Mine!
How the Hidden Rules of Ownership Control Our Lives (2021)
私たちを支配する「所有」のルール
マイケル・ヘラー & ジェームズ・ザルツマン
村井章子訳
早川書房
2024年3月20日初版印刷
2024年3月25日初版発行
広告で見かけたか、何かで、気になったので、図書館で借りて読んでみた。
著者のマイケル・ヘラーは、コロンビア大学ロースクールのローレンス・A・ウィーン不動産法担当教授。所有権に関する世界的権威の1人。
ジェームズ・ザルツマンは、カルフォルニア大学ロサンゼルス校、ロースクールとカリフォルニア大学、サンタバーバラ校ブレン環境科学経営大学院で環境法学の特別教授を務める。
村井さんは、翻訳者。上智大学文学部卒業。主な役所にカーネマン他『NOISE』、カーネマン「ファスト&スロー」、ノーマン「アダム・スミス、共感の経済学」、ギャディス『大戦略論』以上、早川書房刊など。
私が面白いと思う翻訳本の多くは、村井さんの翻訳かもしれない。知らない間に、たくさんお世話になっている。
表紙は、なぜかケーキに群がるありの絵。ケーキは、誰のもの?ってことかな?
表紙をめくると、
”モノ、 サービス、 土地、 環境問題、 知的財産・・・・・ 世界は「所有」でできている!
ホームランボールは最初に触った人のものか、 それとも 最後に掴んだ人のもの?
座席のリクライニングはどこまで自由に倒せるのか?
行列代行が合法で、 転売が違法なのはなぜか?
ファストファッションが高級ブランドのデザインを真似ることはなぜ認められているのか?
ミッキーマウスの著作権が切れるとはどういうことか?
森をシェアすること(コモンズ)は可能か?
Kindleで購入した本はなぜあなたのものではないのか?”
とある。
たしかに、どの質問も、よく考えると、あれれ?って感じ。
目次
序章 誰が・何を・なぜ
第1章 遅いもの勝ち
第2章 占有は一分の勝ち
第3章 他人の蒔いた種を収穫する
第4章 私の家は私の城・・・ではない
第5章 私の体は私のもの・・・ではない
第6章 家族のものだから私のもの・・・ではない
第7章 所有権と世界の未来
終章 幼児の所有権ルール
感想。
ははは、、、なるほど、、、、面白い。が、しかし、、、事例や解釈の多くは、アメリカの話であって、日本では当てはまらないことがある。なので、途中からはさらっと読み。
一言で言ってしまえば、所有権なんて所詮人間が勝手に決めたものに過ぎない・・・。だけれど、現代社会においては、明確にしておかないとケンカの原因になり、国家間なら戦争の原因になる。自分たちで決めて、自分たちで争っている?
なんというか、微妙な気持ちになる一冊だった。
所有なんてしない方がいいものはたくさんある気がする。そして、人が所有したいと思うもが、自分が所有したいとおもうものとかぶらなければ、何も問題はおきないのだ・・・・。
所有権を争った事例で出てくるのが、 メジャーリーグの ホームランボール、 おばあちゃんの形見の ロッキングチェア、、、、もっとすごいのは、飛行機のエコノミークラスでリクライニングをした客とそれを阻んだ客という前後の客の争い。そんなもので裁判起こすか?!とおもうのだが、それがアメリカ・・・。なので、最初から、ちょっと引き気味に読んでしまう。それぞれの裁判でのそれらしい判決はあるものの、「そんなのどうでもいいじゃん」という気がしなくもない・・・。
要するに、「自分が所有者だ」という思い込みがあるから、争いが生じる。みんな、仲良くシェアすれば、、、ってわけにはいかないのが、人間社会らしい。
どの裁判も、裁判にかかる費用を考えれば、話し合いで解決するのが一番、” 裁判に訴える価値はまずない と肝に銘じること” だってさ。そりゃそうだ。
所有権というと大げさだけれど、自我がめざめた子供が頻繁に発するようになる言葉が、「それは私の物!」だといわれると、そうだ、そうなのだ。人は、自分と他人との境界をつくるときに、所有するということを覚え始めるのだ。
