映画 『Incendies』(2010) (邦題:『灼熱の魂』)

映画 『Incendies』(2010)
(『灼熱の魂』)
監督 Denis Villeneuve  ドゥニ・ヴィルヌーヴ 

 

2010年のカナダ映画レバノン生まれでカナダ・ケベック州に移住した劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲『焼け焦げるたましい(原題:Incendies、戦火)』(2003年) の映画化。

 

映画好きのスコティッシュの知り合いが、 ドゥニ・ベルヌーブ の作品だからと思って見てみたらすごく良かったから絶対に見てと言うので、 Amazon プライムで見てみようと思った。が、 無料版がなかった。シネフィルWOWOWで見ることができるので、とりあえず、無料体験版で加入。きっと、このまま、月会費を払い続けてしまいそうな気はするけど・・・・。 月額 390円なら まあいいか、、、。 と言って動画を見始めると、 本を読む時間がなくなるので、ほどほどで・・・。

 

ドゥニ・ベルヌーブは、映画『デューン砂の惑星の監督。デューンもすごくおもしろかったけれど、あれはSFの世界。

megureca.hatenablog.com

 

本作は、レバノンの内戦(1975年から1990年に、 断続的に発生)を背景に、一人の女性の運命が描かれた作品。ただ、映画では、レバノンではなく、中東の架空?の国。レバノンとは出てこないけれど、全編フランス語とアラビア語レバノンの方言)。

 

感想。
すごすぎる・・・・。
暴力の烈しさ、運命の烈しさ、、、
宗教的対立から始まった、内戦。身内同士ですら殺し合った内戦・・・そのさなか、難民として村にやってきた男性(ムスリム)と恋に落ちて、子供をやどした女性ナワル・マルワンキリスト教)の一生を描いた物語。

が、ただ、ナワルの一生が描かれるのではなく、物語の始まりは、ナワルがのこした双子の子どもたち、姉弟への遺言状から始まる。

 

以下、ネタバレあり。

ジャンヌへは、 父親をさがしてこの手紙を渡すように。
息子シモンへは、兄を探してこの手紙を渡すように。

二人は、20歳前後と思われる設定。

 

父親は死んだと聞かされていたし、兄なんて存在すら聞いたことが無かった二人。遺言状には、父と兄をさがして手紙を渡すまでは、自分の遺体は棺に入れずに裸で埋葬して、墓碑もたてるな、、、とあった。異常な遺言に、腹を立てて無視すればいいというシモン。だいたい、母は変わった人で、言動がふつうではなかったのだ。死んでまで自分たちに面倒をかけさせるなんて、と憤るシモン。だが、ナワルを秘書として雇い、親戚の様に親しくしてきた公証人ジャン・ルベルは、遺言状は 神聖なものであって 破ってはならないという。

そして、ジャンに手伝ってもらいながら、二人の父親、兄探しの旅が始まる。カナダから、中東への旅。

 

映画は、母の回想のシーンで、過去が明らかになっていく。

 

ムスリムの恋人はナワルの家族に射殺される。ナワルも射殺されるところだったが、祖母が止めに入る。が、ムスリムの子どもを産むというのは、一家の恥であり、ナワルは子供を産むとすぐに子供と引き離され、祖母の手配で都会に出て大学で学業に励むようになる。生まれた子供は、祖母がかかとに3つの黒い点の入れ墨をいれた。いつか、ナワルが自分の子どもと再会できる日を願って・・・。

 

叔父の元で大学生として生活していたナワルだが、内戦が激しくなり、 大学は閉鎖される。 ナワルは親戚が止めるのも聞かず、 息子が預けられているはずの クファルファットの孤児院へ向かう。が、 そこで見たのは すでに襲撃され 瓦礫となった施設だった。 息子の行方は知れず・・・。

その間、ナワルは、キリスト教徒によるムスリムの虐殺現場に出くわす。子供も容赦なく殺した奴ら・・・・。自分はキリスト教徒だと名乗り出たことで殺されずにすんだのだが、、、何の罪もない、無辜の人々が虐殺されるのを目の当たりにし、息子の孤児院が破壊されたのも 何もかもがこいつらのせいだと思ったナワルは、後に、政府の要人宅の家庭教師となり、その要人を射殺する。

 

そこから、ナワルの監獄生活。

ナワルは、どんな拷問にも耐えた。 辛い時には歌を歌った。 歌う女と呼ばれたナワルは、15年間も独房ですごすこととなった。

そしてその間の、最悪の拷問が凄腕拷問人アブ・タレクによるレイプだった。そして、監獄で子供を産んだ。

母の足跡を追っていたジャンヌとシモンは、母がレイプされて監獄で生んだ子供が兄 ニハド・ド・メ(5月のニハド)だとしって、その足跡を追う。

が、、、

「1+1=1って、ありえるか?」と、真実をしったシモンが呆然としてジャンヌに尋ねる?
「なにいっているの?」

「1+1=1って、ありえるか?」と繰り返すシモン。
驚愕・・・。

 

最後に明らかになったのは、母をレイプした男アブ・タレクこそが、母が生んだ息子、、、兄だったということ・・・・。

母がジャンヌと一緒にプールでくつろいでいた時、突然、心神喪失し、、そのまま死に至ったのは、プールでみつけた「かかとの3つの入れ墨」の持ち主が、監獄で自分をレイプした男だったことを知ってしまったから。

病床で、公証人ジャン・ルベルにそのことをあかし、遺言状を作成したのち、ナワルはなくなった。。。

 

映画の最後は、ジャンヌとシモンがカナダで暮らすニハドへ会いに行く。ニハドはニハド・ハルマニと名前を変え、バスの清掃員としてまっとうな仕事をして暮らしていた。そして、手紙を渡す。

 

アブ・タレクは、ずっと極悪人だったわけではなく、孤児院が襲撃された際、敵軍に拉致された子どもで、無理やり兵士に仕立て上げられ、凄腕狙撃手となっていたが、お母さんを探したいと言って軍を抜けたがっていた。が、さらに別の敵につかまり、戦い、拷問に執着するようになってしまったのだ。だが、最後に選んだ生活は、ニハド・ハルマニとして生きる道だった。。。

 

手紙を読んで驚愕するニハド。
レイプ犯である自分を責めているわけではない手紙。自分たちの子どもたちは美しいでしょ、と語る囚人番号72番、ナワル。
もう一通は、母として息子への手紙。
足の入れ墨で、私はあなたを認識することができた、と。
そして、「共にいる」ことが大事、と。。。

ニハドは、驚いて二人の姿を追おうとするが、もうそこには二人の姿はない。

 

最後は、無事に碑銘の刻まれた墓石のシーン。
1人の男の後姿が移っている。

あれは、だれなのだろうか?
顔は映らない。
観客が、それぞれに、それぞれのことを思って観るシーンなのだろう。

 

すごい、衝撃のストーリーだった。
しかし、母の故郷のシーンは、美しい。
砂と少しの緑と。。。。レバノンの風景なのだろう。
こんなに美しい自然の中で、人びとは血みどろのあらそいをした。
子どもも、女も、、、男も、、、、
宗教が違う、思想が違うということだけで、殺された・・・。

ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルハマスの戦いを思い浮かべずにはいられない。

 

私たちは、いつになったら戦いを辞められるのだろうか。。

あるいは、戦い続けるのが人類の宿命なのだろうか・・・・。

 

いやぁ、衝撃のお話だった。

でも、カメラワークも、俳優さんたちもいい。

スケールの大きなお話。

 

一回見ただけでは、つかみきれない詳細が、たくさんちりばめられているように思う。

映画も深い。