『北里柴三郎と感染症の時代』by  新村拓 

北里柴三郎感染症の時代
ハンセン病、ペスト、インフルエンザを中心に
新村拓 
法政大学出版局
2024年5月28日 初版第1刷発行

 

2024年8月10日の日経新聞書評で紹介されていた本。

 

記事には、
”新紙幣に北里柴三郎が登場して話題になる時期に、本書が出版された。150年ほど前の明治維新から西洋化に向かう方針を打ち立てた日本社会が、コレラをはじめ多くの感染症によって翻弄され、それに対応する近代医療と公衆衛生を作りあげていく時期は1880年代から1920年代であるが、それを牽引(けんいん)した第一人者が北里である。
1886年から92年にわたって、ベルリンでロベルト・コッホが指導する研究所に留学し、その時期から世界でも著名な細菌学の研究者となった。帰国して、学術的な論争や大学間の闘争にまきこまれたが、新しい日本の医療のシステムに方向を与えていった。本書は、帰国後の北里に光をあてた好著である。・・・(中略)・・・・
重要な構造を作った北里が1931年に死去した後、日本の医療はさらに近代化され、現在では世界屈指の健康な国家となった。新村の著作から、北里が貢献した多くのプラスのことがわかるだろう。それと同時に、ここに登場しなかった患者たちがどのような経験をしたかという豊かな問題も想像できるだろう。”

 

とあった。

ちょうど、新日本銀行券シリーズで、渋沢、北里、津田を勉強してみようか、という話題が出ていたので、図書館で借りて読んでみた。


本のうしろには、「あとがき」からの抜粋が。
”本書は、 北里柴三郎ハンセン病に対する取り組みを軸にすえて構成したが、 研究は私にとって学ぶことの多いものとなった。ハンセン病患者の悲惨な処遇、 人権無視の患者対応は、人々の偏見と 無知がもたらしたものであり、 患者の受けた 苦しみの深さを思い知らされた。ハンセン病及びその患者の歴史を多くの方がきちんと学んでいたならば、 エイズ騒動やそれに似た新型 コロナ感染症騒動( コロナ対応に当たっていた病院職員の子どもが 登園・登校を拒否されたことなど)も また別な展開を見たことであろうと思われる。”

 

著者の 新村さんは1946年 静岡 生まれ。 早稲田大学大学院文学研究科博士課程に学ぶ。 文学博士(早大)。 高校教諭、京都府立医科大学教授、北里大学教授を経て北里大学 名誉教授。

 

目次

第一章 北里柴三郎に訓導された田尻寅雄の癩病治療
第二章 慰廃園と回春病院を支援した北里柴三郎
第三章 癩対策の世界的潮流から離れる日本
第四章 急性伝染病 ペストと衛生
第五章 インフルエンザをめぐる北研と伝研の確執
第六章 学用患者と済生会
附録 温泉療養の経済効果と衛生

 

感想。
う~~ん、、北里柴三郎とタイトルにあるけれど、北里の動きを中心に描かれているわけではない。目次にある通り、癩病、ペスト、インプルエンザとそれぞれの感染症に対する日本の中での対応が書かれていて、時々北里の名前がでてくる。他も田尻など、北里の教え子の活躍がでてくるけれど、これは、北里の本というより、むりやりタイトルに北里を入れた感じがする。。。

 

内容は、感染症対策の歴史に関心のある人ならば、面白いと思う。けれど、あくまでも感染症対応の歴史、って感じで、北里伝記ではない。

 

ただ、やはり、日本人として覚えておかなくてはいけないのは、癩病つまりハンセン病に対して、日本は患者の人権を無視した隔離政策をとり、明治末期から法律で患者の隔離を義務付け、その法律が廃止されたのは、1996(平成8年)年3月だということ。

 

始まりは、明治時代で、外国人が日本にくるようになった時期。癩病で仕事ができなくなった人が浮浪者として町にあふれたことから、見た目が良くないからと、隔離したのだ。何と痛ましい。。当時、治療法がわからなかったこと、遺伝病と思われていたことから、感染者がでると家族全員が差別を受けた。

 

当時、北里は、「 東洋の固有病として研究するは吾々東洋学者の義務」として、使命感
をもって、癩病の解明にあたった。破傷風菌の純粋培養を成功させた北里だったが、癩病菌を人工的に飼育させる方法は不明で、結核菌と似ているということだけはわかっていた。北里は、科学の合理性・客観性・論理性をもって、癩病は、遺伝病でも「天刑病」(何かの罰として病気になる)でもない、と訴えた。と、そんな北里の活躍が紹介されている。でも、日本としては、隔離政策をとったのだ。

 

先日の『ジャパンアズナンバーワン』の中では、「福祉」が日本の素晴らしいことの一つとして紹介されていたが、そこには、衛生状態の良さも含まれていた。たしかに、日本は綺麗だ。だけど、、、都合の悪いことを隠して、表面だけ綺麗にしていたのだとすれば、なんて卑怯な事だろうか。。本当の意味で「福祉」が行き届いた社会は、まだまだ、、、のように思う。

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他にも、ペスト、インフルエンザ等に対する対応が紹介されている。

 

その衛生学的な話より、私の興味をひいたのは、歴史をかたるなかで出てくる人たちの名前だった。

渋沢栄一後藤新平、、、、。そして、戦争による物資の輸出入の途絶え。色々な人が協力し合ったからこそ、感染症対策も進めることができたということ。

 

明治から大正、昭和と活躍した人びとの名前というのは、、、その業績は近代でもあり現代でも、本当に多くの人が活躍した時代なんだなぁ、という気がした。

 

北里の言葉には、強く同意。
医の真道は、治療ではなく、「人民の健康を守り、病を未然に防ぐ予防を人々に理解させること」だと。

 

だから、医学ではなく衛生学を究めていった北里。やっぱり、すごい人だ。1853年熊本県に生まれた細菌学者。東京医学校でドイツ医学を学び、ドイツへ留学。そして、当時エリートコースとは言われなかった内務省衛生局へつとめ、衛生学を究めていく。給料も安かったそうだ。

 

そういう偉人がいて、今の日本がある。北里研と伝染病研究所との確執とか、いかに日本らしくて、情けなくなる話もあるけれど、それも事実なのだ。

 

あと、温泉治療というのが、この明治期から人気になって、熱海などに温泉治療客があふれた、という歴史があったというのは新たな気づき。夏目漱石も伊豆で療養したし、川端康成の『名人』の囲碁本因坊秀哉も、真珠夫人にでてきた主人公の妻も、、、ちょっと体調のすぐれない人は、療養のために温泉に行くのが流行った?!時代があったのだ。

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いまでは、温泉といえばエンターテイメントだけど、確かに温泉療法というのは今でもないわけではない。

 

まぁ、火山列島で、温泉がたくさんあって、銭湯もあって、お風呂好きな日本人は、綺麗好きと言えるのかもしれない。

 

北里の本だと思って読むと、ちょっとがっかりするけれど、衛生学という観点では面白い一冊。明治から昭和にかけての歴史の勉強にもなる。

 

ま、なかなか興味深い本だった。