『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学』 by  ニック・チェイター

心はこうして創られる
「即興する脳」の心理学
ニック・チェイター
高橋達二・長谷川珈 訳
講談社 
2022年7月12日 第1刷発行
THE MIND IS FLAT (2018) 

 

先日、村松大輔『現象が一変する 「量子力学的」パラレルワールドの法則』や、田坂広志著『死は存在しない 最先端量子科学 が示す新たな仮説』を話題にしていたなかで、ある人が紹介してくださったのが、本書の著者、ニック・チェイターによる「心」の解釈だった。

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紹介してくれた人によれば、
”日本人は、全てが混沌の中から生まれてきたという神話を持っていることから、なんとなく死ねばご先祖様と一緒になるという感覚を持っている者がほとんどだと考えられる。そのような感覚を持つ日本人にとっては「自我」というのは「ナンセンス」な概念なのだ。ニック・チェイターによれば、『人格とはその人独自の過去の経験、思考や言動の積み重ねの歴史で、人は常に自分自身を作り、また作り直している。私たちの生き方と社会を構築するのは、本来的に終わりのない、創造的な過程である。何をもって自分の意思決定や行動の基準とするかということ自体も、その同じ創造的過程の一部なのだ。つまり人生とは自分たちで遊び、自分たちでルールを創作し、点数をつけるのも自分たちであるようなゲームなのだ』”
ということ。

 

ニック・チェイターのもう一つの著書も、紹介いただいた。それは、前に読んでいた『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム

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どちらも2022年邦訳出版だけれど、本書の方がちょっと早い。こちらも読んでみようと思って、図書館で借りて読んでみた。

 

著者のニック・チェイター(Nick Chater)はウォーリック大学経営大学院教授。 同大学行動科学グループを設立。 英国行動インサイト・ チーム( 通称 ナッジ・ユニット) 諮問委員。 英国気候変動委員会メンバー、認知科学協会フェロー、英国学士院フェロー。

講談社選書メチエの一冊。


裏の紹介文には、
” 無意識の思考、深層心理、内的世界・・・・・ そんなものは存在しない。記憶の中の光景も、政治的信念も、あの人を見た時のときめきも、すべては脳の即興=瞬間的にでっち上げているものだった!
 最新の神経科学 や認知心理学研究による、常識を揺るがすような実験結果の数々で、私たちの「心」の理解を刷新する、超刺激的論考!”
とある。


目次
序章 文学の深さ、心の浅さ
第一部 心の深みという錯覚
 第一章 でっち上げる力
 第二章 現実という実感
 第三章 インチキの解剖学
 第四章 移り気な想像力
 第五章 感情の創作
 第六章 選んだ理由の捏造
第二部 即興が「心」を作る
 第七章 思考のサイクル
 第八章 意識の経路の狭さ
 第九章 無意識的思考という神話
 第十章 意識の境界
 第十一章 原理ではなく前例
 第十二章 知性の秘密
終章 自分を創り直す
訳者解説
索引

 

感想。
なるほどぉ!ちょっと難しいような気もするけれど、わりと読みやすい。面白い。

 

ざっぱにまとめると、第一部で、様々な実験をもとに、「深淵なる心」なんてものはなくて、外界からの知覚によって脳が即興しているだけだという話。第二部では、外界からの知覚によって始まる「思考のサイクル」が説明され、 無意識的思考やフロイトのいう深層心理は否定される。そして、終章では、「深淵なる心」がないとしても、 私たちの脳には 途方もない即興能力、創造力があるのだということ。

 

へぇ、、なるほど、、、。私は、深層心理とか、カーネマンの『ファスト&スロー』を支持したい派ではあるけれど、第一部で取り上げられている数々の実験結果を言われてみると、そうか、確かに、心に確固たるものなんてなくて、即興しているだけかもしれない、とも思えてくる。

 

人は、一度に一つのことしか認知できない、知覚できない、というのは本書にでてくる実験を自分でも試してみると、確かにそうかも、、、と思える。聴覚や視覚も、一度に認知できるのは一つだけだ、、、と。

 

夜、窓ガラスに映る部屋の風景と、外の風景を重ねてみることもできるけれど、どちらかに焦点が合っていて、どちらかはボヤッとしているはずだと。つまりは、目に入る室内の景色を無視して、ガラス越しの外の景色を眺めることができる。

本を読むときも、今読んでいる文字以外はボヤッとしているはずだ、、と。

 

私は、フォトリーディングの手法を習ったことがあるのだけれど、確かに、音に変換しながら読むのと、フォトリーディングでは、脳の使い方、視覚の使い方が全然違う。フォトリーディングの方が集中力を要求される。集中している分、他の知覚には意識がいかなくなる。

 

住職の説法を聞きながら、足がしびれてくると、足の痛み以外感じられなくなるのと一緒か??!

