『スマートシティはなぜ失敗するのか 都市の人類学』 by  シャノン・マターン

スマートシティはなぜ失敗するのか
都市の人類学
シャノン・マターン
依田光江 訳
早川書房
2024年10月20日 初版印刷
2024年10月25日 初版発行
A CITY IS NOT A COMPUTER (2021)

 

日経新聞2025年1月4日の朝刊書評で、 紹介されていた本。
記事では、
”本書は現状の捉え直しに止まらず、都市をいかに集合知によって設計していくか、という課題に取り組もうとする。著者は、ニューヨークの地下鉄車庫上空の人工地盤にテック系企業群を集めた「ハドソン・ヤード」よりも、新しい公共の知のセンターとして地域に分散配置された公共図書館にスマートシティの可能性を見出す。都市を理解するための新しいデータを作り出す場所こそが重要であるというわけである。”とあった。(一部抜粋)

タイトルも気になったので、図書館で借りて読んでみた。

 

著者の シャノン・マターンは、 1976年生まれ。ニューヨーク大学博士課程修了(文化・コミュニケーション学)。ニュースクール大学教授(人類学・メディア研究)などを経て、現在はペンシルベニア大学学長特命教授(メディア研究・美術史)。専門分野はメディア・アーキテクチャー、情報インフラストラクチャー、都市技術など。図書館、空間認識、建築、アーバニズム、ランドスケープなどに関する記事を多数寄稿。ニューヨーク在住。

 

表紙裏の内容紹介には、
”AIやIoT、 データ分析を活用し都市機能の効率化・ 高度化をはかるという触れ込みの「 スマートシティ」構想。その陥穽を、デジタル先進地アメリカの人類学者が指摘する。 都市はコンピューターではないーー 公共の地を担う図書館、医療の現場や 都心インフラを支えるケアや修繕、 そして木々や自然など、IT化の中で見落とされがちなものにこそ「 都市の知性」は宿るのだ。 都市という「ツリー」への「接ぎ木」として街の歴史やつながりをとらえなおすことで、都市論に新たな地平を拓く一冊。”とある。

 

目次
序章 都市とツリーとアルゴリズム
第一章 都市のコンソール
第二章 都市はコンピューターではない
第三章 公共の知
第四章 メンテナンス作法
終章 プラットフォームと接ぎ木と樹上の知性

 

感想。
なるほど。結構、壮大な話を書いている。ちょっと、広範囲にわたりすぎていて、わかりにくい。というか、邦題が誤解を読む。書評を読み返してみると、日経の記事にも、冒頭に
”スマートシティの議論というと、薔薇色の未来都市(ユートピア)か、権力によって監視される管理社会(ディストピア)かのいずれかと思いきや、そのどちらでもない、とても現実的な都市の将来像を議論しようとする書であった。”とあった。

 

直訳で、「都市はコンピュータではない」の方が、よっぽどわかりやすい。

都市論という学問はよく知らないけれど、要するに安全で住みやすい都市をつくろうというときに、AIやIoTを活用してもだめだ、って話。


著者の主張を3つに絞ると
1 ビッグデータで都市を管理しようとしても、データ収集・活用によっては恣意的に陥る可能性がある。
2 都市は、代々の歴史の上に築かれてきたもので、表層だけを管理しようとしても永続的な都市にはならない。
3 ケア、補修、修繕によって今あるものを大事にすることこそ都市の新しい歴史をつくる。

 

と、だいぶ、表現は私の理解で飛躍させてしまったけれど、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン 森の生活『孤独の愉しみ方』を思い出させるような、自然への回帰、アナログな感じがある。

megureca.hatenablog.com

 

原題の「都市はコンピューターではない」というのは、1960年代の建築家、 クリストファー・ アレグザンダーの『 都市はツリーではない』のもじりらしい。アレグザンダーは、都市は複雑に様々な要素が重なり合ったセミラティス(網目状構造)であって、簡単なツリー構造ではない、ということ。

 

ロジックツリーとか、物事をツリーに見立てて単純化するというのは、問題解析でよく使われる手法だけれど、都市は、そんな単純なものではない、という話。本書も、表層的な開発では都市は守れない、という主張のように思う。

 

