけれど・・・。

本書の中でも、吾妻鏡からの引用で、実朝が和歌愛好熱が嵩じ、亡き父頼朝の和歌も撰入されているときいて正式披露前に閲覧したがって、さきに古今和歌集を贈られた、という話がでてきた。和歌好きの実朝、その後、あっさり公暁に暗殺されちゃうんだけどね・・・。

俳句とか、和歌とか、、、古典に覚えのある人なら、すごく楽しめる一冊だと思う。私には、その理解力はないけれど、マニアックに楽しい一冊であることはつたわってきた。

NHKBOOKS、やっぱり、けっこういい。 

 

読書は楽しい。