 

人間は、一時には一つのことしか考えられない。そして、その反応は、外界からの知覚によって想起される。問われるから、考える。従来からの自分の原理原則などというものも無くて、あるのは、その人の過去の経験だというのだ。

過去の歴史が、原理原則になっている、という言い方もできる気はするけれど、、、。

 

本書の中で紹介される様々な実験は、原理原則ではないことを証明している。要するに、不合理なのだ。ダン・アリエリーの『予想通りに不合理』という、私の大好きな本があるのだが、行動経済学の初期の本で、様々な人間の不合理な行動が紹介されるけれども、すべては「脳が即興している」といえは、そうかもしれない、と思った。

 

心はどこにあるの?脳はどこにあるの?
科学の永遠の謎かと思っていたけれど、いってしまえば、心なんてなくって、脳の即興。。。


たしかに、とっさに答えにつまる質問をされたときとか、すごい勢いで脳が答えを即興しようとしている気がする。で、心にもない、、、と後から思うようなことを口走ったり、、、。そう、心なんてない、、、っていっちゃえばそうかも?!?!

 

ただ、本書は、心を否定しているわけではない。 外界や自分の内面の奥深さというのは自分の心が作り出している錯覚である、 心の存在自体も錯覚なのである、といっているものの、こころがない、、と断言しているわけではない。

ちょっと、もやッとするところもあるけれど、なんだか、人間の創造力に勇気をもらうような、そんな一冊。

 

気になったところ、覚書。

思考のすべては、知覚の延長。 思考のサイクルとは、 感覚世界の一部に着目して意味を押し付ける 営み。 見えているのはこの単語や顔や物である 聞こえているのは この声や音楽や サイレンであるといった脳が作り出した 解釈が私たちの意識的経験となる。

 

・ 何が人それぞれを特別な存在にしているのかといえば、その大部分は個々の思考や経験が経てきた歴史である。 言い換えれば 人は誰もが常に創造の最中にある。 唯一無二の伝統なのだ。

 

オスカー・ロイテルスバルトの「不可能物体」:本誌の装丁の図もその一つ。一見すると、ありそうな立体画像だけれど、よくよく見れば、ありえない。私たちは、描かれた平面を勝手に脳の中で立体に変換している。

 

クレショフ効果: 曖昧な表情が別々のシーンに挿入されると解釈が劇的に変わってしまう。同じ人の表情が、「子供の遺体」「食事」「エロチックな女性」の後に移されると、悲しみ、空腹、好色と、違って解釈される。ロシアの映画監レフ・クレショフが、スターリン政権下でつくった最初の作品で、実際に確認されることとなった。

 

・いわゆる、理性と感情の対立のように思っているものは、実際には、ワンセットの理性と感情が、別の理性と感情と戦っている。「頭」と「心」の衝突ではなく、「頭」の衝突。

 

・ 市場調査、催眠術、 心理療法、 行動実験、脳スキャン、 どんな方法で問いかけても心は表面のみ(深層心理はない)なのだとすれば答えは得られない。 心の奥の動機や欲望や 先行性を垣間見る手立てがないのではなく、 そんなものは存在しないのだ。

 

認知心理学で有名な、コーネル大学アーリック・ナイサーの実験。視覚は、注目しているものしか記憶にとどめない。有名なバスケットボールとゴリラ。

私も、以前試したことがあるけれど、まんまと、、、ひっかかった。

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youtu.be


この実験の前に、ゴリラではなく、大きな傘をさした女性バージョンがあったらしい。結果は同じ。パスされるボールに集中していると、ゴリラが目に入らない・・・。

 

心がフラット、というのは、カーネマンらのシステム1,システム2といった説を否定する話だけれど、ありかもしれないなぁ、という気がしてくる。

脳は、一度に一つのことしかできない。マルチタスクをしているつもりでいても、実は、行ったり来たりしている速度が速いとそう感じるだけ、ってこと。
お腹空いたなぁ、と考えながら、勉強なんてできないのだ。。。
そして、外界からの知覚だけでなく、お腹が空いたとか、眠いとか、体内からの知覚がある時も然りなのだ。。。。

 

私たちは、毎日、まっさらな目で何かを見ることはできない。いつも、過去の経験に基づいて、解釈をしている。どの記憶が想起されるかが、その時によって異なる。

 

コーヒーのいい香りで思い出されるのが、爽やかな一日の始まりなのか、あぁ、今日も会社に行かなきゃという一日の始まりなのか。。。それは、深淵なる心ではなく、たんに、その時の脳がひっぱりだしてきた記憶によるのだ、、、ということのようだ。

 

取り出しやすい記憶を変えることによって、今日のこころのありようは変わるのかもしれない。現在を、意図的に変えることもできるのかもしれない。であれは、未来を変える希望がある。

 

私たちは、毎日記憶を積み上げている。今日の経験は、未来の思考のための加工用材料となる、、、と。

 

私たちは、創造の過程の中で生きている。
ただ、それだけのこと。

面白いなぁ。

だから、人間も読書も、やめられない。