日ソ戦争 帝国日本最後の戦い
麻田雅文
中公新書
2024年4月25日 初版
2025年2月10日 11版
昨年、新聞の広告で見かけて気になっていた。図書館で予約しようと思ったら、すご~~い、予約者の数だった。それでも、そのまま待っていたのだけれど、昨年末には、第28回司馬遼太郎賞も受賞、年明けには、2025年新書大賞2位。もう、図書館の順番を待っていられないと思ったので、本屋さんに買いに走った。中公新書なら、内容も信頼できるし。980円(税別)。
私が購入した本の帯には、「2025新書大賞第2位」の文字も。1年たたずして11版はすごい。
帯には、
”玉音放送後も続けられた帝国日本最後の全面戦争。
加藤陽子氏( 東京大学教授)、 小泉悠氏(安全保障研究者・東京大学准教授)絶賛。
10万部突破!”とある。
そして、表紙裏の内容紹介には、
”短期間ながら、 両軍兵力 200万を超えた激闘。
日ソ戦争とは、 1945年8月8日から9月上旬まで満州・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第二次世界大戦最後の全面戦争である。 短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、 玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、 戦後を見据えた戦争だった。 これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、 本書は新史料を駆使し、 米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。”
とある。
と、私は、そういう中身をよく知らずに買ったのだ。そうか、ロシアじゃなくて、ソ連だ!と、これを読んで気が付いた。このところ、仲間内で『坂の上の雲』が話題になることが多くって、ついつい、日露戦争とコンタミした。
著者の麻田さんは、 1980年 東京都生まれ。 2003年 学習院大学文学部史学科卒業。 10年 北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得後退学。 博士(学術)。 日本学術振興会特別研究員、 ジョージ・ワシントン大学客員研究員などを経て、15年より 岩手大学人文社会科学部准教授。専攻は近現代の日中露関係史。
目次
はじめに
第1章 開戦までの国家戦略 日米ソの角逐
1 戦争を演出したアメリカ 大統領と米軍の思惑
2 打ち砕かれた日本の希望 ソ連のリアリズム
第2章 満州の蹂躙、関東軍の壊滅
1 開戦までの道程 日ソの計画と動員
2 ソ連軍の侵攻 8月9日未明からの1ヶ月
3 在満日本人の苦難
4 北緯38度線までの占領へ
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
1 国内最後の地上戦 南樺太
2 日本の最北端での激戦 占守島
3 岐路にあった北海道と北方領土
4 日ソ戦争の犠牲者たち
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン
1 対日包囲網の形成
2 シベリア抑留と物資搬出
おわりに 「自衛」でも「解散」でもなく
あとがき
註記
参考文献
巻末資料 ヤルタ秘密協定草案、ヤルタ秘密協定
日ソ戦争 関連年表
感想。
これは、すごい。
う~~ん、と、うなってしまう。
すごい・・・。
新書の内容ではない、ってくらい濃い。
本書で「日ソ戦争」と呼ぶ、第二次世界大戦末期のの戦争についての研究は、21世紀に入ってからだそうで、これまであまり語られてこなかったそうだ。しらなかったことが、どわーーーーっと、流れ込んでくる感じ。文章も読みやすい。かつ、時代の流れ、章を地域ごとにわけてあることで、とても読みやすい。
内容は読むに堪えないほどの悲惨さだけれど・・・。
” 1945年8月8日、 それは日本へ 宣戦布告した。”
広島への原爆投下が 8月6日。そして、9日には長崎へ。10日には、 ポツダム宣言受諾を各国へ通知していたにもかかわらず、ソ連は満州、樺太、朝鮮、千島列島へ侵攻を続けた。なぜ、そんなことがおきたのか??
