夜と霧の隅で・遥かな国 遠い国
北杜夫
新潮社
1977年5月20日
町田康さんの『俺の文章修行』の中で、「筋が落居しない、でも面白い話」として紹介されていた話が気になった。
で、北杜夫全集2となっていた一冊を図書館でかりてみたら、話題になっていた「三人の小市民」というお話は載っていない別の本だったことがわかった。。。のだけれど、せっかくなので、本書の中の「遥かな国 遠い国」(初出:昭和35年)を読んでみた。
これもまた、、、筋が落居しないとは言わないけれど、、、、なんてこった、、って話だった。
北杜夫は、東京生まれ、父は歌人の斎藤茂吉。本名斎藤宗吉。兄の斎藤茂太さんは精神科医でエッセイスト。北杜夫といえば、エッセー「どくとるマンボウ」シリーズで有名。私の中では、茂太さんと北杜夫がどこかで重なっている。。。なんとなく、やっぱり似ている。そんなに多くの作品は読んでいないけれど、好きな作家さんのひとり。
感想。
いやぁ、、、まいっちゃうなぁ。。。。そう来たか。。。。
なんというのか、人間のたくましさというか、弱さというか。
でも、自分の思いに素直な人間は強い。強さとは必ずしも生き残ることではない。。。と、なんだか、切なくなるような思いがした。
やっぱり、こういう古典的な話、好きだ。種明かしをするわけでもなく、なにか教訓めいたことが具体的に描かれているわけでもない。でも、読んだ後に、細部まで脳裏に画像が残るような、、、そんなお話。そして、いったい、何なんだ?!この話は?とつっこみたくなるようなところが、自分で考えることを要求してくる。一人の人物にしっかりと重点をおいて描かれる。だから、一人の人生がしっかり描かれている。そんな感じ。
以下、ネタバレあり。
「遥かな国 遠い国」を目指したのは、正太。正太の短い人生のお話。
正太は、母親のキヌと二人暮らし。北海道の内浦湾に面したA町に住んでいる。キヌの夫は、立派な漁夫であり猟師であり、オットセイ射ちだった。タラからニシン、サケ、なんでもとった。正太がうんと小さい頃は、網走にいた。だが、兵隊にとられ、ソ満国境で行方不明になった。きっと捕虜になっているのだと、他の人が言っても彼女は強情に首をふるだけで、他の妻のように夫の生死を確かめようともしなかった。それだけの智慧もなかったのだ。
キヌは、正太に
「おまえのお父は、それはえらい人だったのしゃ」といつも言って聞かせた。
正太のことをキヌは 近所の噂のように正真正銘の白痴とは思っていなかったが、しょっちゅう鼻汁の後を2本つけているぶくぶくした丸い顔や、人並み外れてでかい図体や、癪に障るほどのろくさしたその挙動を見ていると 、いくらキヌだってこれは利口ではないと思わざるを得なかった。
そう、正太は、現代の言葉でいえば、重度の精神薄弱を患った子供として描かれている。その正太が、キヌに「おまえ、サケマスさ乗れや」と言われている。
キヌは、本気で正太が漁師になることを望んでいるが、世間は正太が町の稼ぎ頭であるサケマス漁船に乗れるはずがないと思っている。キヌは、あちこちに正太を船に乗せてくれるようにと頼みまくる。ところが、キヌの努力にもかかわらず、新しい船の乗組員も含めて、正太のでるまくはない。
「そんな 意地悪しねえで乗せてやってくんろ」
キヌは、唾を吐き散らして、頼み込む。
正太は、キヌの努力など知らぬ顔。いつも父ちゃんのいる「遥かな国 遠い国」を夢見てふらついている。海岸で見つけた小犬を追いかけて、どこまでも散歩した。子犬が遠い国まで案内してくれるものだと思っている。でも、小犬は正太の思いなんて知らない。遠くまで走ったと思ったら、町の方へ引き返し始めた。
「こいつ、おらに、教えーぬ気だな。 逃げーるーか」といって、砂の上に落ちていた 棒切れを拾って後を追いかけた。 追いつきざま 脳天を一撃した。 子犬は一旦 飛び上がってくるくると廻ってぱったりと 倒れた。 そのまま死んでしまった。正太は ポカンとして その様子を見ていた。
「気ーのー毒な、こだ、したな」
大体、正太が行きたいと思っている国はもっともっと遠いのだろう。犬 なんかには行けないのかもしれない。正太は、小犬の肢をもって海に投げ入れた。
そんな正太に、カシキ(飯炊き)としてサケマス船にのる機会がおとずれる。町の人が、女一人で正太を育てているキヌを想っての情けの仕事だった。ただ、給料は、他の船員の2割程度だという。それでも、キヌは、正太をカシキとして船に乗せてもらうことを了解する。
正太が船に乗り込み、出航する日がやってくる。
「おーれ、ターナカ ショータ。」
「なんだ、今度来たカシキか。なんだか、ボーっとした野郎じゃないか」
「よーろーしくう」
「そう突っ立ってねえで坐れよな」
「おーねーがい」
「なんだ、こいつ、パーでねえか」
「しーます」
「こりゃ本物のコケだ。大変な 野郎が来たもんだ。 おめえ、 本当に船に乗るのか。 ま、 あっちに船長がいるから 挨拶してこいや」
こうして、正太はカシキとして船で働きはじめる。
