働くということ「能力主義」を超えて
勅使河原真衣
集英社新書
2024年6月22日 第1刷発行
日本経済新聞 2024年8月17日朝刊の書評で紹介されていた本。
記事には、
”より多くの成果を上げた人がより多くの報酬を受け取る、というのが人事評価の鉄則だ。だが仕事は複数人が協働して行うものであり、成果を個人の功績に帰するのは限界があると説く。企業の組織運営に関する相談に応じてきた経験をもとに、各従業員に特性に応じた仕事を割り振ることで、職場のパフォーマンスを向上させる方法を実践的に示した。過度の競争社会からの脱却を促す一冊。”とあった。
”「能力主義」を超えて”というサブタイトルは気になったけれど、「各従業員に特性に応じた仕事を割り振ることで、職場のパフォーマンスを向上させる方法を実践的に示した。」の一文に、うさん臭さを感じた。それができるなら、誰も苦労しないわ・・・って。だれが、わざわざその人にあわない仕事をあえて割り振るもんか。いったい何人の部下をもったことがあって、そんなこと言えるんだ、、、なぁんて思った。
で、図書館では予約の人がたくさんいたけれど、まぁ、いつか読めればいいや、とおもって予約しておいた。半年くらいかかって、忘れたころに順番が回ってきたので借りて読んでみた。
表紙裏の説明には、
”他者と働くということは、 一体どういうことか? なぜわたしたちは「能力」が足りないのではと 煽られ、自己責任感を抱かされるのか? 著者は大学院で教育社会学を専攻し、「敵情視察」のため外資系コンサルティングファーム勤務を経て、現在は独立し、企業などの組織開発を支援中。本書は教育社会学の知見をもとに、著者が経験した現場でのエピソードをちりばめながら、わたしたちに生きづらさをもたらす、人を「選び」「選ばれる」 能力主義に疑問を呈す。 そこから人と人との関係を捉え直す新たな組織論の地平が見えてくる 一冊。”とある。
著者の 勅使河原さんは、 1982年 横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。企業をはじめ病院、学校などの組織開発を支援する。
目次
プロローグ 働くということ ――「選ぶ」「選ばれる」の考察から
序章 「選ばれたい」の興りと違和感
第一章 「選ぶ」「選ばれる」の実相 ――能力の急所
第二章 「関係性」の勘所 ――働くとはどういうことか
第三章 実践のモメント
終章 「選ばれし者」の幕切れへ ――労働、教育、社会
エピローグ
感想。
なるほど、、、とは思うけれど、ふ~~ん、、、という感じ。確かに、組織開発の支援コンサルタントとしての経験に基づいて書かれているので、「職場のパフォーマンスを向上させる方法を実践的に示した。」のかもしれないけれど、あくまでもコンサルとしてなので、ちょっと物足りなさを感じてしまう。
そして、結局のところ、一番の主張は何なのかがちょっとわかりにくかった。働くのは評価されるためじゃない、といいたいのかな??? 能力主義の否定なのか、働くのは他者への感謝という意義を伝えたいのか、何が主題なのかがわかりにくかった。
本の内容の展開に、物語が挿入されている。最初に4人家族の父・課長(48歳)、妻・母・主婦(47歳)、息子・大学生(20歳)、娘・中学生(15歳)が、一家団らんをしていて、TVで「新しい資本主義」の説明をききながら、なんでこんなに生きづらいのが当たり前なんだろう、、、という会話をしている。学校における選抜、企業における選抜。みんな「選ばれる」ために頑張っているから疲れちゃう、、と。
う~ん、、、それは悪いことか?