テック企業が活躍するプラットフォームやインフラだけではだめで、もっとアナログな様々な要素が絡み合うのが都市。だから、図書館などの公共施設を、都市をケアするために活用してはどうかという提案。図書館活用説は、面白い!たしかに、高齢者の利用者の見守りにも使えるかもしれない。私もいずれ、図書館に見守ってほしい。

 

序章が結構長く語られていて、これまでに都市はどういうものとして考えられてきたか、都市論、そして、本書で何を述べるのかを綴っている。頑張って描いているんだけれど、ちょっと、、、、わかりにくかった。すべては、日本語タイトルが不似合いなのだ、、、。「都市はコンピューターではない」というタイトルの本だと思って読むと、ずっとわかりやすい・・・。

 

具体的にテック系企業の推進で計画された監視管理都市が、とん挫している事例が挙げられている。COVIDによる人の流れが途絶えたことだけがとん挫の理由ではなさそうだ。デジタルで収取するデータしかデジタルではモニターできない。人の活動の大半は、デジタルで計測できない。。。

演劇や芸術といったものも、都市をつくる要素であるけれど、デジタルで記録管理できるのはその表層だけ。そして、社会的弱者の活動ほど、ビッグデータ収集の対象となりにくい、という落とし穴。

 

アメリカでの公共図書館のありようは、日本の図書館とはちょっとちがうかもしれないけれど、図書館を様々な機能が統合されたインフラとして、建築、技術、社会、知識、倫理、、、あらゆる面でももっと活用しよう、という話は興味深い。

 

最近、私が利用する図書館の一つは、カウンターに座る人たち(利用者と接する人たち)が、「私たちは業務委託社員です」とデカデカと書いたカウンターに座り、ホスピタリティも、図書員プロフェッショナルも、ほとんど感じられない人たちに変わった。このコミュニティの図書館はおわってるな、、、と思った。


一方で、別の図書館(別の地域)は、地域に広く開かれ、どんどん使いやすく、過ごしやすい図書館になっている。こう言っては何だが、双方のインテリジェンスの違いを感じる。

ケアを感じる図書館と、感じられない図書館。どっちが都市に貢献する図書館か。いうまでもないだろう。

 

アメリカで、具体的に図書館がパンデミック中に、 高齢の利用者の自宅に電話をかけて安否を確認したり、図書館の建物を食事の配布センターや パンデミックの最前線で働く人の子供を世話するセンターとして活用するところもあったそうだ。

日本にそんなところがあったろうか???私は知らない。

 

都市論の本ではあったけれど、「図書館を社会インフラとして」もっと活用するという提案が興味深かった。

「本」を中心に人が集まるって、素敵だなぁ、と思う。

 

余談だが、、、2024年の秋、小千谷市に新しい「ひと・まち・文化共創拠点ホントカ。」という図書館がオープンした。ご縁あって、オープン前に宮崎市長にご案内いただいた。まさに、地域のための図書館で、雪国らしく建物内に子どもの遊び場もあり、建築も素敵で、こんな図書館がある町なら、引っ越してきてもいいと思うくらいだった。図書館好きなら、見学に行くのも楽しいかも。雪室を利用した冷却施設、併設カフェ、郷土の資料室、ものづくりの体験室、、、。お薦め。

オープンまじかの小千谷市「ひと・まち・文化共創拠点ホントカ。」(2024年9月)

図書館等複合施設整備事業 - 小千谷市ホームページ

 

他、内容的には、「脱成長」とかいっていたり、ジェンダー不平等社会が置き去りにされている感じもして、ちょっと、ちがうかな、、、という気がするところもあったけれど、都市の「ケア」が必要という主張は、共感する。

 

創造的であるということは、同時に保守・ケアも必要であることを改めて気づかせてくれる。日本の戦後復興時に整えられた公共インフラも老朽化が問題となっている。つくるだけでなく、メンテナンスが重要。それは、ITにはできない。

 

自分自身の健康メンテナンスも、ITにはできない。行動するのは自分。やはり、生身の人間が最も大事なのだ。

 

自然との共生こそが都市が目指すべきもののように思う。私が火星移住にまったく興味がわかないのは、作られた都市であるからかもしれない。

 

土と共に生きる方が私はいい。