『星の王子様』にも、星を数えて「 私が最初に(所有することを)思いついたのだから 星は私のものだ」という 実業家が出てくる。
ひとは、なんでも自分の物にしたがる。。。そして、ひとたび自分の物となると、それを手放したくなくなる。 ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンとリチャード・セーラーのいう「授かり効果(endowment effect)」。コンサートチケット、貰ったチョコレート、記念品の企業名入りマグカップ、、、そのものがもつ「価格」「値段」ではなく、ひとたび自分の物にしたとたんに、手放したくなくなる。
そして、、、、がらくたが家に増える、、、というのは、我が家でも起きている・・・。
コンビニのお箸、おしぼり、、、使い道が無くても、貰ってしまうと捨てがたい・・・・。
と、人は、所有欲にまみれているのだ・・・・。
所有で争った最初の記録は、射止めたキツネが、最後に撃ったひとなのか、そのキツネを追い詰めた人なのか、、、。ホームランボールと同じように、最後に手にした人の物、というのが判例らしい。
「私には夢がある」の演説で有名なキング牧師だが、彼の演説の原稿は、 キング牧師の末息子 デクスターが経営する「キング社」にあり、映画などでその演説を使用するには、著作権料を支払わなければならないらしい。お父さんとちがって、末息子には利他というボキャブラリーが無かったらしい。お父さんが今の著作権にまつわる争いを聞いたら、、、情けない思いをすることだろう・・・。それは、道徳の話で、社会の仕組みとしては、その著作権という所有権がみとめられ、そこから富を得る人がいる。
最初に耕したひとの土地にしていい、っていうのは、日本もかつてあったけれど、アメリカの開拓時代は、ネイティブアメリカンの土地であって、かれらが所有しているという概念はなく、かってに自分たちの土地にした。それを描いたお話が、 ローラ・インガルス・ワイルダー、そう、少女ローラが登場する『 大草原の小さな家』(1935年)だ。小学生の頃、夢中になってTVドラマをみた。野性のなかでたくましく家族を守るローラのお父さんは、格好よかった。でも、彼は、 物語の中ではオーセージ族(ネイティブ)に を示す人として描かれているが、こんなセリフがあるそうだ。
「 白人入植者が入ってきたら インディアンは出て行くことになる。 だから私たちはここにいるんだよ、 ローラ。 白人はいずれこの国全体に住み着き、 最高の土地を手に入れる。 なぜならここに最初にやってきて、収穫をしたからだ。 わかったかい?」
狩猟をしていたオーセージ族には土地の所有権はなく、 耕して収穫をした人に所有権がある、それが、当時のアメリカだったのだ。
ウォルト・ディズニーもまた、所有権、著作権にこだわった人だった。なぜなら、勝手にキャラクターを使用されて大損をしたことがあるから。だから、ミッキーマウスは、ディズニーの所有物となり、保育園の壁につかわれたミッキーの壁紙ですら、裁判沙汰とした。この裁判のあと、ユニバーサルスタジオが、保育園の壁紙を無償で提供したとか、、、。
安い、広告費用だったことだろう。
ちなみに ミッキーマウスの著作権は2024年に失効することになっているらしい。まだ、その先どうなるか、不明。
そして、アイディアが所有物になるのか?という疑問が生じる。現在では、デザインだって意匠登録をすれば、財産だ。特許はもっとわかりやすい。でも、アイディアは、「もの」とは違って、いつ、だれが思いついたアイディアなのか、早い者勝ちを決めるのが難しい。そこで、アメリカは、「先発明主義」という考え方を導入する。
先発明主義派、後だしじゃんけんのように、だれかが届けた特許に対して、「私はもっと先にそのことを発明した!」といえば、権利が認められる、という仕組み。日本は、「先出願主義」だったが、グローバル化にともなって、それではアメリカに特許で勝てなくなった。そこで、日本の研究所では研究ノートが知的財産として超貴重な財産となった。そのごたごたは私が研究所で働いていた時代におおきな影響を及ぼした。今からおもえば、あほらしくなるほど、ノートのページごとに発明者、承認者の日付入りサイが求められ、その管理をするだけでどれだけの労働力が奪われたことか・・・・。アメリカは、2013年に、先発明主義とりやめとなった。だけど、研究ノート管理をなかなかやめなかった日本人。。。まじめというのか、、、まぬけというのか、、、、。