”東アジアの戦後は、この日ソ戦争をなしには語れない。”
そういう、重要な戦争であったにもかかわらず、これまであまり研究されてこなかった。
教科書を読んでも、歴史を勉強しても、なんだかよくわからなかった色々なことが、本書を読むと、一発で頭に入ってくるところがある。
ソ連は、アメリカに「対日戦争」への参加を求められた。「おわりに」に書かれる比喩がわかりやすい。
” ソ連を対日戦に引き込んだのはアメリカだ。その張本人は 、対日戦の早期終結のため ソ連参戦を熱望した ローズベルト大統領である。 しかし スターリンはヨーロッパとアジアで二正面作戦に陥るのを徹底的に避けた。
日ソ戦争を芝居に例えると 舞台を演出したのはアメリカだ。 ソ連は出現を渋る大物役者である。 最終的に、膨大な報酬を目当てにソ連は出演を了承する。 そして、 ひとたび 舞台の幕が上がると、 演出家 そっちのけで暴れ回った。”
なんて、うまい言い方だろう。まさに、そういうことだったのか、と理解できる。
膨大な報酬の中には、「北方領土」も含まれる。最後の最後にちょっと対日参戦しておいて、俺にも取り分よこせ、、ってところだろうか。ソ連は、日本に無条件降伏させて占領下に置くことを目論んだ。その軍事力を徹底的に削ごうとした。だから、ポツダム宣言受諾後も、戦闘行為を続けた。
市民も犠牲になった。涙も出ないくらい、悲しい、恐ろしい話。戦慄の史実、、、。でも、ソ連兵だけではない。他者を犠牲にしてでも生き抜こうとする日本人。大人たちの蛮行を目の当たりにした子どもたち。
参考文献には、キリル文字もたくさん並ぶ。膨大な資料。いやぁ、、、、よくぞ、ここまで、、、。本当に、これは一読する価値のある本だと思う。先の戦争とはなんだったのか、、、日ソ戦争をなしには語れない、という意味がわかる。
読みながら、膨大な量の付箋がついてしまったのだけれど、ちょっとだけ、覚書。
・終戦間際、日本はソ連に対してアメリカとの間の仲介を期待していた。8月6日、広島に原爆が落とされた後も、まだソ連の仲介を期待していた。だがソ連は仲介どころか、8月8日、宣戦布告してくる。日本の敗戦が見えているところでの宣戦布告。
・日本はなぜ、ソ連が仲介してくれると期待したのか。一つ、ソ連参戦を考えたくなかった。一つ、日本軍は作戦を立案する参謀がトップエリートで、 情報畑の参謀の発言が軽んじられていた。つまり、ソ連が参戦してくる可能性は情報畑は承知していた。エリートは無視した。
・ソ連兵は、ドイツ戦で疲弊していたので、対日戦争への士気は低かった。スターリンは「日露戦争」の復讐をはらす!というプロパガンダをはった。 アレクサンドル・ステパノフの 小説『旅順口』は、兵士たちの勇気をえがき、スターリン賞を受賞。
・満州四平陸軍戦車学校を卒業し、牡丹江の 戦車第1連隊に配属されたのが、のちに作家となる司馬遼太郎。ソ連の戦車の性能は、日本軍より桁違いに高かったが、司馬遼太郎によれば、「同じ実力、同じ百両」という想定のもとに訓練したそうだ。その頑丈なソ連の戦車に対して、自爆攻撃をする「陸の特攻」もあった。
” 自己犠牲を尊び、 上官への服従は絶対とし、将兵の人命を軽んじる教育”の結果が特攻である、と。
・満州からの悲惨な引き上げを描いた作品。安部公房『 けものたちは故郷を目指す』(1957年)。私は、安部公房の作品の中でも、『砂の女』につぐ傑作だと思う。
・スターリンは8月23日に、50万人のソ連への移送を命じ、満州では、民間人まで強制連行された。「50万人」の「員数合わせ」に民間人が標的にされた。50万人のノルマ。と、この「ノルマ」は、ロシア語で、 それを達成しなければ ソ連軍が処罰された。
・ソ連の蛮行。ソ連は、そもそも、自国民の人権すら尊重する国ではなかった。そうした国家が、占領地の住民や捕虜を丁重に扱うことはない。
・南樺太では、朝鮮人のなかにスパイがいるという噂があり、日本人住民や警察の手で朝鮮人が殺された。一方で、南樺太でも追い詰められた民間人の集団自決もあった。吉村昭「手首の記憶」は、ソ連軍の暴行を恐れて集団自決した炭鉱病院の女性看護師たちの事件を取材して書かれた。
・米軍の潜水艦が沖縄から疎開する学童らを乗せた「対馬丸」を攻撃した(学童784人を含む1484人死亡)ように、ソ連は、8月22日に大泊から日本人を乗せた船三隻(小笠原丸・泰東丸・第二号新興丸)を留萌沖で攻撃した(三船遭難事件)。「対馬丸」への攻撃は8月12日でまだ戦中ではあったが、三船遭難事件は、ポツダム宣言受諾後である。三船遭難事件の犠牲者は、公式には1708人以上とされている。
・ソ連の千島列島占領は、ポツダム宣言受諾を各国へ通告した後に始まった。
・ソ連は、対日戦参加の報酬として日本を占領し、北海道をアメリカと分割占領するつもりだった。が、トルーマンは、日本の占領にソ連が参加することを認めなかった。「ソ連は、無情な取引者」とわかっていたから。
・1945年8月30日、マッカーサーが、厚木空港におりたった。
・1945年9月2日、スターリンは、日露戦争の復讐を果たした、と語った。
いやぁ、北方領土問題が、どのように発生したのかもよくわかる。これまで、様々な北方領土に関して書かれた本も読んできたけれど、いまいちピンときていなかったのが、戦後のどさくさにソ連が侵攻した背景がよくわかる。
イマヌエル・カントの言葉を思い出す。
”将来の戦争の種を密かに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
なぜならその場合には、それは実は単なる休戦であり、敵対行為の延期であって、平和ではないからである。”
資料に基づいて、中立的な視点で述べられているところが、読みやすい。戦争の犠牲者は、勝者も敗者も無くて、全ての人々だ、、、、と、思わずにはいられない。
なぜ、人は、過ちを繰り返すのだろうか・・・・。
平和ボケと言われても、やっぱり、戦争も戦闘も侵攻も侵略も、すべてなくなるべきだと思う。

を果たした、と語った。