『武士道的一日一言』
新渡戸稲造
山本史郎 解釈
朝日新書
7年7月30日 第1刷発行
*本書は 大正4 年に 初版 刊行されたものです。 当時の表現をほぼ そのまま表記、解釈しているため 一部 場合により誤解を招くものがあります。
今月は、散々、新渡戸稲造に関する本を読んできたので、新渡戸稲造の著書に戻って読んでみたくなった。大正時代の知的 大ベストセラーだという、本書をポチってみた。
一日一言、まさに365日の日めくりカレンダーのように、言葉が並ぶ。なるほど、これなら、その日の言葉だけを読むのも楽しい。
表紙をめくると、袖には、
” えせものは 人の嘆きを喜びて 善きを聞いてはそねむなりけり
「 いいきみだ」というのは 他人の不幸を喜んで口にする言葉だ。
この言葉が湧き出してくる場所は、なんとなくせせこましく、不潔な泥がたまったどぶ穴だろう。
人を詛わば穴二つ、 ということわざがある。
人が禍にあえばよいと願う心は、そう思った瞬間に、すでに自分自身に禍を及ぼしている。そんなことにも気づかないのでは、頭の程度が幼児にもおとると言わねばならぬ。”
と。
序には、新渡戸稲造の言葉が。
” 日々 教訓になるような格言を聞いて、 その日1日の精神の糧とするのは とても良いことで、 外国では様々な形で行われている。 我が国でも、 近年 そのような本が少なからず出版されている。 私も数年前から、 自分の助けとなった格言を集めて皆さんと分かち合いたいと願っていたが、 その暇がなく実行に至らなかった。 ところが この秋 怪我をして湯治のため某所に滞在したところ、 はからずも ある青年の痛ましい経験を耳にし、 それをきっかけに 急に この本の執筆を決意した。・・・・・(中略)・・・・・・
1日分を声に出して 高らかに 読み上げてみても 1分とかからないはずだ。 これは皆さんが朝食後 仕事に行く前、すなわち 食卓を離れる直前に一人で読まれたり、あるいは家族みんなで読まれたりされることを願ってのことである。・・・・”
新渡戸が『武士道』を書いたのは、30代のアメリカでの療養中。本書を書いたのも湯治をきっかけにしてとのこと。人間、立ち止まる時間も大事ってことね。
目次
序
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
おわりに
とまぁ、、、シンプルな目次。
一気に読むのは味気ないので、今日は、9月27日を。実は、私の誕生日である。
9月27日 正道
商売にせよ、学問 研究にせよ、 会社づとめにせよ、 仲間同士の競争なので、負けると無念だが、あくまで正道を歩むことにおいて人に負けてはいないという自信さえあれば、負けても悔しくもなく、恥ずかしくもない。
明治天皇御製
並びゆく人にはよしや後る(おくる)とも
正しき道を 履みなたがへそ
*履みなたがへそ:踏み間違えるな
正しい道をいけ、と。
それは、、、、わかっている。正しい道をいくのが正しいと。
問題は、なにが正しい道なのか?ということ。
公にも私にも正しいこと、それが原理原則としての正しいことなのだろう。
だがしかし、では、私ができる「正しいこと」とは何なのか・・・。
50歳を過ぎてもまだ迷う。
孔子は言った。
”子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(のりをこえず)。”
私はまだ天命を知らない。
でも、もしかすると、これかもしれない、と思うことはある。
正しい道を、正しく進んでいる自信があれば、まだゴールに到達していなくても、不安になることはない。
私は、何かを達成した時より、これを目指そうと決心したときの方が気持ちが弾む。
今、目指しているものを、このまま進んでみよう。
でも、時々、これでいいのかな?このやり方でたどり着くのかな?と不安になる。
だから、人と話す。
人と話すことで、自分の頭の中も整理される。
意見をもらえるというのは、なんと幸せなことか。
肯定にせよ、否定にせよ、他の人の意見に耳を傾けるチャンスがあるというのは、ありがたいことなのだ。
さて、「正道」。
一日の小さなことも、正しい道か、自分に問い直してみよう。
やっぱり、一日のスタートは、掃除から・・・。
めんどくさい!ってなる前に、少ないものでシンプルに暮らそう。
増やすのは経験と知恵にしておこう。
お金は、DIE WITH ZEROで。