とはいっても、飯炊きが得意なわけでもない。他の男たちに、あーだーこーだと言われながら、だんだんと飯炊きができるようになってくる。船の上には、いろんな男たちがいる。いいやつ、わるいやつ。でも、正太は誰に対しても同じ態度。いじめられているとも思わない。だんだんと、飯炊きとして、仕事を覚えていく。
魚群にあたり、漁になれば、みんな真剣だ。寝る間も惜しんでみんな働く。そして、ひとたび落ち着くと、また次の漁場へと船を走らせる。襟裳岬から、国後島、エトロフ付近で漁を続けた。カムチャッカまで行けば、もっとサケが取れる。船長は、
「越境する覚悟がある」という。
つまり、拿捕される危険を冒してでも、さらにサケをとりにいくつもりだ、と。
「エッキョウって、なーしゃ?」
「バカヤロ、陸に行って、そんなことでかい声で言うんじゃないぞ」
男たちは、エッキョウが何なのか、教えてはくれない。でも、どうやら、遠くて遥かなところらしい。ということは、正太の憬れの地かもしれない。
正太は、男たちとの会話の中で、「遥かな国、遠い国」に行きたいとおもっていたことを思い出す。そして、「おら、お父が、大好ーきだった、もんなぁ」という。
「母ちゃんは好きでねえのか?」
「好き、で、ねぇ。なーぜって、自分の、好き勝手に、おらーのこと、させる、もん。おれ、好きでねぇ。おら、だから前っから、とーおい国さ、行きだがったのしゃ」
男たちは、なんだかんだと、正太との会話を楽しむようになる。また、正太は、飯炊きだけでなく、漁以外で度胸の必要な仕事をやらされるようになる。例えば、大けがをした漁師にブスっと注射を刺す仕事とか。。。そうやって、正太は、みんなの役にたっていく。
船は、北へ北へと走っていた。ある夕刻、霧がこれまでにないほど濃くなる。視界は50メートルほどしかない。うっかりすると、ソ連の船に拿捕される危険がある。霧の向こうに光が見えて、やや!ソ連船か?!と思ったが、霧が晴れてくるとそれは陸地だった。船は大漁となる。
船は、エンジンを停止し、獲物の処理を終わらせると、船員たちは眠りを貪った。
と、突然、不幸な衝撃がきた。にぶい、徹底的な打撃力をひめた衝撃で、正太はころりと一回転して目をさました。
エンジンルームでけたたましく鳴るベルの音。そして、だしぬけに渦をまいて侵入してきた膨大な海水。
正太がデッキに出た時には、すでにボートが降ろされ、船は絶壁のように立てに沈もうとしていた。
「とびこめ、とびこめ」誰かがどなった。
正太は、飛び込む前に海に飲まれた。夢中で手足をばたつかせる。流れてきたドラム缶にしがみつこうとするけれど、手足がしびれたように自由がきかない。ぐるぐると回転するドラム缶と一緒に、正太は海中につきこまれてしまった。したたか、潮水を呑み、ドラム缶に這い上がれば、またクルリ。。。もうだめだと思ったとき、グイと襟首をつかまれ、ボートに引きずりあげられる。
正太と船員たちは、ソ連の船に助けられ、陸に連れていかれる。拿捕されたのではなく、あくまでも救助されたのだった。陸にいくと、これまでに拿捕された日本の船員たちが、小屋にいた。彼らは、国同士の話し合いによって、帰国が叶う予定になっていた。が、正太たちは、その対象ではない。このまま捕虜にされてしまうのか、あるいは、スパイとして捕まってしまうのか、不安が男たちをおそう。
ここは遠い国に違いないと、喜んでいるのは正太。他の男たちのかかえる恐怖は、正太にはわからない。
正太は、楽しかった。ソ連兵とも仲良しになった。
が、ある時、正太が取り調べの対象として、兵隊に連れていかれる。通訳が「さあ、一緒にいきましょう」といって、正太一人を小屋から連れ出す。
その瞬間、正太は、出し抜けの恐怖を覚えた。経験したことのない恐怖にいきなりワッと泣き始めた。みんなはびっくりした。ソ連兵もこわがることのなかった正太が、どんなにいじめても泣声をあげたことのなかった正太が、せい一杯の拒否の身振りをしながら、やみくもに泣声をあげたのだった。
みんなになだめられて、正太は、小屋をでていった。
扉がしめられた直後、今度は、獣のような人間とは思えない奇異な叫び声をきいた。ドサリと、重いものが転がるような音がした。
みんなは驚いて、扉から飛び出してみると、死魚のように白目をむいたまま、激しく痙攣したかとおもうと、ぐにゃりとなった正太がいた。
巨漢のソ連兵が、死んだようにぐったりしている正太を荷物のようにかつぎ上げ、見えなくなった。
おしまい。
なんてこった。。。。。
正太は、死んでしまったのか?
わからないけれど、最後に正太が感じた恐怖とは何だったのだろうか。これもまた、何度も読み返してみると、違う感想になりそうな一作だ。
正太が、だんだんと男たちと仲良くなっていく様子は、読んでいた楽しい。かあちゃんんは、すきでない、という告白には、胸がぎゅんと痛む。。。
なんだか、ずしりと、読み応えのあるお話だった。
やっぱり、北杜夫だなぁ。。。
昭和という時代背景が、私には、心地よいのかもしれない。
うん、読書は楽しい。