読めば読むほど、「能力主義」が悪いのではなくて、「他者に評価されよう」とする自分の思考が自分を苦しめているんじゃないか?という気がしてきた。
丁度、『STOIC』を読んで、毎日、セネカや マルクス・アウレリウスの言葉と向き合い続けているからかもしれない。
今、本に出ていた90日間の実践を、一日ずつ実施中。三日坊主にならず、既に39日目まで実施済み。ストイシズムの核は、「自分で管理できることに対処する」ってことなので、他者の評価に振り回されるな、ということ。能力主義がどうした!って立場なのだ。
一方で、たしかに「能力主義」が絶対とは思わないし、「能力」が一つの物差しで測れるものではないということもわかっているつもりだ。20年以上、部下の「能力開発」とやらの評価もしてきたんだから。。。。個人目標管理制度が良いとも思ってはいないけれど、「能力評価」が、相対評価ではなくて絶対評価なら、悪くはないはずだとも思う。実際には、社員に点数をつけて限られた原資を分け合うので順位付けをしなくてはならないのだけれど・・・。
競い合うことも悪いことではないだろう。オリンピックで金銀銅が無かったら、人々は、あんなに盛りあがらない。ライバルがいるから頑張れることもたくさんある。合格点があるから目標にできる。そのような場面で評価されることは、別に悪いことではないと思うけど。
学校に入学試験があって、有るレベルの人以上が合格する、という仕組みがわるいわけではない。その試験で問われる内容が、「詰め込み教育」の結果を評価するだけの物ならば、それができてなんぼや!という人材を選ぶことになる。ただ。それだけのことだ。それは、確かに見直すべきところはたくさんある。まして、「実力も運」というのが真実なのだから。。。
問題は、どのような「能力」を評価するかということが、極めて難しいことだということ。「人間力」「協調性」「リーダーシップ力」・・・だれがそれを正しく評価できるのか?「コミュニケーション力」なんだそれは?!ニコニコしていればコミュ力高いのか?自己主張すれば、コミュ力高いのか?コミュニケーション能力は、言語能力ではない。
たしかに、そこ(「能力」ははかれるものではない)を問題視する著者の意見には共感する。
「能力」というもの自体が、幻想なのだ、と。
たしかにね。
学校では先生のこと言う事を聞きなさいと言われ、大きくなれば個性を発揮しなさいと言われ、なんだよそれ!と言いたくなる気持ちはよくわかる。個性の発揮って、余計なお世話じゃ、と思う。
著者は、人に選ばれる人になるためには「機嫌よくいろ」というのも、いかがなものかと言っている。うんうん、それは確かにそうだ。何でもかんでも、「受容性」とか「寛容が大事」とかいって、ご機嫌さまでいろと言われたって、、、その場をつくろえば、その反動がどこかにでる。ストレスで蕁麻疹だって出ちゃうかも。
事実、人間関係のストレスで蕁麻疹が止まらなくなって会社をやめた人を知っている。私に言わせれば多いに「人間力」のある、尊敬できる上司だった。表向きは、親の介護で、、、といって波風立てずに辞めたけど。逃げるのだって、大事な時もある。
森本あんりさんの『不寛容論』から「『 相手を心から受け入れ違い を喜びなさい』というポストモダンのお説教」という表現が引用されていた。うまいなぁ、あんりさん。
仕事の「貢献度」に序列はない、というのも、ただしい。でも、組織においては「貢献度」を見える化することで、報酬が決まる。それが社員全体に公正な評価なわけはない。みんなそんなことはわかってはいるけれど、他にやりようがないから、社員の評価には貢献度なる指標がつかわれがち。
製造業だって、工場の人がいないと製品はつくれないけれど、営業がいて、販売がいて、広告がいて、事務を裁いてくれる人がいて、財務がいて、法務がいて、人事がいて、、、。だれが一番貢献したかなんて、数字にできるわけがないのに。
本書のしめくくりは、最初に出てきた家族がまた家族団らんをしている。「仕事とはなにか」「選抜とは?」・・・・。特に答えはでてないみたい。
そして、他者と「ともに在る」ことが労働であり、教育であり、社会でいきることだ、と締めくくられている。
ん?能力主義は他者を排除するってことを言いたいのか??
と、最後までよくわからなかった。
「能力主義」ではなく、「評価」が問題ってことがいいたいのかな?
なんだか、すっきりしない本だった。
これが、新書大賞2025の5位だそうだ。みんな、「働くこと」に悩んでいるのかな?
ちなみに、新書大賞2025の1位は、『なぜ働いていると本を読めなくなるのか』だそうだ。うん、これは、確かに面白かった!
新書大賞って知らなかったけれど、ベスト10に、いくつか読んでみようと思っていたものが含まれていた。知らなかった本もあるから、それらも読んでみようかな。。
あぁ、また、読みたい本リストが膨らんでいく・・・。
