聖書の解剖図鑑
神さまと私たちの物語
山野貴彦 文
飯嶌玲子 絵
X-Knowledg(株式会社エクスナレッジ)
2024年6月3日 初版第一刷発行
図書館の新着本の棚にあったので借りてみた。「世界一のベストセラー本」、聖書の解剖図鑑とは、面白そうではないか。聖書。。。私はキリスト教徒ではない。でも、いつでも読めるようにとkindleに入れているし、文庫本のような日英聖書も持っている。でも、未だに、、、頭に入っているわけではない。でも、聖書が理解できれば、もっと、、、西欧の文学が楽しめるようになるかもしれない(立花隆さん)し、日本を理解するにも助けになるかもしれない。
そう、だから、理解したいとおもいつつ、、、理解できるわけがないと思っているものでもある。
で、本書は、イラスト付きで、1節が見開き2ページで、内容、解説がまとめられている。とってもわかりやすい。
これは、なかなかいい!全部読まなくても、ツマミ読みでもたのしそう、と思って借りて読んでみた。
目次
はじめに 聖書の読み方
旧約・新約聖書時代史 年表と解説
第一章 旧約聖書より イスラエル民族の物語
第二章 旧約聖書より イスラエル民族の戦記
第三章 新約聖書より イエスの誕生と奇跡
第四章 新約聖書より イエスの受難
あとがき
感想。
わかりやす~~い!
これは、とってもわかりやすくって、読み物としても面白くって、聖書の内容を知りたい人にお薦め。キリスト教徒の人が読んだらどう思うのかわからないけれど、すくなくとも唯の一般民である私には、面白かった。最後には、ちゃんと参考文献も載っていて、親切だ。
そして、はじめて認識したことがある。それは、「旧約聖書と新約聖書」であって、「旧訳聖書と新訳聖書」ではないということ。おっと!そうだった!と、再認識。「約」とは、ヘブライ語の「ベリート」、ギリシャ語の「ディアテーケー」に対応するもので、「契約」「約束」の「約」なのだそうだ。
”これは、聖書の思想が基本的に「神と人間とは契約・約束の関係にある」ということを意味します”って。
とはいっても、聖書の世界の契約は、「神と人間」が対等な関係で成立する契約ではないので、「神から人間に対して契約・約束が差し伸べられる」ということだそうだ。
うん、この「神との契約」という概念は、キリスト教徒ではない私にはやはりわかりにくい・・・。でも、この意味がわからないと、西欧を理解できないってことなのかも。
そして、二つの斉唱は、時代として繋がっていたということ。。。。私は、旧約聖書は神話のようなおとぎ話で、新約聖書はイエス・キリストの物語、、、と思っていた。そうではなくて、時代は繋がっていたのだ。。。最初に年表を解説がついているので、あ!そうか、と気がついた。
本書にある説明を引用すると、
”旧約聖書は、神から古代イスラエルの民に与えられた法である「律法」、神の言葉を預かって人々を指導した預言者の書である「預言書」、詩歌や知恵文学など様々な文書が収められた「諸書」で構成されています。”
で、旧約聖書は全39巻。
創世記一章一節が天地創造。「はじめに、神は天と知を創造した」ってことで、世界ができる。
創世記二章二十五節で、人類創造。アダムとエヴァの登場。
創世記四章十三節、アダムとエヴァ二人の息子が、カインとアベル。兄のカインが、弟のアベルを殺してしまう。人類史上初の罪と呼ばれるものがこの兄弟殺し。
と、一節ずつ、お話がサマリーされていて、「なぜカインはアベルを殺したのか?」等と解説されている。
で、「ノアの箱舟」 、「バベルの塔」、「カナンへ旅立つアブラハム」と、聞いたことのあるお話が続く。
で、兄たちにイジメられたヨセフがエジプトに身を売られ、その後、エジプトでイスラエルの民が増える。で、増えすぎて、モーセが率いる脱エジプト。
そうか、そうか、旧約聖書がイスラエルの民の物語だというつながりが、ようやくわかった。
で、イスラエルの民がエジプトを脱出してシナイ山を目指す途中、荒野であたえられた「天からのパン」「天使のパン」が、「マナ」と呼ばれるもの。命の食べ物って感じだろうか。
