『クリスマスの幽霊』
ロバート ウェストール 作
ジョン・ロレンス 絵
坂崎麻子・ 光野多惠子 訳
徳間書店
2005年9月30日 初版発行
The Christmas Ghost (1992)
図書館の児童書のコーナーで「クリスマス」の文字が目に入った。まぁ季節ものだし、クリスマスの本でも読んでみるかと思って借りてみた。
絵本というかんじではないけれど、絵もいっぱい。表紙の絵も、いかにも外国の町を歩いている一人の少年で、海外の児童書っぽい。表紙の少年は、主人公の「ぼく」だろう。
著者の ロバート・ ウェストールは、 1929~1993、 イギリス・ノーサンバーランドに生まれる。ノーサンバーランドは、ロンドンから北450Kmくらいの州。グラスゴーの方が近い場所。美術教師として教える傍ら、一人息子のために書いた処女作『”機関銃要塞”の少年たち』で作家デビュー。カーネギー賞を2回受賞。『海辺の王国』は「児童文学の古典として残る作品」と評された。
本書は、徳間書店の児童書 とびらのむこうに別世界、というシリーズの一冊。
表紙をひらくと、おはなしの紹介。
” クリスマス・イブ、 雪のふりつもった 美しい街をとおって、ぼくは、 お父さんが働いている工場へおつかいに行った。 すると、 エレベーターの中で、 不思議なものを見た・・・
壁の鏡に、 サンタクロース みたいなおじさんの顔が映ったのに、ふり返ってみたら 他には誰も乗っていなかった。ぼくが、 何の気なしにその話をすると父さんと仲間の人たちの顔色が変わった。 エレベーターには工場を始めたオットーという老人の幽霊が出る。 誰かがオットーを見ると、その日、工場で事故が起こったり、死人が出る、というのだ。 どうしよう、 今日、 事故にあうのが、 父さんだったら・・・?
1930年代のイギリスの小さな町を舞台に、 男の子の冒険と、 父と息子の絆を描いた、 心に残るクリスマスの物語。 作者 ウエストールの回想記を併録。”
もくじ
クリスマスの幽霊
1 クリスマス・イブ
2 オットーの国
3 エレベーター
4 黒い未亡人
5 もう一度
6 クリスマスまであと5分
幼い頃の思い出
島
油まみれの 魔法使い
訳者あとがき
感想。
なるほど。。。これは、、、深いぞ・・・。
1930年代、イギリスの北の町。第一次世界大戦後。物語としては、サンタクロースを信じている年齢の男の子が、幽霊に教えられて、事故を未然に防いでお父さんやその仲間を救った、というファンタジー。でも、出てくる描写には、ドイツ狙撃手の顔とか、戦争で夫を失った未亡人とか、駆逐艦みたいに、、、とか、戦争を彷彿させる暗い影がおちている。
そして、町の男たちは、オットーという男がみんなの反対を押し切って建設した工場で働いている。オットーはユダヤ人。60年前に建てられた工場は、「エンパイア化学」という会社の工場だったけれど、みんなは、「オットーんところ」と呼んだ。
当時のユダヤ人のおかれていた環境は、どうだったのか・・・。物語でのオットーの立ち位置は、町に「ソーダ石灰と炭酸ナトリウム」をつくる危険な工場をたてたヤツ。当時使用されていたルブラン法という製法で生産すると、空気は酸性の緑の煙で汚染され、周りじゅう何キロも草や木が枯れる。だから、みんな反対した。町の人たちはオットーにつらく当たった。犬の糞をなげつけたり、注文した部品が無くなったり。
そんなとき、ボイラーが破裂して作業員3人が熱湯をあびて死んだ。オットーは眠れなくなった。毎日作業現場を歩き回った。
でもそのあと、なにもかもがうまくいき始める。オットーが使ったのはソルベイ法といって、空気をよごさず、害も出ない方法だった。工場は、たくさんお金をかせいだ。
オットーは、町のためにできるだけのことをした。労働者に、町で最初に有給休暇を与えた。公立図書館、公共浴場、機械工の養成所、生活協同組合の店、グラマースクールの新校舎。オットーは、金をだした。戦後不況で失業者が増えた時も、オットーの工場がある町は、そんなひどいことにはならなかった。
ぼくのお父さんは、オットーのことを悪くは言わなかった。「みんなのために生きた男」。
そのオットーは、今ではもう死んでいる。そして、オットーの死後、自宅で使用していたエレベーターが工場に移設されて、作業員はそのエレベーターを使用して上り下りするようになっていた。
クリスマス・イブのある日、クリスマスを心待ちにしていたぼくは、お母さんにいわれてお父さんの忘れ物のお弁当を届けに工場へお使いする。
