『アショーカ王伝』 by 定方晟(さだかたあきら)

アショーカ王
定方晟(さだかたあきら)
ちくま学芸文庫
2024年10月10日 第1刷発行
*本書は 1982年1月10日法蔵館より刊行された。

 

図書館で新着図書の棚にあったので 手に取ってみた。 アショーカ王って、 きいたことはあるような気がするけれど、、、 裏の説明を見るとどうやら 仏教に関連する古い時代のインドの人の様子。まぁ、ちょっとよんでみるか、、、と、借りてみた。

 

裏の説明には、

インド亜大陸のほぼすべての地を統一したマウリヤ朝第三代の王・アショーカ。ダルマ(法)による政治を行い、八万四千におよぶ塔の建立、五年大会の開催など、仏教の守護者として歴史的に名高い。本書は、その生涯をサンスクリット原典から訳出。王はいかにして熱烈な仏教徒となったのか──。家族をめぐる劇的な出来事をはじめ、伝記は興味深い逸話に満ちている。古代インドにおける仏教徒の世界観や人生観が王の行跡から垣間見えるとともに、凡夫の煩悩を持ちながら聖なる世界を希求したアショーカの姿は、現代を生きるわれわれを引きつけてやまない。巻末には本書をめぐる詳細な解説を付す。”とある。

 

パラパラとめくってみると、番号が付いた歌、詩?のようなモノがたくさん掲載されている。そして、注釈と解説で結構なボリューム。まさに、サンスクリットの原典を、現代日本語に訳してくれているという、なんともありがたいというのか、貴重な本、、、と思われる。

 

著者の定方さんは、 1936年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学大学院印度哲学博士課程修了。文学博士。 東海大学教授、東京大学非常勤講師などを経て 現在東海大学名誉教授。

インド哲学の専門家って、珍しい? 現在、88歳、ご健在の様子。

 

目次
まえがき
1 土くれの布施
2 太子選定
3 残忍アショーカ
4 八万四千の塔
5 ウパグプタとの会見
6 仏跡巡拝
7 菩提樹供養と五年大会
8 クナーラ王子の悲劇
9 ヴィータショーカの出家
10 半アーマラカ果の布施


解説
付録 「アショーカ王伝」と「ヨサファット物語」
ちくま学芸文庫版へのあとがき
固有名詞索引

 

感想。
へぇ、、、 アショーカ王って、そんなにすごい人だったんだ。。
と、面白い本ではあるけれど、読み始めると、難しいというか、なんだこれは??という感じ。これは、わけわからん、と思って、後ろの解説から先に読んだ。

 

アショーカ王伝は、本人が書いたものではなくて、後の人が書いた伝記のようなものらしい。それを定方さんが翻訳した。アショーカ王は、紀元前3世紀ごろインド大陸を統一したマウリヤ朝の三代王。森鴎外『阿育王事跡』いう本を出すほど、興味をもった人。

解説では、マウリヤ朝ができるまでの背景や、アレクサンドロス大王ペルシャ征服からヘレニズム文化の流れの影響をうけていることなども含め、当時の背景が解説されている。

その時代の、アショーカ王の生い立ちや、仏教に目覚めるまでのお話が、アショーカ王伝。なんというか、神話っぽいというは、古事記に通じるものがあるというか、、、結構、むちゃくちゃな逸話がでてくる。

 

アショーカ王は、マウリヤ朝2代王ビンピサーラの息子としてうまれる。弟もいたが、アショーカが第三代王をつぐ。が、アショーカは、最初から王になれるような気質があったわけではなく、結構、乱暴ものだった。が、あるとき、釈迦が生まれたところ、悟りを開いたところ、、、などなどを訪問する機会を得て、改心する。菩薩は、6年も苦行したけれど、悟りを得ることはできず、ただ体力を落としていった。それを救ったのは、ナンダー。ナンダーバラという娘たちにもらった蜜乳のお布施。それを知ったアショーカは、苦行よりお布施を重要視した。

それからは、たくさんのお布施をし、インドに8塔しかなかった仏塔を8万4千までふやした。自分の子孫へ財産を残すことなく、仏教の世界へすべてを投じた。

 

ちなみに、ナンダーという名前、インドでは釈迦を救った実にありがたい名前ということなんだろう。通訳の仕事で、インド人で、ナンダーさんという名前を何回か聞いたことがあったのだけれど、あの人は、そういう名前の持ち主だったんだ・・・・。

 

アショーカ王には、クナーラという息子がいた。でも、後妻?のティシュアラクシナーはクナーラを忌み嫌って、最後には目玉をほじくってしまう。なんて話だ!!

 

他にも、アショーカ王が病気で苦しんでいるとき、同じように苦しむ農民をさがしだして、 ティシュアラクシナーは、その人を解剖し、お腹のなかに虫を見つける。その病気は口から糞がでた。虫がお腹の中で動いて、糞の行き場がなくなると糞が口からでるのだ。王のお腹にもわるい虫がいるに違いないと思って、虫下しを飲ませる。黒コショウ、ショウガ、、、でも効かない。そこで、ネギを試してみる。アショーカは、そんな下民が口をするものは食べたくないというのだが、病気を治すためだと説得されて、ネギをたべる。すると、病気は治った。

なんというか、このえげつなさ、『古事記』とにていないか???

とまぁ、、、そんなへんなところだけが読んだ後に、頭にのこった。

 

アショーカ王は、ブッダの次に大事な仏教の守護者ということらしい。たくさんの石柱が発見されていて、アショーカ王のたてた石柱には、その上に動物が乗っている。表紙の写真もアショーカ石柱の柱頭。(インド・サールナート考古学博物館蔵)。

 

それは、不殺生を大事にしたアショーカ王のシンボル。アショーカ王は、14章からなるルールを作った。不殺生は、その中でも大事にした一つだった。また、他の宗教を非難してはいけない、ということも書かれていた。

幼い時は、乱暴者で残忍だったアショーカが、ブッダの伝説とであって改心し、仏教に傾倒していったというお話だった。

 

さて、私は、これまでにいつアシューカ王という言葉に出会ったのだろう?過去に読んだ本で思い当たるものをさがしてみた。

 

出口治明さんの『哲学と宗教全史』には、ちょっとだけでてきた。「 第6章(3)ヘレニズム時代に 旧約聖書が完成してユダヤ教が始まった。」のなかで、インドの仏教教団分裂のはなしがあり、その最後にちょっとだけ。

”なお、インドで初めてインダス川ガンジス川にまたがる大帝国を作ったマウリヤ朝3代目のアショーカ王 (在位 BC 268頃~ BC232頃)の時代に、彼が積極的に仏教の教義を政治の指針としたため、仏教が大いに発展し、 第 3 回目の 仏典結集が行われたと伝えられていますが、これは仏教教団側の宣伝の可能性が高く、史実かどうかは定かではありません”

だって。 

 

アショーカ王、私には謎は多いけど、古事記に出てくる天皇みたいな感じかな。ちょっと、面白かった。

 

読書は、楽しい。