『ごんぎつね』  by にいみなんきち

『ごんぎつね』
にいみなんきち 文
みたげんじろう 絵
ポプラ社
昭和44年3月 第1刷
昭和58年7月 第42刷

 

図書館で目に入った。えっと?どんなお話だっけ?有名過ぎて、よく知っているはずだけど、、。借りて読んでみた。

表紙は、しいたけをはこぶ、ごんの姿。

 

最後のページに、『ごんぎつね』について、という巽聖歌さんの解説がついていた。それによれば、
”『ごんぎつね』は、新美南吉(にいみなんきち)の17歳の時の作品です。旧制の中学5年生を卒業した後、上級学校への試験勉強のかたわらに書いて、「赤い鳥」へ投稿したものでした。今では、多くの人々に名作だと推賞されているものです。”
と。

読んでみて、お話を思い出した。でも、細かな描写がなんともいえず、、、すばらしい。いやぁ、やっぱり、名作だ。

 

お話は、いたずら好きの子ぎつねのごんが、兵十(へいじゅう)が釣った魚を逃がしてしまう。ごんの姿を見て、「うわぁ、ぬすっとぎつねめ!」と叫んだ兵十だったけれど、ごんは首にまきついたウナギを齧りながら、まんまと逃げる。
十日ほどたって、ごんは、村の人々があつまって何やら準備をしているのを見る。それは、兵十のおかあさんのお葬式だった。

ごんは、あれは兵十が病気のおかあさんのためにとったうなぎだったのだ、、、と気がついて、悪いことをしたと後悔する。

それから、ごんは、兵十のところへ、こっそり届け物をするようになる。最初は、魚屋さんから盗んだイワシを家の中へ放り込んでおいた。ごんはいいことをしたと思った。ところが、翌日、傷だらけの顔をした兵十が、
「いったいだれがいわしなんか・・・・。おかげで、おれはぬすっととおもわれて、ひどいめにあわされた」
とつぶやいてしょんぼりしているのを見る。

ごんは、しまったと思い、それからは、栗を運んでやった。ときには、まつたけも持っていった。

ごんは、ある日兵十がかすけというお百姓さんに、「おっかぁが死んでから、だれかが栗やマツタケを持ってくるんだ」とはなしているのを聞く。かすけは、それは一人ぼっちになったおまえを可愛そうにおもって、神様がくださっているのだろう。これからは神様に感謝してくらせ、という。そうかな?といいつつ、「うん」と答える兵十。

ごんは、それを聞いて「俺にお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃ、おれはひきあわないなぁ」とおもう。でも、翌日にはまた、栗を運んでいく。

ところが、その日、兵十は家の中に入っていくごんの姿を目にして、火縄銃でドンとうってしまう。

兵十は、ぱたりとたおれたごんに近寄り、家の中の栗をみつける。
「ごんおまえだったのか・・・・」

ぐったりしたままごんはうなずきました。

 

兵十は、火縄銃をぱたりとおとしました。
青い煙が、まだ、つつぐちからほそくでていました。

 

おしまい。

なんとまぁ、悲しいお話でしょう。
でも、ごんは、理解されてから死んだから、ごんにとっては救いになっている、という解説。

理解されないことに苦しむというのは、人生においてよくあること。理解されたごんは、すくわれたのだ、、、と。

確かにそうかもしれないけれど、兵十は、後悔しただろうなぁ、、、、と思う。

 

きつねというのは、なぜか、誤解されやすい生き物なのか?『雪渡り』では、人間が勝手にきつねをわるものに仕立てた、というお話になっている。

megureca.hatenablog.com

 

これらの絵本には、思い込みは、よくないよ、、、っていう教訓もあるのかもしれない。

 

これが、17歳の描いた作品、、、と思うと、その豊かな感性におどろく。谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』は18歳の時。

megureca.hatenablog.com


感性だけでなく、表現力だなぁ、、、。
きっと、二人ともよく本を読んでいたんだろうなぁ・・・。

 

悲しいお話だけど、たしかに名作だ。