所有権をめぐって、他国のことだと笑っていられないこともある、とうこと。
kindleの本も、ある日突然kindleがやーめた、といって、読めなくなるかもしれない。紙の書籍と違って、デジタル媒体というのは、常にそういうリスクがある。
この、ブログだって、「はてな」にやーめた、っていわれちゃったら、なくなっちゃうのだ。怖い怖い。でも、まぁ、、これまでのブログが消えたからと言って、私が消えるわけではない・・・・。
ちなみに、Googleでは、Google Bookっていうのもあるらしい。 知らなかった。 1920年代以前に発売された全ての書籍(著作権が切れている)が対象で 全文検索サービスができるらしい。あればいいのに、、と思っていたサービスは、アメリカにはあった。日本語の本はないだろうな・・・。
著作権は、 作った人の権利は守るけれど、 場合によっては 文化の発展に妨げになることがあるかもしれない。
いっぽう、 ファッション業界では そのデザインに 所有権はない そうだ。だから ZARA や H & M を含め グローバルに展開する ファストファッションは、 話題の商品を素早く コピーして安く売るという ビジネスモデルで成り立っている。なるほど。
土地の地下資源に関する所有権のルールは、国によって様々。地下資源には水も含まれる。アメリカでは、水のボトリング工場ができて、周辺で農業を営んでいた人たちが水不足で経営難に陥る、という事態が発生したことがあるそうだ。そりゃ、水はだれのものか!と問題になるわけだ。日本で、水の権利の取り合いというのは聞いたことが無い。なぜなら、日本を含め、世界の142の国は、地下資源は公共の富の一部であり国家のもの、としているからだそうだ。
自分の身体は、自分のものだから、勝手に切ったりハッタリ、売買できるか?多くの国では臓器の売買は違法。イランでは、合法。それによって、イランでは腎臓移植待ちで死ぬ患者はゼロだとか。。。
さて?どう思う?
卵子は?精子は?
国によっては高値で売買されているという事実。
生化学の世界では、あまりにも有名なヒーラ細胞。ヒーラというある女性癌患者から取り出した細胞を ジョンズ・ホプキンス大学は無断で実験用に増やした。それは、生化学、医学の世界に大きな発展をもたらした。でも、本人は、自分の細胞がかってに実験室で増えているなんて、しらなかったのだ・・・。ヒーラ細胞は、だれのもの???私もお世話になった、ヒーラ細胞。
代理母出産した女性の権利は?
『大草原の小さな家』だけでなく、『 ダウントン・アビー』『 高慢と偏見』など、様々な小説やドラマは、所有権の歴史の中にある。財産相続に所有権という概念が無ければ、『 ダウントン・アビー』『 高慢と偏見』も、物語として成立しない。
京都議定書で定めたCER(Certified Emission Reduction)も、排出の権利。が、それを逆手に取った利己のビジネスが生まれているという事実。中国とインドの冷蔵庫等の冷媒メーカーは、トリフルオロメタンを作っては破壊して、巨額の富を築いている。まちがっていないか?
とまぁ、多岐にわたる所有のルール。ルールは人間がつくったもので、この先変わる可能性もある。
面白い一冊ではあった。そして、人間て愚かだな、、、とも思う一冊。臓器売買も、卵子売買も、、、それで幸せになる人がいて、搾取されたとおもう被害者がいないなら、それでいいのかもしれない。。。。。けどなぁ、、、、微妙。
ひとつだけ、個人的実感としてい言えることがある。
所有権なんかに執着しなければ、もっと生きやすくなる。
物も、人間関係も、、、、
大事にするというのと、所有に執着するのは、違うと思う。
何が大事かを、自分の頭で考えよう。
読書は、楽しい。