そこで、守衛さんの目をかいくぐって工場のなかまで入り、オットーのエレベーターに乗る。そこで、サンタクロースのようなおじいさんを見た。作業員たちは、オットーの幽霊だという。そして今日なにか良くない事故が起こるのではないか、、、と。
無事にお父さんにお弁当をわたし、自宅に帰る途中、ぼくは考えた。事故でお父さんが死んだら、お母さんが未亡人になっちゃう。お母さんを、あの死んだような顔をしている未亡人たちの仲間入りはさせたくない。
ぼくは、工場へ引き返して、もう一度工場へもぐりこむ。そして、エレベーターにのって、オットーの姿をさがす。でも、姿がみえない。
「ねぇ!さっさとしてくれよ!時間がないんだ!」
すると、突然、オットーの姿が現れた。じっと古ぼけたオットーがエレベーターの隅に現れた。こわくはない。でも、その顔は苦し気で、もういちど死んでしまいそうだった。。。
「どこなの? どこが、あぶ・・・・」
オットーは、右を向いて、粉砕棟のひとすみを、はっきりと目でさした。あえぐばかりで、口はきけないらしい。
そして、胸のところで両手を交差させ、斜めにふりおろした。Xの字を書くみたいに。
オットーは、最後の力を振り絞ったように、本当に死に始めた。
エレベーターがてっぺんについたときには、オットーの姿はなくなっていた。
ぼくは、オットーが告げたことを、作業員に告げる。
「X型の柱のことだ! あれがやられたらみんなおだぶつだ!!」
そして、みんなは急いで逃げる。お父さんは、ちょうど、そのX型の柱を点検していた。それは、コンクリートがボロボロになって、鉄の芯がぐずぐずになっていた。
お父さんはさけんだ。
「みんなをここから出せ!」
みんな、無事に避難して難をのがれる。
ぼくとお父さんも、無事にクリスマス・イブの夜を自宅ですごす。
最後は、お父さんがオットーのはなしをしてくれる。
「はじめに、三人がやけどで死んだ事故から、オットーは最後までたちなおれなかった。気がとがめて、しかたがなかったんだ。それからは、どんなにお金がもうかっても、オットーはしあわせにはなれなかった。あの人は、あの人なりにいいひとだった。自分の信念どおりに生きた。」
そして、クリスマス・イブの幸せそうなぼくとお父さんの姿で物語は終わる。
う~~ん、これは、深いぞ。
これは、、、クリスマスの親子の話ではなく、ユダヤ人の話だ。工場での死亡事故を二度と起こしたくないと奮闘しつづけた、ユダヤ人の話だ。幽霊になってでもみんなを守ろうとした、ユダヤ人の話だ。あくまでも、僕とお父さんのクリスマスイブのおはなしなのだけれど、オットーのことがたくさん語られる。オットーのことをこの親子に語らせたお話、と読める。
当時の製造現場における社会問題を描いた物語、という印象の方が、私には強い。
産業の発展と、それに続く公害、労働災害。。。そういう過去に学んで、現在の公害防止や労働安全衛生という概念ができた。
死亡災害がおきた工場が、それから立ち直るのにどれほどの苦労をするか・・・。重大災害もそうだ。。。その工場だけじゃない。たった一つの気のゆるみが、製造現場では重大事故につながる可能性がある。だから、「安全第一」なのだ。工場マネジメントを仕事にしてきた私には、身につまされる物語だ。
クリスマス物語のつもりで借りたけれど、「安全第一」教訓bookのように思える。そして、何人であっても、人の命を大事にする思いはかわらないということ。
オットーがユダヤ人であったという設定が、作者が何をつたえたかったかということに、一つの意味を持たせているように思う。
これが、物語の設定が日本の工場で、工場を立てたのが中国人エリートビジネスマンだとしたらどうだろうか。。。。。
訳者あとがきによると、ウェストールの父親は工場ではたらく職人長で、幼いころのウェスト―ルは父を崇拝するようにして育った。1958年、29歳で結婚。一人息子クリストファーが誕生。クマのプーさんを読んで育ったのだろうか。そして、息子のために書いた『”機関銃要塞”の少年たち』でカーネギー賞を受賞し、作家として幸運なスタート。が、一人息子のクリストファーは、18歳で事故死。以後、妻は精神的に不安定になって回復せず。数年後には、両親も亡くなる。そして、25年間教えてきた美術学校を退職して、作家活動に専念。93年、63歳で亡くなる。本作は、死ぬ一年前の作品ということ。
なかなか、心に残る一冊だった。イギリスのクリスマスの風景は、ちょっとノスタルジー。いつもの食卓に、白いテーブルクロス、ミンスパイ、ブドウ酒のグラス、ケーキをアイシングで飾る、、、。クリスマスのプレゼントには、ちょっと重いお話かもしれないけど、人を思うオットーの優しさは、暖かい。
彼の、『海辺の王国』も読んでみたい。