「言志四録」(三) 言志晩録:12 人心の霊
佐藤一斎
川上正光全訳注
講談社学術文庫
1980年5月10日 第一刷発行
先日、『武士道』の話の中で出てきたので、久しぶりに「言志四録」を手に取った。前回の続きで、「12 人心の霊」。
12 人心の霊
「人心の霊、知有らざるなし」。只だ此の一知、即ち是れ霊光なり。嵐霧(らんむ)の指南と謂う可し。」
[訳文]
人の心の霊妙な動きは、何事でも知ろうと思えば、知らずにおかないことである。まことにこの知性こそは、人間を照らす不思議な光で会って、この光が人間の情欲を適当に指導するものということができる。
[語義]
人心之霊云々:大学章句本第5章、補伝に「蓋し(けだし)人心の霊、知あらざりなく、天下の物、理あらざるなし」とある。
指南:昔黄帝が蚩尤(しゆう)と戦ったとき、蚩尤が大霧をおこしたので兵士は皆進路に迷った。そこで、指南車を造り、四方を示し、ついに蚩尤を擒にしたという故事から指南は方向をさすこと、また指導すること。
なんだか、解釈が難しい。
でも、「人心の霊、知有らざるなし」に全てが詰まっている。
人の心は、知っている。
何が善くて、何が悪いのか。
だから、迷ったときには、まっさらな心の自分にもどって、判断せよ、ってことかな。
「指南」という言葉が、このような故事に由来するというのは、知らなかった。
霧の中でも、濃霧で前が見えなくなって、たとえ荒波にもまれても、行くべき道を示してくれるのは、己の素直な心、ということかな。
生きていると、いろいろな、邪念が・・・・。
知らず知らずのうちに、損得を考えているかもしれない。
もっと、素直に、まっさらに、素で自分の心の声を聞いてみよう。
頭の中がモヤモヤするときは、とにかく書き出してみるといいという。
その時も、高尚なことを書こうとするのではなく、原始的な心の欲求を書いてみるのが良いという。
実際、私も、裏書紙によく書いてみる。裏書紙って、要するにもう捨てるだけになった紙の裏が白紙なら、私はメモ用にとってあるのだが、要らない紙だからあとは、捨てるだけ。
ノートに書くより、捨てるだけの紙に書く方が、本当にくだらない。。。。ことでも書きやすくなる。だって、誰に見せるわけでもない。ただ、自分の心の吐露。
実際に文字にして書いてみると、「なぜなぜ分析」のように、モヤモヤの根源がみえてくる。
そこに、たぶん、裸の自分がいる。
そういう事をする時間も、大切。
「人心の霊」は、きっと、本当の自分も知っているはず。。。
素直。
謙虚。
大事にしたい文化。
新渡戸稲造に言わせれば、きっと、そうやって自分の心と向き合ったうえで、行動せよ、ってなるのだろう。思っているだけじゃダメ、行動せよ。その行動は、素の自分の心に順うものであるべき。行動は、身体をうごかすこと。現地に赴くことも一つだけれど、「書き残す」というのも、一つの行動。内村鑑三は、財などなさなくても「書物」を残すことも後世への贈りものになるといっている。
先日、ILOで長く仕事をされている方が、日本人は国際的にみれば「受信力」がつよくて「発信力」が弱いとおっしゃっていた。こうして、今の私たちが先人の知恵にふれられるのは、発信力がある人たちがいたということ。どんな偉人であっても、その人の書物が残っていないと、なかなか後世につたわらない。発信するのは大事だ。現代は、ネットもあって、だれでもいつでもなんでも発信できるけれど、情報があふれている分だけ、その情報の真偽も自分で判断しなくてはいけない。
情報があふれる社会だからこそ、自分の素の心と向き合う時間を確保することが、より大切になっているように思う。
発信、受信、
現代人は、忙しいねぇ。
技術革新で、生活は楽になったのか? 逆に、忙しくなったのか?
自分が本当に必要としていることを見極めるのって、実は難しい。
素になって考えてみよう。。。