ときどき、小説を読んでいて「マナ」がでてくることがある。落ち込んだ主人公が癒される故郷の味、、、みたいな感じで。そのマナが、脱エジプトのときの話だったんだ。
そして、「十戒」。モーセに率いられた民は、「約束の地」へ到達して、定住、王政がもとめられて王国へ。王国の混乱、滅亡。古代イスラエルの宗教は、新宗教=ユダヤ教へと歩みを進めていく。
「義人ヨブ」「大魚に呑まれた預言者ヨナ」のお話も、これまで読んだ色々な小説や本のなかで引用されていた。
ヨナは、ヨナとしてはでてこないのだけれど、これまた村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』のなかで、友人らに二度と会いたくないと言われて絶望の中で暮らしていた大学生の作るの描写で、
” 具体的な きっかけは あったにせよ、死への憧憬がなぜそこまで強力な力を持ち、自分を半年近く包み込めたのだろう? 包み込む ー そうまさに的確な表現だ。巨大な鯨に呑まれ、その腹の中で生き延びた聖書中の人物のように、つくるは死の胃袋に落ち、暗く淀んだ空洞の中で日付を持たぬ日々を送ったのだ。”
とでてくる。
ここで、ヨナとは出てこないけれど、これはヨナのことで、ヨナは、三日三晩大魚の腹の中で神に祈り、救助される。ヨナは、預言を拒否して、預言とはことなる船に乗り、神がおくった嵐で遭難の危機にあう。ヨナが預言を無視したことを知った他の船乗りが、ヨナを荒れ狂う海に放りだしたのだ。嵐はやんだけれど、ヨナは、大魚に飲まれてしまう。でも、祈り続けたことで救済された、、という話。
ちなみに、ヨナは、「Jonah」と書く。だから、知り合いの英国人は、「ジョナ」と呼ぶ。
そして、旧約聖書の詩篇百二十二編九節では、王国のすったもんだの後、エルサレム神殿が再建される。
イエスは、ヨセフとマリアの子。
ヨセフをたどっていくと、ダビデに。ダビデをたどっていくとアブラハムに。。。
”新約聖書は、 イエスの出来事を記す「福音書」、 イエスから遣わされた人たちの活動を記す「使徒言行録」、使徒パウロをはじめとする最初期の教会指導者たちの「書簡」、この世界の終末と救済を幻視で物語る「黙示録」で構成されています。”
ということ。
マルコによる福音書六章二十五節では、「サロメとヨハネ」。まさに、『サロメ』の原形。
聖書では、サロメは母ヘロディアに言われて「洗礼者ヨハネの首を」といった、となっていた。ただ、新約聖書の中にはサロメという名前はなく、ヘロディアの娘としてでてくるらしい。 紀元1世紀のユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』に、サロメの名前があるとのこと。そして、それがオスカーワイルドの戯曲のタイトルの由来となった、と。
あとは、「十二使徒」がでてくるのも新約聖書。マタイによる福音書十六章十九節で、ペトロが天国の鍵をイエスから与えられる。だから、ペトロを描いた多くの絵は、鍵を持っている。ペトロは、カトリックでは初代ローマ司教に挙げられる。
こういう、出てくる人たちのそれぞれの背景とか、どうしてその運命になったのかとかを知らないと、様々な本で比喩ででてきたときに深い意味が分からない。小説に限らず、翻訳版ビジネス書だって結構よく出てくる。そして、欧米の翻訳書というのは基本的に翻訳するほどの価値がある本なので、やはり読むべき本であることが多い。聖書を知っているのと知らないのとでは、理解度はかわっちゃうよなぁ、と思う。
「高野山」とか「熊野」とか言われて、詳しくわからなくても日本人ならなんとなく聖地だな、くらいな感覚は持てるだろう。聖書に出てくる言葉も、キリスト教の歴史の国ではそういう感じ、あるいは、それ以上なのだろう。だから、わざわざ解説はないけど、みんな深く読んでいる。
聖書は、深い意味が分かっていなくても、やはり読んでおくべき「ベストセラー」かな。わからなくても読んでみるって、結構大事。しかし、カタカナの名前は覚えにくい・・・。
たまたま出会った本だけど、読んでよかった。
読書は楽しい。